太山寺(読み)タイサンジ

デジタル大辞泉 「太山寺」の意味・読み・例文・類語

たいさん‐じ【太山寺】

神戸市西区にある天台宗の寺。山号は三身山。霊亀2年(716)元正天皇の勅願により藤原宇合ふじわらのうまかいが定恵を開山として建立と伝える。本堂国宝
愛媛県松山市にある真言宗智山派の寺。山号は滝雲山。用明天皇のころ、真野長者の建立と伝える。四国八十八箇所第52番札所。本堂は国宝。

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精選版 日本国語大辞典 「太山寺」の意味・読み・例文・類語

たいさん‐じ【太山寺】

  1. [ 一 ] 兵庫県神戸市西区伊川谷町前開にある天台宗の寺。山号は三身山。霊亀二年(七一六藤原鎌足の孫宇合(うまかい)の創建と伝えられる。開山は定恵(鎌足の長男)。薬師如来七体を安置し、元正天皇の勅願寺となった。本堂は国宝。太山寺薬師。
  2. [ 二 ] 愛媛県松山市太山寺町にある真言宗智山派の寺。山号は滝雲山。用明天皇のとき、豊後国(大分県)の真野長者が創建したと伝えられる。後冷泉天皇から後白河天皇までの白河天皇をのぞいた歴代の天皇が納めた十一面観音六体を安置している。本堂は国宝。四国八十八所の第五二番札所。護持院

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日本歴史地名大系 「太山寺」の解説

太山寺
たいさんじ

[現在地名]西区伊川谷町前開

川上流の北岸にある天台宗寺院。かつての摂津国の西端、畿内から山陽道への入口に位置する。三身山と号し、本尊は薬師如来。仁王門をくぐると塔頭・支坊が参道両側に並ぶ。天平二〇年(七四八)一一月二三日の太政官符(東大寺要録)によると、奈良東大寺に勅施入された明石郡垂水たるみ郷塩山地三六〇町の四至として「東寒河、南海辺路、西垂水河、北太山堺」とあり、太山の山名がみえる。開基は不明。保延三年(一一三七)四月二一日の宗岡重貞等連署畠地施入状写(太山寺文書、以下断りのない限り同文書)に「太山寺新堂」とみえるのが早い。寺伝は藤原鎌足の子定恵の草創、霊亀二年(七一六)藤原宇合が元正天皇の勅願寺として建立したと伝える(太山寺縁起など)。文治三年(一一八七)二月八日、播磨守護梶原景時が伊川いかわ庄の荒野五町を関東武威安全の祈祷をこめ講堂修造料田として寄進している(梶原景時修造料田寄進状写)。この頃は比叡山延暦寺無動むどう寺末寺であった(建暦三年二月日「慈円所領譲状案」華頂要略)。同じ頃当寺神人は九州まで商品輸送に活躍していたらしく、建保六年(一二一八)には神人の船頭長光安が筥崎はこざき(現福岡市東区)の留守らに殺害されたため、比叡山衆徒が当時里内裏であった京都閑院殿陣頭で神輿を振って抗議している(「吾妻鏡」同年九月二九日条)

安貞二年(一二二八)六月晦日、地頭中原景親は薬師如来・鎮守三社・五所護法の宝前に新田二段を寄せている(地頭中原景親新田施入状写)。正嘉二年(一二五八)一〇月二七日の領家下文によると、領家から新田五町が寄進されたが当時は常荒となっており、開発に従って免田とすることが定められた。


太山寺
たいさんじ

[現在地名]松山市太山寺町

滝雲山護持院と号し、真言宗智山派。本尊十一面観世音。四国八十八ヵ所の五二番札所。太山寺山塊で最も高いきようヶ森(一七一・八メートル)の西斜面にあり、和気浜わけはま側からも、古三津ふるみつ側からも道路が整備されていて、容易に登ることができる。両道路の合流点から寺院までの間が小門前町となっている。

寺の縁起については種々の伝承がある。「伊予古蹟志」には敏達天皇の時、真野長者が高浜沖で難船した際、この山に安置された観音の霊験によって危急を救われたので、ここに太山寺を創建したという。寺伝では、行基が聖武天皇の勅によって創建し、鳥羽天皇の時その境内は東西三〇町余、南北四四町に及び七堂伽藍ならびに六六坊があったという。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「太山寺」の意味・わかりやすい解説

太山寺(兵庫県)
たいさんじ

兵庫県神戸市西区伊川谷町前開(ぜんかい)にある天台宗の寺。三身山(さんしんざん)と号する。本尊は薬師如来(にょらい)で、太山寺薬師として知られる。新西国三十三所第25番札所。寺伝によると、藤原鎌足(かまたり)の発願により、その長男定恵(じょうえ)が716年(霊亀2)に法相(ほっそう)宗として開山し、藤原宇合(うまかい)(鎌足の孫)が諸堂を建て、造立した七体の薬師仏の一体を安置したと伝える。元正(げんしょう)天皇(在位715~724)の勅願所となり、白河(しらかわ)・後宇多(ごうだ)・崇光(すこう)天皇も臨幸。中世には多数の僧兵を抱え、41坊の塔頭(たっちゅう)をもつ播磨(はりま)きっての巨刹(きょさつ)であった。建武(けんむ)新政では大塔宮護良(だいとうのみやもりなが)親王の令旨(りょうじ)を受け、当寺の衆徒を送って支援した。のち漸次衰微したが、現在、本堂、阿弥陀(あみだ)堂、仁王(におう)門、三重塔、護摩堂などが建ち並ぶほか、塔頭安養院(あんよういん)などが盛時を伝える。本堂は鎌倉末期の建立で和様唐(から)様折衷の代表的遺構であり国宝に、また同時代の仁王門は国重要文化財に指定されている。そのほか、絹本着色不動四童子像、同両界曼荼羅(まんだら)図二幅、同白衣観音(びゃくえかんのん)像、同十六羅漢像、紙本墨書『法華経(ほけきょう)』など国の重要文化財が多数ある。そのうちの大塔宮令旨および注進状四通は、中世の太山寺の勢威を知る貴重な資料である。

[田村晃祐]



太山寺(愛媛県)
たいさんじ

愛媛県松山市太山寺町にある真言(しんごん)宗智山(ちさん)派の寺。滝雲(りゅううん)山護持院と号する。本尊は十一面観音(かんのん)。四国八十八か所第52番札所。縁起によると、用明(ようめい)天皇の時代、豊後(ぶんご)国(大分県)の真野(まの)長者が高浜沖で海上風波の難にあい、観音の霊験を受け救われたことにより創建したと伝える。749年(天平勝宝1)行基(ぎょうき)が聖武(しょうむ)天皇の命で十一面観音と四天王像を刻んで納めて以来、後冷泉(ごれいぜい)、後三条(ごさんじょう)、堀川(ほりかわ)、鳥羽(とば)、崇徳(すとく)、近衛(このえ)の各天皇が十一面観音像を納めた。中世に一時衰退、江戸時代に松山藩主松平(久松)家の保護で堂舎を復興した。本堂(1305建立)は国宝、仁王門、十一面観音像七体は国重要文化財。開基真野長者の供養会が毎年4月第3日曜日に行われる。

[眞柴弘宗]

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改訂新版 世界大百科事典 「太山寺」の意味・わかりやすい解説

太山寺 (たいさんじ)

神戸市西区伊川谷町前開にある天台宗の寺。三身山と号する。寺伝によれば,藤原鎌足の子定恵(じようえ)を開山に,孫宇合(うまかい)を開基として,716年(霊亀2)に元正天皇の勅願所として建立され,初め法相宗,のちに天台宗に改めたという。しかし古い礎石や瓦の出土はなく,阿弥陀堂が建立された1137年(保延3)をさほどさかのぼらぬ時期に本堂(大講堂)も建てられたらしく,創建もそのころであろう。当初の本堂は1208年(承元2),85年(弘安8)と2度罹災し,その後間もなく再建されたのが現存の本堂(国宝)で,和様を主として一部唐様を加えた大伽藍である。後白河・後宇多両上皇の臨幸を伝え,盛時には寺中に41坊あったというが1703年(元禄16)には16坊に減じ,現在は5坊。建造物では国宝の本堂のほか,仁王門が重要文化財に指定されており,大塔宮護良親王令旨,平氏奉納と伝える法華経をはじめとして彫刻,絵画に重要文化財に指定されたものが多い。
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百科事典マイペディア 「太山寺」の意味・わかりやすい解説

太山寺【たいさんじ】

兵庫県神戸市にある天台宗の寺。716年藤原鎌足(かまたり)の子定慧(じょうえ)を開山に,鎌足の孫宇合(うまかい)を開基として創建,初め法相(ほっそう)宗であったという。しかし実際には12世紀初頭の創建とみられる。国宝の本堂は1285年の罹災後再建されたもの。また仁王門,大塔(おおとう)宮護良(もりよし)親王令旨・平氏納経と伝える法華経,彫刻,絵画など重要文化財が多い。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「太山寺」の意味・わかりやすい解説

太山寺
たいさんじ

愛媛県松山市にある真言宗智山派の寺。四国八十八ヵ所第 52番札所。聖武天皇の勅によって行基が創立,康平5 (1062) 年現在地に移り,天仁1 (1108) 年火災にあい,翌年再興されたと伝えられる。本堂 (国宝) は嘉元3 (1305) 年の造立で桁行 (けたゆき) 7間,梁行9間という大堂。外陣の太い柱,大仏様虹梁などは圧巻。

太山寺
たいさんじ

兵庫県神戸市西区にある天台宗の寺。奈良時代の霊亀2 (716) 年に藤原鎌足の子定恵を開山とし,藤原宇合 (うまかい) が創立したと伝えられる古寺。弘安8 (1285) 年の勧進状があり,本堂 (国宝) はその後の再建と認められる。頭貫鼻 (かしらぬきばな) の繰形 (くりかた) を除き,純和様の大型密教本堂の典型で,中世の仏画を多く蔵している。

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デジタル大辞泉プラス 「太山寺」の解説

太山寺〔愛媛県〕

愛媛県松山市の滝雲山中腹にある寺院。真言宗智山派。龍雲山護持院と号する。本尊は十一面観世音菩薩。1305年に建立された本堂は国宝に指定。四国八十八ヶ所霊場第52番札所。

太山寺〔兵庫県〕

兵庫県神戸市西区にある寺院。天台宗。山号は三身山。716年創建と伝わる。本尊は薬師如来。鎌倉時代後期に建てられた本堂は国宝に指定。

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事典・日本の観光資源 「太山寺」の解説

太山寺

(兵庫県神戸市西区)
新・こうべ花の名所50選」指定の観光名所。

太山寺(第52番)

(愛媛県松山市)
四国八十八箇所」指定の観光名所。

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