上宮寺(読み)じょうぐうじ

精選版 日本国語大辞典 「上宮寺」の意味・読み・例文・類語

じょうぐう‐じジャウグウ‥【上宮寺】

  1. [ 一 ] 茨城県那珂市本米崎にある浄土真宗本願寺派の寺。山号は原山。承久三年(一二二一創建親鸞に帰依した明法房弁円の開山と伝えられる。本尊阿彌陀如来像は円仁(えんにん)の作と伝えられる。正法院。那良原山霊法院。
  2. [ 二 ] 愛知県岡崎市上佐々木町にある真宗大谷派の寺。山号は太子山。推古天皇二九年(六二一聖徳太子開基と伝えられる。もと天台宗。嘉禎元年(一二三五蓮行が改宗した。聖徳院。聖徳皇院。

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日本歴史地名大系 「上宮寺」の解説

上宮寺
じようぐうじ

[現在地名]岡崎市上佐々木町 梅ノ木

上佐々木かみささきの北端に位置する。寺域の北から西端は慶長一〇年(一六〇五)まで二筋の矢作川支流が合流してできた妙覚みようかく池であった。北約二〇〇メートル付近を通称鎌倉街道が通り、矢作西やはぎにし宿があったと比定されている。

太子山聖徳皇しようとくこう院と号し、真宗大谷派。本尊阿弥陀如来針崎勝鬘はりさきしようまん寺、野寺本証のでらほんしよう(現安城市)とともに真宗三河三ヵ寺の一。寺伝によれば、聖徳太子が巡行の折、志賀須賀しがすがの里と称されていたこの地を仏法繁盛の地とし、自ら自作太子像と阿弥陀如来像を刻み開基となるという。その後大宝元年(七〇一)元興がんごう寺の僧道空(道宣か)が一宇を建立、源智が比叡山延暦寺善林坊より来住し、二坊七堂の伽藍を造営、当山天台宗の開祖となるという。

第二三代蓮行は嘉禎元年(一二三五)親鸞の矢作やなぎ(妙源寺太子堂)にての説法を聴聞し真宗に改めた。蓮行の弟子で源頼朝の臣佐々木盛綱は西念と称していたが、蓮願と改め上宮寺現時の血脈の祖となると伝える。なお蓮願は親鸞聖人門侶交名牒(妙源寺蔵)に、妙源寺念信の法系に連なる者としてその名がみえる。真宗転化後、専修寺派本願寺派いずれに属したかは不明であるが、方便法身尊号裏書(上宮寺蔵)に「三河国志貴庄佐々木上宮寺安置本尊也、寛正二歳九月二日大谷本願寺蓮如(花押)願主如光」とあるので、寛正二年(一四六一)当時には本願寺派となっていた。


上宮寺
じようぐうじ

[現在地名]那珂町本米崎

松原まつばらにあり、境内には欅・銀杏巨木が茂る。楢原山正法院と号し、浄土真宗本願寺派。本尊は阿弥陀如来。

親鸞の直弟明法房の開基で、最初は久慈西郡塔之尾とうのお(現大宮町)にあったが、天正五年(一五七七)額田ぬかだに移り、同一一年現在地に移った。寛文三年(一六六三)開基帳(彰考館蔵)によると除地寺内七石余を有した。寺伝によると明法房はもと山伏で、幼にして京都聖護しようご院の門弟となり、播磨公弁円と号して修験道を学んだ。のち常陸国金砂かなさ(現久慈郡金砂郷村)の城主佐竹末賢に聘せられ、塔之尾に護摩堂を建て、国中修験の大先達となり、領内の崇敬が厚かった。


上宮寺
じようぐうじ

[現在地名]明日香村大字上居

上居じようご集落の上手に位置。仏生山上宮皇院と号し、浄土宗。本尊阿弥陀如来。寺伝では聖徳太子上宮かみみやの地と伝え、「高市郡古跡略考」などは上宮を浄御じようごの転とし、天武天皇の飛鳥浄御原あすかきよみはら宮跡に擬している。しかし地形狭隘のため、一般的に否定されている。ただ境内北斜面から奈良前期の瓦片の出土を伝え、境内に鎌倉期の様式をもつ宝篋印塔(三基)・層塔などがある。


上宮寺
じようぐうじ

[現在地名]旭川市神居一条一丁目

真宗誠照寺派。聖徳山と号する。本尊は阿弥陀如来・聖徳太子。大正一一年(一九二二)八月堀切広道が現十条通じゆうじようどおり一〇丁目に聖徳太子鑽仰の目的で上宮教会を創立。同一三年一一月宮下通みやしたどおり移転


上宮寺
じようぐうじ

[現在地名]江南市前飛保

太子山と号し、真宗大谷派。本尊阿弥陀如来。境内一千一四三坪。創建不詳。「府志」によれば、初め太子たいし堂と称し天台宗。延応元年(一二三九)、「尾張志」では同九年、正慶が親鸞に帰依し浄土真宗に改めた。天文一六年(一五四七)の曼陀羅寺祠堂年貢注文写(曼陀羅寺文書)に「小作上宮寺」とみえる。

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改訂新版 世界大百科事典 「上宮寺」の意味・わかりやすい解説

上宮寺 (じょうぐうじ)

愛知県岡崎市にある真宗大谷派の寺。山号は太子山。寺伝では親鸞の三河柳堂の行化で帰依したという蓮行を開基とするが,桑子妙源寺の分寺で,その孫弟蓮願に始まる。当初高田派であったが,本願寺存如のころから本願寺派に転じたようで,1461年(寛正2)には蓮如裏書の本尊を下付されている。時の住持如光は,本願寺破却にあたって上洛し,比叡山に礼銭をつきつけて解決したことで有名。84年(文明16)の如光弟子帳には105の末寺道場が記録される大勢力を形成していた。三河一向一揆は,当寺寺内への糧米徴発に端を発している。
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