ハリソン(英語表記)Harrison, (Thomas) Alexander

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ハリソン
Harrison, (Thomas) Alexander

[生]1853.1.17. フィラデルフィア
[没]1930.10.13. パリ
アメリカの画家。ペンシルバニア美術アカデミーで学び,1878年にパリに行き,エコール・デ・ボザールに入学したが,学校の拘束を嫌ってブルターニュ地方におもむき,海を中心とする風景画を描いた。 82年に『エスパーニュの城』をサロンに出品して名声を博し,以後 87年フィラデルフィアのテンブル金賞をはじめ,各地の展覧会で賞を得た。なお弟のバージ Birge (1854~1929) も画家。

ハリソン
Harrison, Benjamin

[生]1833.8.20. オハイオ,ノースベンド
[没]1901.3.13. インディアナ,インディアナポリス
アメリカの政治家。第 23代大統領 (在任 1889~93) 。曾祖父はアメリカ独立宣言署名者の一人,祖父は第9代大統領。 1852年マイアミ大学卒業。インディアナポリスに移り,同市で弁護士を開業。南北戦争に際し,北軍のインディアナポリス志願兵部隊の指揮官として勇戦,65年名誉准将に昇進。戦後,弁護士に復帰。共和党急進派に属し,81~87年連邦上院議員,88年 G.クリーブランドを破って大統領に当選。大統領として,シャーマン反トラスト法の制定 (90) ,マッキンレー関税法 (90) による高率保護関税政策,第1回米州会議 (89~90) による米州諸国間の結束強化政策など,内政,外交両面に業績を上げた。 92年の大統領選挙では人民党系の支持を得られず,クリーブランドに敗れた。辞任後は,インディアナポリスで弁護士となった。

ハリソン
Harrison, Francis Burton

[生]1873.12.18. ニューヨーク
[没]1957.11.21. ニュージャージー,フレミントン
アメリカの法律家,政治家。ニューヨークで法律事務所を開き,1903~05,07~13年にニューヨーク州選出の連邦下院議員となった。 13~21年はフィリピン総督として,フィリピンの自由主義化と独立準備に努力した。 36年アメリカ人で最初のフィリピン市民となった。

ハリソン
Harrison, Frederic

[生]1831.10.18. ロンドン
[没]1923.1.14. バス
イギリスの哲学者,伝記作家,法律家。オックスフォード大学を卒業後,1855年パリでコントに会いその影響を受け,80年にイギリス実証主義哲学協会を創設,初代会長をつとめた。主著『歴史の意味』 The Meaning of History (1862) ,『秩序と進歩』 Order and Progress (75) ,『クロムウェル伝』 Oliver Cromwell (88) 。

ハリソン
Harrison, John

[生]1693.3.28. ヨークシャー,フォールビー
[没]1776.3.24. ロンドン
イギリスの時計師。大工の子として生れる。 1714年イギリス政府は2万ポンドの賞金を出して,正確な船舶用時計を募集した。その条件は,西インドまでの航海を終ったとき,グリニッジ時刻と地方時刻との差ではかる経度の狂いが 0.5度以内であれば採用するというものであった。 35年に第1号を完成し懸賞に応募した。その後も改良・小型化に努め,59年には懐中時計より少し大型のクロノメータを完成。このクロノメータは 61~62年の海上実験の結果,ジャマイカに到着したときの誤差はわずかに5秒,経度の狂いは 1.25分にすぎなかった。またぜんまいを巻上げる間も正確に動き続けるように工夫されていた。ハリソンは,73年に賞金の全額を獲得した。

ハリソン
Harrison, Thomas

[生]1616. スタフォードシャー,ニューカースルアンダーライム
[没]1660.10.13. ロンドン
イギリス,清教徒革命期の軍人。肉屋の子に生れ,革命の勃発とともにエセックス伯 (3代) の軍に入り,相次ぐ戦功によって昇進し,指導的な独立派将校としてマーストンムーアの戦いネーズビーの戦いにも参加。 1646年下院議員。急進的独立派として長老派と鋭く対立し,48年第2次内乱が起ると平等派との妥協を説いたが,のち O.クロムウェルや H.アイアトンを支持して平等派を弾圧。チャールズ1世の裁判に参加し,その処刑を主張して死刑執行令状に署名。 49年ウェールズに遠征して第五王国派の思想に共鳴,「聖者の支配」の実現を決意。 51年国務会議の委員となり,ウースターの戦いに従軍してスコットランドの脅威を排除したのち,急進的改革に基づく「聖者の支配」実現に奔走したが,53年理想と異なる護国卿政権が成立したためクロムウェルと決裂し,55~56,58~59年の2度投獄された。王政復古後亡命を拒んで逮捕され,国王弑逆者として処刑された。

ハリソン
Harrison, Wallace Kirkman

[生]1895.9.28. マサチューセッツ
[没]1981.12.2. ニューヨーク
アメリカの建築家。近代的なデザインの摩天楼の設計家として知られている。 1947年からニューヨークの国連本館の計画委員長をつとめた。事務局棟の設計に際し,大面積のカーテンウォールと,周囲から独立した長大なスラブ面を立面に用いて,摩天楼建築に画期的な表現をもたらした。主作品はロックフェラー・センター (1929~40,ニューヨーク) ,アルコア・ビル (53,ピッツバーグ) ,メトロポリタン歌劇場 (66,ニューヨーク) 。

ハリソン
Harrison, William

[生]1534.4.18. ロンドン
[没]1593. バークシャー,ウィンザー
イギリスの地誌学者,社会史家。ケンブリッジ,オックスフォード両大学に学んだのち聖職につき,1559年ラドウィンターの教区牧師。 86年からウィンザーの聖堂参事官をつとめた。エリザベス朝の社会について記した『イギリス誌』 The Description of England (1577) によって知られる。

ハリソン
Harrison, William Henry

[生]1773.2.9. バージニア,チャールズシティー
[没]1841.4.4. ワシントンD.C.
アメリカの軍人,政治家。第9代大統領 (在任 1841.3.~4.) 。父はアメリカ独立宣言署名者の一人。フィラデルフィア医科大学を中退,陸軍に入り,1791~98年インディアンの討伐戦に参加。 98年ノースウェスト・テリトリー (北西部領地) の総督。 99年准州代表として議会に送られ,1800~11年インディアナ准州総督。 02年インディアン特別監督官となり,白人居住地開拓の協定交渉にあたった。 12年アメリカ=イギリス戦争開始とともに准将となり,北西部軍団司令官としてテムズ川の戦いでイギリス=インディアン連合軍を破った。 13年少将。 16~19年連邦下院議員,19~21年オハイオ州上院議員,25~28年連邦上院議員を経て,28~29年初代コロンビア駐在大使。 40年ホイッグ党から大統領に当選。 41年3月4日就任し,1ヵ月後に死去。

ハリソン
Harrison, Sir Rex

[生]1908.3.5. イギリス,ヒューイトン
[没]1990.6.2. アメリカ合衆国,ニューヨーク,ニューヨーク
イギリスの舞台・映画俳優。本名 Reginald Carey Harrison。風刺劇や知的コメディで,都会的だが一癖あるイギリス紳士を巧みに演じた。中等学校を卒業後,16歳でリバプール・レパートリー劇場(→レパートリー・シアター)の見習い団員となった。1930年ロンドンで初舞台を踏み,同じ年に映画デビュー作 "The Great Game"が公開。第2次世界大戦中はイギリス空軍に所属し,終戦後,『陽気な幽霊』Blithe Spirit(1945)などの映画でスターの仲間入りを果たした。『アンナとシャム王』Anna and the King of Siam(1946)でアメリカ映画にデビュー。ブロードウェーで上演された舞台『1000日のアン』Anne of the Thousand Days(1948~49)でトニー賞を受賞した。ヒギンズ教授役を演じた舞台『マイ・フェア・レディ』My Fair Lady(1956~57)は代表作となり,2度目のトニー賞を受賞。さらに 1964年制作の映画版でも同じ役を演じ,アカデミー賞主演男優賞を獲得した。1990年にリバイバル上演されたウィリアム・サマセット・モームの戯曲『ひとめぐりThe Circleが最後の舞台となり,死の 1ヵ月前まで舞台に立ち続けた。1989年ナイトの称号を授与された。

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デジタル大辞泉の解説

ハリソン(George Harrison)

[1943~2001]英国のロックシンガー。もとビートルズのメンバーで、おもにギターとボーカルを担当。「サムシング」などのヒット曲を生み出した。1970年のビートルズ解散後もソロで活動を続け、「マイスイートロード」などをヒットさせた。ハリスン。→ビートルズ

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百科事典マイペディアの解説

ハリソン

英国の時計技術者。海上で正確な経度を知るのに必要な精密時計(クロノメーター)の製作を志し,1735年に第1号を完成,その後も改良を進め,最後の第4号は英国政府の課した条件を完全に満たした。

ハリソン

イギリスのポピュラー音楽家。ハリスンとも。リバプール生れ。ロック・グループのビートルズのメンバー。リードギター担当で,《サムシング》や《ヒア・カムズ・ザ・サン》などの作曲も行った。1970年ビートルズが事実上解散するとソロ活動に転じ,《マイ・スウィート・ロード》などをヒットさせた。インド文化に興味をもち,演奏にインド楽器のシタールを取り入れるなどした。1971年にバングラデシュ難民救済のためのチャリティー・コンサートを主催するなど,慈善活動にも情熱を注いだ。→レノン

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世界大百科事典 第2版の解説

ハリソン【Benjamin Harrison】

1833‐1901
アメリカ合衆国第23代大統領。在職1889‐93年。第9代大統領W.H.ハリソンの孫としてオハイオ州に生まれた。生涯有能な弁護士であったが,共和党結成に参加し,南北戦争には大佐として従軍した。1881年連邦上院議員となり,88年共和党から立候補し,S.G.クリーブランドを破って大統領に当選した。彼の任期中,マッキンリー関税法とシャーマン銀鋳造法が制定され,南北戦争兵士の軍人年金が増額された。【安武 秀岳】

ハリソン【John Harrison】

1693‐1776
イギリスの時計技術者。1714年,イギリス政府は,海上において標準時と地方時の差から正確な経度(誤差30マイル以内)を測定する方法の考案者に対して2万ポンドの賞金を設定した。ハリソンは,このための正確な時計であるクロノメーター製作に挑戦し,熱膨張率の異なる金属を用いることで温度による長さの変化がない補正振子を発明,35年のクロノメーター第1号をはじめとし,その後も,ぜんまい巻きによる時間の狂いを防いだり,小型化するなどのくふうを重ね第4号までを完成させた。

ハリソン【William Henry Harrison】

1773‐1841
アメリカ合衆国第9代大統領。在職1841年。アメリカ独立宣言署名者B.ハリソンの三男陸軍に入り1798年北西部準州行政官,1801‐12年インディアナ準州知事,第2次英米戦争中の北西部地方司令官を経て,戦後オハイオ州選出の上下両院議員,コロンビア駐在公使を歴任した。インディアン討伐の経歴と丸太小屋に住み果実酒を飲む典型的な西部農民というふれこみ宣伝に乗って,40年ホイッグ党から大統領に当選。しかし就任直後急死した。

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大辞林 第三版の解説

ハリソン【John Harrison】

1693~1776) イギリスの時計技術者。クロノメーターを発明、航海術の進歩に貢献。また、温度変化に伴う誤差を修正できる温度補正振り子を考案。

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367日誕生日大事典の解説

ハリソン

生年月日:1534年4月18日
イギリスの地誌学者,社会史学者
1593年没

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精選版 日本国語大辞典の解説

ハリソン

[一] (John Harrison ジョン━) イギリスの時計技師。時計技術の改良に貢献、温度変化で振子の長さの変わらない補正振子を考案。また、精度の高い航海用時計を製作した。(一六九三‐一七七六
[二] (Benjamin Harrison ベンジャミン━) アメリカ合衆国の政治家。第二三代大統領(在任一八八九‐九三)。共和党。保守主義者。高率保護関税(マッキンリー関税法)など前大統領以来の政策を引き継ぎ、一八八九年第一回汎米会議を招集した。(一八三三‐一九〇一
[三] (Ross Granville Harrison ロス=グランビル━) アメリカの動物学者。組織培養法の創始者。実験発生学を研究、神経組織の発生に関する研究などがある。(一八七〇‐一九五九

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世界大百科事典内のハリソンの言及

【クロノメーター】より

…17世紀初めイギリスの軍艦が座礁事故を起こし,この原因が経度測定の不正確さに起因するものと結論され,1714年にイギリスはイギリス~西インド諸島間の航海で経度誤差が30′以内の測定を達成したものに賞金をかけた。これに対しハリソンJohn Harrison(1693‐1776)は,35‐60年にかけて第1号から第4号までのクロノメーターを製作し,この条件を完全に満たすことに成功した。クロノメーターの実用化は航海に大きな貢献を果たしたが,現在ではラジオの報時放送や水晶発振器を使った電子時計が簡便に利用できるようになり,クロノメーターはあまり使われていない。…

【クロノメーター】より

…17世紀初めイギリスの軍艦が座礁事故を起こし,この原因が経度測定の不正確さに起因するものと結論され,1714年にイギリスはイギリス~西インド諸島間の航海で経度誤差が30′以内の測定を達成したものに賞金をかけた。これに対しハリソンJohn Harrison(1693‐1776)は,35‐60年にかけて第1号から第4号までのクロノメーターを製作し,この条件を完全に満たすことに成功した。クロノメーターの実用化は航海に大きな貢献を果たしたが,現在ではラジオの報時放送や水晶発振器を使った電子時計が簡便に利用できるようになり,クロノメーターはあまり使われていない。…

【時計】より

…これ以前は大洋の航海は,緯度(南北位置)は天体の観測で決定できても,経度(東西位置)はほとんど勘に頼る状態であった。重大な難破で貴重な船,積荷,人命が失われることはしばしばであり,各国で多額の賞金をかけた経度測定法発見の奨励が行われ,イギリスのJ.ハリソンが完成した時計が1762年および64年に経度委員会の定めた基準を上回る成績を実際航海で実証した。この後も優れた時計師たちが経度測定時計(クロノメーター)に挑戦し,温度補正や等時性の改良に役だつ装置を考案,これが一般の時計の精度を著しく向上させる結果となった。…

※「ハリソン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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