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帰化系氏族の西文(河内書)(かわちのふみ)氏の祖と伝える人物。《日本書紀》によると,応神天皇のときに百済王が阿直岐(あちき)という者を遣わして良馬2匹を献上したが,阿直岐がよく経典を読んだので,汝に勝る博士がいるかと問うと,王仁という者がいると答えた。そこで人を遣わして召すと来朝したので,太子の菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)がこれに諸典籍を学んだという。《古事記》では和邇吉師(わにきし)と書き,このとき《論語》10巻,《千字文》1巻を持ってきたとしている。そこでこの伝えは学問,儒教あるいは書物の初伝として古来喧伝されてきたが,《論語》《千字文》の伝来については種々の疑問が出されており,王仁の伝えそのものもどこまで確かなことか明らかでない。
執筆者:関 晃
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生没年不詳。古代の渡来人。和邇吉師(わににきし)ともいう。『古事記』『日本書紀』には、応神(おうじん)天皇のとき百済(くだら)王が王仁に『論語』10巻、『千字文』一巻をつけて貢進したとある。王仁は高句麗(こうくり)に滅ぼされた楽浪(らくろう)郡の漢人系統の学者らしく、朝廷の文筆に従事した西文首(かわちのふみのおびと)の祖とされている。一族は河内(かわち)の古市(ふるいち)(大阪府羽曳野(はびきの)市)に居住し、文字の使用、普及に貢献した。王仁は王氏との関係が考えられ、欽明(きんめい)・敏達(びだつ)朝に活躍した王辰爾(おうしんじ)もその後裔(こうえい)である。王の姓は楽浪出土の印章、漆器、塼(せん)、封泥(ふうでい)、墓壁銘などに多く記されており、楽浪郡の有力豪族であったことが知られる。『論語』『千字文』は基本的な典籍として用いられ、王仁は学問の祖とされた。
[志田諄一]
(鈴木靖民)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
西文(かわちのふみ)(河内書)氏の祖とされる伝説上の人物。「古事記」では和邇吉師(わにきし)。「日本書紀」応神15年に渡来した阿直岐(あちき)の推薦で,翌年百済から招かれた王仁は,皇子の菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)の師となり,諸典籍を講じたという。「古事記」では論語・千字文をもたらしたとする。百済に亡命した楽浪官人の王氏の末裔と思われる。西文氏は河内国古市郡を本拠とし,支族に馬・蔵・高志(こし)・栗栖などがあり,東漢(やまとのあや)氏とともに文筆を業とした。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…名を阿知吉師(あちきし)とも記し,阿直岐史あるいは阿直史の祖という。《日本書紀》では,さらに彼みずからよく経典をよみ,太子菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)の師となり,天皇に王仁(わに)を推挙したという。しかし《古事記》では,王仁と関係なく,百済王が和邇吉師(わにきし)を貢進し,《論語》10巻,《千字文》1巻を伝えたとする。…
※「王仁」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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