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シンガポール シンガポール Singapore

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

シンガポール
シンガポール
Singapore

正式名称 シンガポール共和国 Republic of Singapore。面積 710km2。人口 518万2000(2011推計。非居住者たる臨時労働者を含む)。首都 シンガポール。マレー半島南端にジョホール海峡を隔てて接する島国で都市国家

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

シンガポール

シンガプーラ」(ライオンの町)と呼ばれるマレー系漁民数百人の漁村に1819年、イギリス東インド会社ラッフルズが上陸。太平洋インド洋を結ぶ貿易都市として発展した。1867年に英国植民地。1942年に旧日本軍に占領されたが、戦後再び英国植民地となった。63年に独立したマレーシアの1州となるが、マレー系と中国系の対立などから65年8月、分離独立した。初代首相のリー・クアンユー(現顧問相)が結成した人民行動党が一貫して政権を維持。70年以降、急速な経済成長を遂げている。

(2009-03-24 朝日新聞 朝刊 アジア)

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百科事典マイペディアの解説

シンガポール

◎正式名称-シンガポール共和国Republic of Singapore。

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日本の企業がわかる事典2014-2015の解説

シンガポール

正式社名「シンガポール株式会社」。英文社名「SINGAPORE CO., LTD.」。繊維製品製造業。昭和28年(1953)設立。本社は岐阜市大宝町。双日子会社の衣料品メーカー。婦人用パンツスカートシェア国内トップクラス。岐阜・東京・大阪の直営店で小売り事業も展開。

出典|講談社
(C)Kodansha 2011.
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世界大百科事典 第2版の解説

シンガポール【Singapore】

正式名称=シンガポール共和国Republic of Singapore面積=618km2人口(1996)=305万人首都=シンガポール(日本との時差=-1時間)主要言語=中国語,英語,マレー語タミル語通貨=シンガポール・ドルSingapore Dollarマレー半島の南端,赤道の近くに位置する共和国。国土は合計54の島からなり,主島シンガポール島は東西42km,南北23kmの菱形をしている。このほか面積1km2以上の島は9島で,他の多くは無人島である。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

シンガポール
しんがぽーる
Singapore

東南アジア南部、マレー半島南端にあるシンガポール島とその属島からなる国。正称はシンガポール共和国Republic of Singaporeという。面積は683平方キロメートルで、日本の淡路(あわじ)島よりやや大きい。人口459万(2007)。1965年、マレーシア連邦から離脱して独立した。古くはトゥマシクとよばれたが、12世紀にスマトラ島の王子がここで獅子(しし)(シンガ)を見て獅子の町(シンガ・プラ)と命名したという。のちにそれを英語読みにしてシンガポールとなった。マラッカ海峡、シンガポール海峡など世界の交通、戦略的要点を扼(やく)する重要な位置を占める。独立後、経済的発展が目覚ましく、1人当り国民総所得(GNI)は2万9207ドル(2006)でアジアではカタール、クウェート、日本に次ぐ。[別技篤彦・賀陽美智子]

自然・地誌

シンガポール島は構造的にはマレー半島の延長であるが、狭いジョホール水道を隔てて半島部と切り離されている。島の中央および北部は花崗(かこう)岩性の丘陵地で、最高点はブキ・テマの177メートルにすぎない。南西部も丘や谷が錯綜(さくそう)するが、東部は低地が多い。そこをシンガポール川、ジュロン川、ゲイラン川の諸川が南方に、クランジ川、セラングン川などが北および東方に流れるが、いずれも小さい。密林はいまは中央部の丘陵地のみに残り、水源地保安林とされている。ジョホール水道の東部は水深が深く、セレター軍港を有するほどであるが、西部は一般に浅い。なお南部のシンガポール海峡に面してはサンゴ礁の発達もみられる。
 気候は、赤道に近いため熱帯雨林型で、年平均気温27.4℃、年降水量は2087ミリメートルに及ぶが、年間を通じ平均して降るので明確な乾期、雨期の区別はない。降雨はほとんどスコール型である。
 島の南部一帯にシンガポール市街地が広がる。その南端はフェーバーの丘(105メートル)となって沖合いのセントサ島との間にシンガポールの商港ケッペル港を抱く。商業の中心ラッフルズ広場やにぎやかなチャイナタウンも南部の海岸近くにある。東西に走るオーチャード通りはかつてのイギリス人の高級住宅地から、多くのホテル、シンガポール大学などの並ぶ市街地区に変わっている。また市街地は北に延び、トーアパヨ団地のような高層住宅群に続く。海岸低地を埋め立てての土地造成も盛んである。一方、島の中央部の丘陵地にはいくつかの貯水池が並んで自然保護地域を形成する。かつてゴム園などの分布した北部・東部もチャンギ国際空港などが開かれて発展しつつある。また島の南西部にはジュロン工業団地が建設され、これとシンガポール市街を結ぶハイウェーもつくられた。ジョホール水道の上には約1キロメートルの長堤があり、鉄道、道路、水道がマレーシアと直結している。こうして島全体に近代的変貌(へんぼう)が著しいが、ジョホール水道西部に臨む海岸にはなおマングローブなどの茂る地域も残っている。[別技篤彦・賀陽美智子]

歴史

マレー人の史書によると、12世紀にスマトラ島の王族の一人がここにシンガ・プラの町を建設、海峡を通る船舶を制圧して商業的に繁栄したが、14世紀末にはジャワ島のマジャパヒト王国の遠征を受けて滅びた。その後マレー半島のジョホール首長国の支配下にあったが、荒廃してほとんど居住者もないままに放棄されていた。1819年1月、東南アジア進出を計画したイギリスの植民政策家スタンフォード・ラッフルズが島の重要性を認めてこれをジョホール首長から買収した。彼はかつての城址(じょうし)(フォート・カニングの丘)に政庁をつくり、市街地を区画して民族ごとの居住地を建設した。近代シンガポールの歴史はこれから始まる。
 1824年に正式にイギリス領、1826年にペナン、マラッカとともにイギリス領インド所属の海峡植民地となった。自由貿易港としたため、たちまち東南アジア有数の国際的都市に成長し、1833年にはすでに2万の人口をもつに至った。その後1867年イギリスはここを本国直轄植民地とし、軍事的にもアジア政策遂行の一大拠点とした。しかし住民の大部分は華僑(かきょう)系が占めた。第二次世界大戦では1942年2月日本軍が占領し、昭南市と改名した。
 第二次世界大戦後、民族主義の高揚によりイギリスから自治を獲得、1963年になってマレーシアとともにマレーシア連邦を形成して独立を達成した。しかし住民の大多数を占める中国系住民はマレー系住民に指導されることを好まず、またインドネシアがマレーシア連邦結成に反対していたこともあって、1965年分離独立しシンガポール共和国が成立した。1971年末には駐留イギリス軍の撤退も完了し、国防の負担もシンガポール自身が負うこととなった。[別技篤彦・賀陽美智子]

政治

政体は大統領を元首とする共和国である。全人口の75%は中国系であるが、もともとマレー人の地であった事情を考慮して、大統領には中国系以外の人(初代はマレー系)を選んでいる。任期は6年である。しかし国の政治の実権は中国系人が握る。国会は一院制で議席数は84、任期は5年である。独立以来通算31年間首相を務めたリー・クアン・ユー(李光耀、1990年以後上級相を務め、2004年より内閣顧問)が率いた人民行動党(PAP)がほとんど全議席を独占し、独裁的傾向が強い。2006年の総選挙での獲得議席数は人民行動党82、民主同盟1、労働党1となっている。リー・クアン・ユーの後を受けてゴー・チョクトンが14年間首相を務め、2004年からリー・シェン・ロンが首相についている。小国家ながら行政組織は完備し、内閣は13省からなり、簡素化により能率をあげている。
 国防にも努力し、徴兵制(2年の兵役義務)をとり、陸軍5万人、海軍9000人、空軍1万3500人の兵力を擁している。国内の政情は安定している。
 外交的には非同盟中立政策を基本方針として、可能な限り多くの国と友好関係を維持することに努めている。国際情勢に機敏に対応し、多角的かつ現実的に処理しているが、東南アジア情勢の進展に伴い、東南アジア諸国連合(ASEAN(アセアン))の強化に努力している。他のASEAN諸国に比べて発展段階が高く、立場を異にする点が多いにかかわらず、他の9か国と協調する方針をとっている。実質的には中国人国家であるため、「第三の中国」化を警戒する声がASEAN諸国に強い。[別技篤彦・賀陽美智子]

経済・産業

シンガポールは長く自由港として中継貿易で栄えてきたが、第二次世界大戦後は周辺各国の経済の自立化とともに中継貿易は不振となった。このため外資導入を軸として重化学工業を主体とした工業化政策が進められ、産業立国へ大きく国策を転換した。これが奏功して1968~73年には平均14%の国内総生産(GDP)の成長を示した。現在は失業率2.1%(2007)でほぼ完全雇用を達成、国内総生産(GDP)1520億2900万ドル(2007)、国民1人当り国内総生産も3万5163ドル(2007)となり、アジアでは日本に次ぐ工業国に発展した。工業は食品、衣料から造船、石油、電子機械にまで及んでいる。その中心は南西部に建設されたジュロン工業団地で、1994年には工場数約6500、従業員数33万3099人に及び、ジュロン・ニュータウンの建設も同時に進められた。政府の意図するところは、国の人口が少ないため、労働集約部門で他の開発途上国と競争することを避けて、オイル・リグ、エンジニアリングなどの資本集約的あるいは技術集約的産業への転換を計ることにあり、このため高賃金政策をとって労働集約的産業の整理を行ってきた。このほか国内消費用野菜などの集約的栽培、周辺水域での漁業などもみられるが、その規模は小さく、輸入に依存している。
 輸出は、工業化の進展による工業製品と、従来のゴム、木材などの中継貿易とからなり、総額2290億0300万ドルに達する。輸入は機械類、鉱物燃料、化学製品が大部分を占め、総額2627億4300万ドルに及ぶ(2007)。見かけ上は入超が続いているが、金融、海運、観光などの貿易外収入が多く、また外資流入による資本収支が大幅な黒字となっているため総合収支では黒字である。なお全貿易高の13%はマレーシア、これに次いでアメリカ11%、中国11%、インドネシア8%、ついで日本となっている(2006)。シンガポールは世界貿易機関(WTO)が進める自由貿易交渉のほかに二国間自由貿易協定(FTA)にも積極的で、日本、アメリカ、オーストラリア、韓国、インド、ヨーロッパ自由貿易連合(EFTA)をはじめ、ASEAN諸国、中国などの各国と協定を結び、世界規模で推進している。
 シンガポールはまたアジア・ダラーの拠点としても知られ、同国の経済的発展に伴って、ニューヨーク、ロンドン、東京に次ぐ国際金融市場として成長し、1996年にはイギリスの大手銀行バンカーズ・トラストが東京支店の外国為替業務をシンガポール支店に移管するなど、国際金融センターとしての地位を向上させた。シンガポール港は依然として海運の一大中心である。またチャンギ国際空港では年間約3337万人の国際乗降旅客(2006)を運んでいる。鉄道は島を横断してマレーシア本土へ通じる国際線がある。バス網がよく発達し、乗用車は49万8000台(2006)に達している。[別技篤彦・賀陽美智子]

社会・文化

人口のうち中国系は75%を占め、ついでマレー系14%、インド系9%、その他2%であり、複合社会の構造を呈している(2008)。マレー語を国語とし、歴史的条件を考慮してマレー語、中国語、タミル語および英語の4か国語が公用語として認められているが、「行政上の用語」には英語が使われている。イギリス人は著しく減少したが、それにかわって近年はアメリカ人、日本人の進出が目覚ましい。政府は、人口密集地である旧市街地の再開発に着手し、いくつかの高層住宅団地群を建設しており、すでに全人口の30%以上がこの低廉な団地へ移動した。しかし国の経済的発展にもかかわらずなお民族別の生活格差が存在し、「農村(カンポン)」地域に住むマレー人、インド人の不満は大きい。政府は福祉の面においても努力しており、物価上昇率を低く抑え、医療設備を充実させ、またさまざまの厳しい規制を設け(たとえば若者の長髪やたばこの吸い殻の放棄の禁止など)、「アジアのミスター・クリーン」とよばれるにふさわしい清潔な社会を実現している。
 教育制度は小学校6年間、中学校4~5年間、高校1~3年間、大学3年間となっており、義務教育は小学校の6年間のみであるが教育の普及は目覚ましい。小学校1年から英語と他の言語(中国語、タミル語、マレー語のいずれか)を学ぶ二言語(バイリンガル)教育が行われているが、最近では英語を偏重して自国語を軽視する傾向も生じてきたため、その対策が新しい問題となりつつある。大学は、シンガポール大学が古くから有名で、戦後中国人系のための南洋(ナンヤン)大学がつくられたが、現在は統合されて国立シンガポール大学となっている。また南洋工科大学、シンガポール経営大学がある。宗教はそれぞれの民族により異なり、仏教、イスラム教、ヒンドゥー教など各種の宗教が信奉されている。主要日刊紙には英字紙の『ストレーツ・タイムズ』、中国語紙の『聯合(れんごう)早報』などがある。テレビ放送はマレー語、中国語、タミル語、英語の4か国語で放送している。なお、国営のSBC放送は1994年に民営化された。2003年のテレビ保有世帯率は約99%で、東南アジア諸国でもっとも高く、携帯電話加入契約数も100人当り126.7とアジアでもトップクラスである。[別技篤彦・賀陽美智子]

日本との関係

第二次世界大戦後シンガポールは、日本の経済成長を自国のモデルとし、日本との関係は急速に緊密になった。貿易面でも日本は第五の相手国で、日本からの輸入は半導体など電子部品、機械機器、鉄鋼、繊維品などで2兆5660億円、日本への輸出は石油製品、機械機器等で8290億円(2007)である。恒常的に日本側の出超となっている。ジュロン工業団地への投資、無償の資金協力、技術者養成の援助など、シンガポールの経済成長に日本の支援は大きな役割を果たした。1990年代にはシンガポールは援助国に成長し、日本の政府開発援助(ODA)は有償資金協力が1972年度、無償資金協力が1987年度、技術協力が1998年度まで行われたが、以降は打ち切りとなっている。また2万6370人(2006)に及ぶ在留日本人の子弟のため、設備の整った日本人学校も開かれた。日本から訪れる観光客も、1990年代後半には年間100万人を超えるまでになったが、2002年、2003年には重症急性呼吸器症候群(SARS(サーズ))の流行やトリインフルエンザの発生、経済不況の影響などで50万人を割り込むなど激減した。2004年には約60万人にまで回復している。[別技篤彦・賀陽美智子]
『高橋弘殷著『シンガポールからの報告』(1980・日本放送出版協会) ▽岩崎育夫著『アジア二都物語 シンガポールと香港』(2007・中央公論新社) ▽田村慶子著『シンガポールを知るための62章』(2008・明石書店)』

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