アララギ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

アララギ

短歌雑誌。正岡子規の根岸短歌会の流れをくむ『馬酔木 (あしび) 』の廃刊後,蕨真 (けっしん) ,伊藤左千夫の起した『阿羅々木』 (1908創刊) と島木赤彦らの『比牟呂』を合併し,左千夫を中心とする歌誌として翌 1909年より再出発したもの。しかし 10年頃から赤彦斎藤茂吉中村憲吉古泉千樫らは時代の風潮を鋭敏に感受し積極的に歌壇の諸派と交流して左千夫との対立がみられた。 13年に左千夫が没してから,赤彦,茂吉による官能的,象徴的表現を許容する写生理論の形成に進み,万葉主義とともに同派の特色となった。赤彦の死 (26) 以後,茂吉へ受継がれて思想性を増し,53年の茂吉の死後は五味保義が編集を担当した。長く歌壇を代表する雑誌であったが,幹部の高齢化などにより 97年 12月号で終刊

アララギ

イチイ(一位)」のページをご覧ください。

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デジタル大辞泉の解説

あららぎ【アララギ】

短歌雑誌。明治41年(1908)蕨真一郎(わらびしんいちろう)が「阿羅々木」として創刊。翌年、「アララギ」と誌名を改め、伊藤左千夫を中心に編集、古泉千樫(こいずみちかし)斎藤茂吉島木赤彦土屋文明らが参加。万葉調の写生を重んじる歌風で、近代短歌の発展に貢献した。

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百科事典マイペディアの解説

アララギ

短歌雑誌。《馬酔木(あしび)》を継ぎ,1908年伊藤左千夫らが創刊。左千夫没後は古泉千樫斎藤茂吉島木赤彦土屋文明らが編集,長塚節中村憲吉,釈迢空らが参加した。アララギ叢書として赤彦,憲吉の《馬鈴薯の花》(1913年),茂吉の《赤光(しゃっこう)》,節の《鍼(はり)の如く》(1914年)などを刊行。《万葉集》を尊重し,正岡子規の写実主義を継承発展させて歌壇の主流をなし,現在に至る。
→関連項目生方たつゑ太田水穂香取秀真近藤芳美杉浦明平短歌根岸短歌会平福百穂万葉調結城哀草果

アララギ

イチイ

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世界大百科事典 第2版の解説

あららぎ【アララギ】

短歌雑誌。1908年(明治41)10月創刊。千葉県睦岡村の蕨真(けつしん)方から発行,翌年9月東京本所茅場町の伊藤左千夫宅に移され,古泉千樫斎藤茂吉らが編集に尽くした。《万葉集》を作歌上の手本として写実的歌風を推進した。13年左千夫が亡くなり,会員組織を設けた。翌年島木赤彦が上京し,雑誌の編集発行に専念し経営も安定した。茂吉,赤彦,中村憲吉らが歌壇に進出し《アララギ》の勢力を強化して,歌壇の中心的存在となる。

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大辞林 第三版の解説

あららぎ【アララギ】

短歌雑誌。1908年(明治41)千葉県の蕨真けつしん(蕨わらび真一郎)方から「阿羅々木」として創刊。翌年伊藤左千夫を中心に編集された時から「アララギ」と称し、次いで島木赤彦・斎藤茂吉・土屋文明らが中心となって編集。根岸短歌会の歌誌として出発。万葉調、写生を主張して近代短歌を導き、大正期以降歌壇の主流となる。97年(平成9)終刊。

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精選版 日本国語大辞典の解説

あららぎ【アララギ】

短歌雑誌。明治四一年(一九〇八)蕨真(けっしん)が千葉県で「阿羅々木」として創刊。翌年東京に移し、表記も「アララギ」と改め、伊藤左千夫を中心とした根岸短歌会の機関誌となる。古泉千樫、斎藤茂吉、島木赤彦、土屋文明らも編集を行なった。平成九年(一九九七)終刊。

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世界大百科事典内のアララギの言及

【イチイ(一位)】より

…寒地の山林に自生し庭園にも見られるイチイ科の常緑針葉樹(イラスト)。アララギまたはオンコ(東北・北海道)ともいう。高さ20mにもなる高木で密に分枝する。…

【岡麓】より

…アララギ派歌人。書家。…

※「アララギ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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