出雲(市)(読み)いずも

  • 出雲

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

島根県北東部、出雲地方の中心都市。1941年(昭和16)市制施行。1955年朝山(あさやま)、稗原(ひえばら)、上津(かみつ)の3村、1956年神門(かんど)、神西(じんざい)、長浜(ながはま)の3村を編入。2005年(平成17)平田市および佐田(さだ)、多伎(たき)、湖陵(こりょう)、大社(たいしゃ)の4町と合併し、新しい出雲市となり、2011年簸川(ひかわ)郡斐川(ひかわ)町を編入。北部は島根半島の丘陵地、中央部は出雲平野、南部は中国山地からなる。出雲平野は斐伊(ひい)川、神戸(かんど)川の沖積地。灌漑(かんがい)用水路として1687年(貞享4)開削された高瀬川が市街地を通っている。JR山陰本線と一畑(いちばた)電車の分岐点で、知井宮(ちいみや)にはJRの車輌基地が建設されている。また、国道9号、184号、431号が通じ、東京、大阪、福岡、名古屋などとを結ぶ高速バスが運行する。北東部に出雲空港があり、仙台、東京、名古屋、福岡などとの間に便がある。斐川町神庭(ひかわちょうかんば)の国指定史跡荒神谷遺跡(こうじんだにいせき)は大量の銅剣が出土したことで著名(出土品は国宝に指定)。大社町は出雲大社の鎮座地。上塩冶(かみえんや)地蔵山、今市大念寺(だいねんじ)、上塩冶築山(つきやま)、宝塚、上島(あげしま)などの古墳は県下の後期古墳の代表的なもので国の史跡に指定されている。中心地の今市は室町時代からの市場町で、平田町は江戸から明治期、雲州木棉の集積地として賑わった。明治中期の山陰本線開通で阪神経済圏との接触が促進され、地方商業都市としての性格を強めた。工業は繊維工業を主とし、大正末期に出雲製織(後の大和(だいわ)紡績)が大型工場として操業を始めたのに続き、グンゼ、鐘紡(かねぼう)(後のカネボウ)、都築(つづき)紡績(現、KBツヅキ)も進出し、中海(なかうみ)新産業都市の西の中心となった。1975年島根医科大学が設置(学生受け入れは1976年。2003年島根大学と統合)され、長浜工業団地の造成などで出雲地区広域市町村圏の中核都市へ発展している。在来工業として出雲藍染(あいぞ)め、張り子の虎(とら)、万祥山焼などがある。出雲平野は米作が盛んで、ブドウやカキなどの果樹栽培、園芸、畜産も行われている。市内には出雲大社をはじめ、立久恵(たちくえ)峡、一畑薬師、鰐淵(がくえん)寺、多伎いちじく温泉、日御碕(ひのみさき)、島根ワイナリーなど観光資源が豊富。出雲大社の本殿は国宝、また楼門などの建築群は重要文化財に指定されている。見々久神楽(かぐら)、切明(きりあけ)神事は県の無形民俗文化財であり、そのほか、八岐大蛇(やまたのおろち)伝説ゆかりの「斐伊川祭り」「おろち太鼓祭り」や、「一式(いっしき)飾り」で知られる平田天満宮祭などが行われている。面積624.36平方キロメートル、人口17万1938(2015)。

[石橋忠男]

『『出雲市三十年誌』(1973・出雲市)』『『出雲市四十年誌』(1982・出雲市)』『『出雲市五十年誌』(1992・出雲市)』『『出雲市六十年誌』(2002・出雲市)』


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