バー(英語表記)bar

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デジタル大辞泉 「バー」の意味・読み・例文・類語

バー(bar)

横棒。また、棒状のもの。特に、高跳びや棒高跳びの横木や、バレエの練習のとき、つかまってからだを支える横木。
カウンター形式の洋酒の酒場。転じて、洋酒を飲ませる酒場。
レストランなどに設けた小コーナー。「サラダバー
五線譜の小節を区切るための縦線。また、小節。
[類語](1棍棒ポール棒杭棒切れ延べ棒丸太丸太ん棒竿/(2酒場飲み屋割烹縄暖簾ビヤホールビヤガーデンパブスナッククラブキャバレー居酒屋レストラン料亭料理屋食堂飲食店飯屋喫茶店菜館飯店茶房茶店割烹店パーラーグリルカフェテリア

バー【VER】[Verified Emission Reductions/Voluntary Emission Reductions]

Verified Emission ReductionsVoluntary Emission Reductions》⇒ブイ-イー-アール(VER)

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精選版 日本国語大辞典 「バー」の意味・読み・例文・類語

バー

  1. 〘 名詞 〙 ( [英語] bar )
  2. カウンター形式の洋酒酒場。また、そのカウンター。転じて、洋式の酒場。
    1. [初出の実例]「夫から三人でバーへ行った」(出典:満韓ところどころ(1909)〈夏目漱石〉七)
  3. 棒。横木。高跳びや平行棒の横木、バレエの練習でつかまってからだを支える手すりなど。〔舶来語便覧(1912)〕
    1. [初出の実例]「ジャンプ競技は〈略〉バアを一センチあげても、一尺あがったような恐怖を感じてしまうものだ」(出典:安吾巷談(1950)〈坂口安吾〉世界新記録病)
  4. 五線譜で小節。また、小節に区切る縦線。〔楽典初歩(1888)〕
  5. レストランなどに設けた小コーナー。「サラダバー

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改訂新版 世界大百科事典 「バー」の意味・わかりやすい解説

バー
bar

昔のヨーロッパの居酒屋tavernには宿屋innを兼営しているものが多かった。それが,今日のイギリスで総称的にパブと呼ばれている居酒屋の原型である。これらの店の前には,馬で乗りつけた客が手綱を結びつけられるように,2本の杭にさしわたした1本の横木,すなわちバーbarが用意されていた。それがやがて16世紀後半のイギリスで,カウンターとその横木を備え,酒や食物を提供した居酒屋を意味するようになり,さらに禁酒法時代のアメリカで,ソフトドリンクや菓子類などを販売するカウンター形式の店をも意味するようになった。

 日本に“洋風酒場”としてのバーが登場したのは,明治初年のこととされる。その元祖ともいうべきは,1897年ごろには東京銀座の尾張町西側にあった函館屋で,〈間口三間の店に細長いスタンド,左右の棚には奥までいっぱいの洋酒の瓶,……まず高級のバーであった〉と,山本笑月の《明治世相百話》は書いている。バーを称したのは浅草花川戸(現,浅草1丁目)の神谷バーあたりが古く,この店はのちに〈電気ブラン〉という甘く強い酒をつくって人気を集めた。しかし,バーが普及するのは関東大震災後の大正末期からで,1930年ごろから7~8年間が流行のピークとなり,〈十銭スタンド〉と呼ぶ安価な洋風酒場が各所に続出した。第2次大戦後は,店のオーナーもしくは支配人としての役割を果たす“ママ”と呼ばれる女性と,“女給”,のちには“ホステス”と呼ばれるようになる女性が,客の話し相手となり,あるいはダンスの相手となって接待サービスを提供しながら酒を飲ませるタイプのバーが,とくに昭和30年代に増加し,折から始まった高度成長時代の日本のサラリーマンに,過酷な労働のあとの遊びと憩いの場を提供するようになった。もちろん他方には,ウィスキーやカクテルなど洋酒そのものを売りものとする専門のバーテンダーのいるバーが皆無であったわけではないが,ふつうバーといえば,〈風俗営業の洋風酒場〉を意味する風潮が一般的となったことは否めない。そして,そこではむしろバーテンダーは脇役にまわり,ママやホステスが顧客接待の主役となった。なお,その後,1964年の東京オリンピックを契機として厳しくなった風俗営業に対する規制と取締りをのがれるために,少なからざるバーが,主として昭和40年代に,業態を飲食店の営業許可だけで開業できるスナックに転換して,今日に至っている。
執筆者:


バー
Ba

古代エジプトにおける,カー,アクAkhとならぶ三つの霊(魂)的な概念の一つ。普通,顎髭をはやし,人間の手をもった人頭の鷹で,死すべき肉体(カート)たる死者のミイラの上を飛び回り,一方の手で空気や呼吸を表すふくらんだ帆をミイラの鼻穴にあて,他の手に生命のシンボルたるアンクを持った姿で表現される。バーは個人の死のときに生まれ,地上にあってはカーとともに死者の墓所に住み,その供物の分け前にあずかり,天上にあってはラー神やオシリス神とともにあるといわれている。
執筆者:


バー
Aaron Burr
生没年:1756-1836

アメリカ合衆国第3代副大統領。在職1801-05年。1800年の大統領選挙において選挙人獲得数ではT.ジェファソンと同数であったが,下院での決選投票で敗れた。副大統領任期中,彼に対する個人的攻撃を理由にA.ハミルトンと決闘し,死に至らしめた(1804)。07年西部諸州の合衆国からの分離を企てたことで反乱罪に,メキシコ侵攻を扇動したことで軽罪に問われたが,いずれも無罪とされた。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「バー」の意味・わかりやすい解説

バー
ばー
bar

バーテンダーがカクテルや洋酒を供する欧米風の酒場をいう。本来は棒や横木のことで、アメリカの酒場で酒樽(さかだる)と客の間を仕切った棒からきたという説、あるいはヨーロッパの居酒屋で、客の馬をつなぐために設置した杭(くい)と横木から出たという説、さらには四阿(あずまや)の意のバウァーbowerからきたなどの説がある。

 日本のバーの始まりは、1860年(万延1)横浜の外国人居留地に開業したオランダ人経営の横浜ホテルに設けられた外国人相手の酒場だと思われる。63年(文久3)にやはり横浜にできたイギリス人創設のクラブの中のバーには、日本人の武士も訪れて飲酒したという。もっぱら日本人を対象としたバーの嚆矢(こうし)は、1870、80年代(明治初期)東京・銀座の函館(はこだて)屋と浅草雷門(かみなりもん)の神谷(かみや)バーとされる。前者は舶来上等の洋酒の瓶で左右の棚を埋めた高級バーで、氷水や氷菓も供し、新橋芸妓(げいぎ)も出入りした。後者は洋酒の一杯売りを手始めに、のちブランデーを原料とする電気ブランで人気をよんだ居酒屋風大衆バーで、現在も浅草で営業を続けている。第二次世界大戦前は1920年代後半から30年代前半がカフェーやバーの全盛期であり、戦後は洋酒ブームや高度経済成長期の社用族の隆盛にのって高級バーが増加するかたわら、庶民的なスナックバーが各地でみられるようになった。

 本格派バーの楽しみは、ウイスキーやブランデー、リキュール、ワイン、各種のカクテルの味わいのほか、人生経験豊かなバーテンダーやマダム、あるいは常連客同士の会話にあるとされ、特殊なバーとしては、ビリヤードができるプールバー、独特の雰囲気のあるゲイバーなどがある。1990年代になるとしゃれたインテリアのカフェバー、ワインバー、食事もできるダイニングバーなどが若い男女の間で人気を集めるようになった。

[森脇逸男]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バー」の意味・わかりやすい解説

バー
Burr, Aaron

[生]1756.2.6. ニュージャージー,ニューアーク
[没]1836.9.14. ニューヨーク
アメリカの政治家。ニュージャージーの著名な清教徒の家系に生れた。 16歳でニュージャージー・カレッジ (のちのプリンストン大学) を卒業後,神学を学んだが,福音を拒否し,独立戦争の際は G.ワシントンの幕僚として戦った。 1782年ニューヨークで弁護士を開業,89年州検事総長,91年連邦上院議員,1801~05年に T.ジェファーソン政権の副大統領となったが,ニューヨーク州知事選挙をめぐって 04年7月 11日に政敵 A.ハミルトンと決闘し死亡させて逃亡。フィラデルフィアで友人 J.ウィルキンソン将軍と会いメキシコを侵略し,ニューオーリンズを首都とする独立の西部帝国建設の陰謀を相談。ウィルキンソンの裏切りにより,この「バーの陰謀」が発覚して裁判にかけられたが釈放された (1807) 。その後の数年間を国外に過し,帰国 (12) 後,弁護士として晩年をおくった。

バー
Barr, Amelia Edith

[生]1831.3.29. ランカシャー,アルバーストン
[没]1919.3.10. ニューヨーク
アメリカの女流作家。旧姓 Huddleston。イギリスで生れ,1853年渡米,テキサスに住み,夫と子供に死別したのちニューヨークに移り,『ロマンスと現実』 Romance and Reality (1872) ,『ジャン・ベダーの妻』 Jan Vedder's Wife (85) 以下,70冊をこえる感傷性の強い小説を発表した。

バー
Wāh

パキスタン北東部,パンジャブ州,ラワルピンディー県の町。ラワルピンディーの北西約 40kmに位置する。ラワルピンディーとペシャワルを結ぶ鉄道,道路が通り,スリナガル (インド) への道路が分岐する。工業中心地として発展を続けており,インド亜大陸最大級のセメント工場のほか,兵器,トラクタ,織物,農機具工場などがある。人口 12万 2335 (1981) 。

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百科事典マイペディア 「バー」の意味・わかりやすい解説

バー

16世紀後半の英国で,酒や軽い食事を出すカウンターをバーbarと呼んだが,やがてこれを備える店barroomをアメリカ英語でバーというようになった。日本にバーが登場したのは明治初年ごろとされ,大正末には普及し,1930年ごろ最盛となった。戦後再び全国的に増加。
→関連項目カフェ

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世界大百科事典(旧版)内のバーの言及

【海岸】より

…房総半島の九十九里平野や北海道の湧払平野などがその代表例である。砂浜は粗粒~細粒の砂から構成され,前浜から後浜にかけてバーム(汀段)とよばれる平たんでその表面がほぼ水平な地形が汀線に平行して発達する。その前浜は構成物質が粗粒なほど急傾斜の斜面となる。…

【バレエ】より

… イギリスは長らくバレエの輸入国にとどまっていたが,1930年〈カマルゴ協会〉が生まれ,イギリスのバレエを創造する運動が起こった。この協会は二つのバレエ団〈ビック・ウェルズ・バレエ団〉と〈ランバート・バレエ団〉(ともに1931創立)によって,古典の再演と同時にイギリス人の手になる作品を上演し,ついにイギリス・バレエという名に価するものを樹立した。以来,順調な発展を示し,ことに〈ビック・ウェルズ・バレエ団〉は〈ローヤル・バレエ団〉に発展したばかりでなく,〈サドラーズ・ウェルズ・ローヤル・バレエ団〉という別組織のバレエ団をもつほどに成長した。…

【エジプト美術】より

…新王国では奉仕人形よりもウシャブティを多数墓室に納めた。これは墓の主の分身を意味するミイラ形の人形で,死者の霊魂バーがオシリスの楽園で農耕に従事するとき霊魂に代わって働くものと信ぜられた。カーよりもバーが重視されるように信仰が変わったのである。…

【形材】より

…これらを総称して形材といい,とくに鋼材の場合に形鋼shaped steelと呼ぶ。形鋼,棒状に圧延された棒鋼,線材,レール材などの長さがその断面の大きさに比べて著しく長い鋼材は条鋼barと総称される。 形材のうちで最も多量に生産されているのはアルミニウム合金の押出材であり,多様な断面の形材が製造され,建材,装飾用部材として活用されている。…

【バール】より

…(1)圧力の単位で,記号はbar。1bar=105Paである。…

【バレエ】より

…一般にはバレエ作品の中の独舞は,ほとんどすべてバリアシヨンと呼ばれる。バールbarreクラシック・ダンスの練習場の壁に沿って設けられた横木。またはこの横木を支えとして行う,クラシック・ダンスの練習体系の一部分をいう。…

【パンジャーブ】より

…水系網の河間の地がドアーブdoāb(〈二つの川〉の意)で,多くは両側を流れる河川名にちなむ名をもつ。ドアーブは河流沿いのベートbethと呼ばれる狭長な新しい沖積低地と,その背後の比高6~10mの崖によって画されるバルbarと呼ばれる古い沖積台地からなる。用水路灌漑化以前には井戸灌漑が可能な山麓部などを除くとバルの大部分は放牧に利用されるにすぎず,農業はベートとその周辺に限られていた。…

【拍子】より

…西洋近代の5線記譜法では,視覚的便宜をはかって,拍のまとまりごとに縦線が引かれている。これを小節線bar,bar‐lineといい,これによって仕切られた1区画を小節bar,measureという。一つの小節は拍子の1単位に相当し,原則として小節線のすぐ後の拍(第1拍)が強拍(下拍ともいう)にあたる。…

※「バー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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