デジタル大辞泉
「五節」の意味・読み・例文・類語
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ご‐せち【五節】
〘名〙 (「
春秋左伝‐昭公元年」の条に見える、遅・速・本・末・中という音律の五声の節に基づくという)
① 奈良時代以後、大嘗会
(だいじょうえ)および毎年陰暦一一月の新嘗会
(しんじょうえ)に行なわれた五節の舞を中心とする
儀礼の行事。
起源は、天武
天皇が吉野の滝の宮で琴を弾いた時に、前山に神女が現われて袖を五度翻して舞った故事によるという。一一月中の丑・寅・卯・辰の四日にわたって行なわれる。前もって五節定めで選定した
舞姫を丑の日に宮中に召し、帳台の試みがある。寅の日には殿上の
淵酔(えんすい)、その夜、
御前の試みがあり、卯の日には童女
(わらわ)御覧がある。辰の日に、
豊明節会(とよのあかりのせちえ)の宴があり、正式に五節の舞が演じられる。
後世には大嘗会にだけ上演され、さらにそれも廃止されたが、大正・昭和・平成(昭和と同曲)の
即位に際し、作曲して行なわれた。ごせつ。《季・冬》
※続日本紀‐天平一五年(743)五月癸卯「宴二群臣於内裏一、皇太子親儛二五節一」
※右京大夫集(13C前)「いづれのとしやらむ、五せちのほど内裏ちかき火の事ありて」
※
小右記‐永祚元年(989)九月二一日「可
レ献
二五節
一、但唐衣之外不
レ可
レ令
レ着
二織物綾
一」
※
増鏡(1368‐76頃)八「
上達部みな五節のまねをして、色々の衣あつづまにて」
※
内裏式(833)十一月新嘗会式「坐定奏
二大歌
一舞
二五節
一」
※
延喜式(927)三一「凡諸節賜
二群官饗
一者〈略〉正月七日。十七日。五月五日。七月廿五日。十一月新嘗会等五節」
ご‐せつ【五節】
〘名〙
※金刀比羅本保元(1220頃か)下「折々の御遊、〈略〉五節
(ゴセツ)豊の明、加様に興ある事共、只今の様に
思召出されて」
※浄瑠璃・雪女五枚羽子板(1708)上「藤内太郎が
文武の
器量、将軍義教公の上聞に達し〈略〉
年頭・五節
(ゴセツ)の御目見え」
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
五節
ごせち
令制で規定された七節日のうち,平安初期にそれぞれ桓武天皇の忌月,平城(へいぜい)天皇の国忌(こき)と重なって停止された3月3日・7月7日をのぞいた五つの節会(せちえ)。つまり元日・白馬(あおうま)・踏歌(とうか)・端午・豊明(とよのあかり)(新嘗祭(にいなめさい)の翌日の11月中辰の日)の各節会のこと。また大嘗会(だいじょうえ)や新嘗会などで,公卿や国司などから召し出された未婚の少女による五節舞を中心とする儀式をさすこともある。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報