政治家。長野県生まれ。1958年(昭和33)成城大学卒業。バス会社課長から自民党代議士であった父武嗣郎(ぶしろう)(1903―1979)の秘書を経て、1969年の総選挙で衆議院旧長野2区から初当選。自民党農林族の中心的存在で1985年に第二次中曽根康弘内閣、1988年に竹下登内閣と、2回農林水産相、1991年(平成3)に宮沢喜一内閣で蔵相を歴任した。竹下派(経世会)結成の中心の一人で、同期初当選の小沢一郎とは盟友関係にあった。1992年(平成4)の竹下派分裂後、小沢らと羽田派を旗揚げ。1993年6月宮沢内閣不信任決議案に賛成票を投じた後自民党を離党、新生党を結党し初代党首となった。1993年8月細川護熙(ほそかわもりひろ)連立内閣に副総理兼外相として入閣。1994年4月細川内閣退陣後、第80代内閣総理大臣に指名されたが、2か月で総辞職。同年12月に結成された新進党では副党首となったが、しだいに小沢一郎と対立を深め、1995年12月の党首選挙に出馬したが小沢に大敗した。1996年12月に離党し太陽党を結成、その後民政党を経て1998年4月民主党に入党し、幹事長を務めた。2000年(平成12)9月より同党特別代表、2003年12月より同党最高顧問。
2004年5月、国民年金の未加入期間があったことを公表し、党最高顧問を辞任(のちに再任)。2009年8月の衆議院議員選挙で14回目の当選を果たすが、2012年には立候補せず政界を引退した。
[伊藤 悟 2017年10月19日]
『羽田孜著『志』(1996・朝日新聞社)』▽『羽田孜著『これで、始める――日本再生のプログラム』(1996・同文書院)』
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…55年体制は,ここに終焉したのである。 その後,細川,羽田孜の非自民連立政権を経て,94年6月に自民,社会,さきがけの3党による村山富市連立政権が成立し,自民党は政権に復帰したが,政党配置図の変転はさらに続いた。まず,94年12月に新生党,日本新党,公明党,民社党が合体して,新進党が結成され,96年1月には自民党主導の橋本竜太郎政権が成立し,同年9月には,さきがけと社民党(1996年1月に社会党は党名を変更)からの離党者を軸に鳩山由紀夫,菅直人を双頭のリーダーとして民主党が作られた。…
※「羽田孜」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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