日本歴史地名大系 「小山城跡」の解説
小山城跡
おやまじようあと
小山義政の乱以前の南北朝期の史料に、小山館・小山城が散見する。鷲城が史料上で確認されず、また貞治二年(一三六三)八月の宇都宮氏攻撃のため出陣した関東公方足利基氏が陣した地を、「太平記」巻三九や「喜連川判鑑」では「小山ガ館」と記すが、「神明鏡」には「小山祇園城ヘ入御」とあり、右の小山城・小山館は当城のことで小山氏の本城であった。建武三年(一三三六)八月二四日、茂木知貞は「小山乃館」に馳せ参じ、以後、同館の警固に当たっている(同年一月日「茂木知貞代祐恵軍忠目安状」茂木文書)。
小山城跡
こやまじようあと
小山城跡
おやまじようあと
小山城跡
こやまじようあと
小山城跡
こやまじようあと
小山城跡
おやまじようあと
小山城跡
こやまじようあと
小山城跡
おやまじようあと
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報