有事法制(読み)ゆうじほうせい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「有事法制」の意味・わかりやすい解説

有事法制
ゆうじほうせい

戦時法制のこと。「有事法制」は防衛省用語。

 第二次世界大戦後、日本は日本国憲法(1947年施行)により「戦争」を「放棄」したため、「戦時」における法制は存在していなかった。しかし、1954年(昭和29)に防衛庁(現在の防衛省)・自衛隊が創設されると、対内治安任務に加えて、対外防衛の任務が付与され、「自衛力」を保持するに至った。政府は憲法解釈として、自衛権を否定しておらず、したがって「必要最小限度の防衛力」は保持できるとの見解をとった。ここから、自衛力を行使するにあたっての法制の必要性が生じたわけであるが、当時の国内情勢では防衛庁設置法と自衛隊法の制定が限度であり、しかも、自衛隊法で予定されていた政令すらも整備し得なかった。

 これが問題の出発点であった。防衛庁の法務を主管する部署ではこの有事法制をどうするのかの検討作業が進められたが、当時の情勢の下では、部内の検討にとどまらざるを得なかった。

 これが政治問題として初めて浮上したのが、「三矢(みつや)研究」問題であった。これは1965年(昭和40)、岡田春夫(1914―1991)衆議院議員社会党)が、自衛隊統合幕僚会議が主宰して秘密裏に実施した幕僚研究のとりまとめの文書(昭和38年度統合防衛図上演習)の一部を入手し、国会で暴露し、佐藤栄作内閣を追及して、社会的に大きな波紋をよんだ事件である。「極秘」のランクのこの文書は朝鮮半島で戦争が勃発(ぼっぱつ)したとの想定に基づいた、自衛隊としての作戦研究であり、このなかで戦時法制が存在しないため、第二次世界大戦時の戦時法制のなかから77~87本の法令を取り上げて、国会に緊急上程して約1週間で成立させるというシナリオを描いていた。この時は「非常事態諸法令」と呼称されていた。マスコミ、世論は厳しくこのことを批判したため、これ以降、自衛隊ではこの種の研究は対外的にタブーとされるに至った。

 次にこの問題が政治問題となったのは、1978年(昭和53)夏のことであった。自衛官のトップである栗栖弘臣(くりすひろおみ)(1920―2004)統合幕僚会議議長が週刊誌の誌上、またその後の記者会見の席上、自衛隊は「奇襲攻撃を受けた場合、超法規的に行動しなければならない」と発言したことをきっかけとして「有事法制」の問題が国会を含めて大きな問題となった。福田赳夫(たけお)首相、金丸信(かねまるしん)(1914―1996)防衛庁長官は栗栖議長を更迭しつつ、有事法制の研究の推進を指示した。それはこの1年前の1977年7月28日に福田首相が三原朝雄(みはらあさお)(1909―2001)防衛庁長官に「有事法制の研究」の指示をしており、防衛庁内でその作業中であったからである。防衛庁は栗栖問題を鎮静化するために1978年9月21日、「防衛庁における有事法制の研究について」との文書を発表し、(1)有事法制の研究は法案化を目的としたものではないこと、(2)奇襲対処の問題は別途検討するとの見解を示した。

 防衛庁では有事法制を3分野に分類して研究した。第一分類は防衛庁所管の有事法制であり、これは1981年4月22日に研究の結果についての概要が発表された。防衛庁以外の他省庁所管の有事法制は第二分類とされ、この研究も終わり、1984年10月16日に概要が発表された。いずれの省庁にも属していない第三分類については、一切公表されず、「防衛白書」の記述から推測すると、1988年に研究は終了し、内閣官房にあげられた。これで防衛庁としての研究の段階は終了し、あとは政府レベルの課題となった。政府として有事法制の法案化、そしてその制定に動き出すのは2001年(平成13)である。これは1997年にガイドライン(日米防衛協力のための指針)が改定され、日米両軍が周辺事態と武力攻撃事態に対処することとなったこと、また、有事法制を制定することが取り決められたことによる。政府は先に周辺事態に対処する法制である周辺事態法・自衛隊法改正・日米物品役務相互提供協定ACSA(アクサ))改正・船舶検査法の整備を行い(2000年に終了)、ついで、武力攻撃事態に対処する有事法制の整備に着手したのである。

 有事法制の整備は二段階で行われ、第一段階では武力攻撃事態法・安全保障会議設置法改正・自衛隊法改正が2003年に成立・公布された。国民保護法制など第二段階のものは2004年の通常国会に提出され、同年6月に可決・成立した。この個別法とよばれたものは次の7法律・3条約・協定からなるものである――国民保護法(武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律)、米軍行動円滑化法(武力攻撃事態等におけるアメリカ合衆国の軍隊の行動に伴い我が国が実施する措置に関する法律)、特定公共施設利用法(武力攻撃事態等における特定公共施設等の利用に関する法律)、外国軍用品等海上輸送規制法(武力攻撃事態における外国軍用品等の海上輸送の規制に関する法律)、捕虜取扱い法(武力攻撃事態における捕虜等の取扱いに関する法律)、国際人道法の違反行為処罰法(国際人道法の重大な違反行為の処罰に関する法律)、自衛隊法改正、ACSA改正、ジュネーブ条約追加議定書Ⅰ(1949年8月12日のジュネーブ諸条約の国際的な武力紛争の犠牲者の保護に関する追加議定書Ⅰ)、ジュネーブ条約追加議定書Ⅱ(1949年8月12日のジュネーブ諸条約の非国際的な武力紛争の犠牲者の保護に関する追加議定書Ⅱ)。これによって、日本の有事法制はいちおうの整備を終えた。

 なお、奇襲対処については2000年12月に部隊行動基準の作成等に関する訓令が制定され、法的にはこれによって対処可能となった。部隊行動基準とは自衛隊用語で、国際標準では「交戦規則=rules of engagement」である。

[松尾高志]

『山内敏弘編『有事法制を検証する』(2002・法律文化社)』『全国憲法研究会編『憲法と有事法制』(2002・日本評論社)』『小森陽一・辻村みよ子著『有事法制と憲法』(2002・岩波ブックレット)』『西沢優・松尾高志・大内要三著『軍の論理と有事法制』(2003・日本評論社)』『水島朝穂編著『世界の「有事法制」を診る』(2003・法律文化社)』『内外出版編、西修監修『詳解有事法制――国民保護法を中心に』(2004・内外出版)』『森本敏・浜谷英博著『有事法制 私たちの安全はだれが守るのか』(PHP新書)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「有事法制」の意味・わかりやすい解説

有事法制
ゆうじほうせい

外国から武力攻撃を受けた場合など,有事に対応するための法制。第2次世界大戦後,戦争放棄を掲げた日本国憲法憲法第9条)を施行する日本は有事に対応するための法制をもたず,1954年の防衛庁自衛隊設置後も法整備がなされなかった。1965年,自衛隊内で秘密裏に進められていた朝鮮半島における戦争の勃発を想定した図上作戦「三矢研究」の存在が明らかとなり,社会に波紋を広げた。政府による公式の検討は 1977年福田政権下で始められた。1978年,統合幕僚会議議長の発言を契機に有事法制の問題が国会内外で論点となり,防衛庁は「防衛庁における有事法制の研究について」を発表,1977年の内閣総理大臣の承認のもとに行なっていること,法制化を前提としていないことなどを示した。この研究結果は 1981年と 1984年に報告され,部隊の移動,物資の輸送などに伴う法令の問題点が指摘された。法制化は 2003年小泉政権下で初めて行なわれ,有事関連3法と称される「武力攻撃事態等における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律」(武力攻撃事態対処法),改正自衛隊法,改正安全保障会議設置法(→国家安全保障会議)が成立。翌 2004年,「武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律」(国民保護法)など,武力攻撃事態対処法の基本理念のもとにある個別法,有事関連7法が成立した。2015年,安倍内閣のもと平和安全法制(安保法制)が成立し,武力攻撃事態対処法は武力攻撃・存立危機事態法に改称,防衛出動の対象に「存立危機事態」が加わるとともに,ほかの有事関連法も改正され,自衛隊の任務やアメリカ軍への支援が拡大された。

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知恵蔵 「有事法制」の解説

有事法制

日本に対する武力攻撃が発生したり、それが予測される事態における、自衛隊、米軍の行動を円滑にするための、自衛隊法改正案、武力攻撃事態対処法案、安全保障会議設置法案の3法案が2003年6月6日、参議院を通過、成立した。前年4月から7月の国会では法案の内容や政府答弁に不備が多いとして反対した民主党が、その時はほぼ同じ法案に賛成したため、衆参両院とも約9割の賛成で成立した。以前から自衛隊法には武力攻撃やそれが予測される事態があれば首相は「防衛出動」を命じ、自衛隊は武力行使ができる、という規定があり、有事対処の法制の根幹は実は当初から存在していた。だが防衛庁が1977年から、ソ連等の北海道侵攻を念頭に他省庁関係の法令を研究したところ、自衛隊の行動の妨げとなりそうな約20の法令(例えば国立公園内に陣地を造る場合、環境省の許可が理論上は必要)が見つかった。自衛隊法改正では、防衛出動時のそれらの適用除外、民間の土地・家屋の使用、形状変更、民間物資の収用や保管命令(違反者には6カ月以下の懲役、30万円以下の罰金)、医療、建設、運輸関係者への従事命令(罰則なし)などが定められている。しかし日本に本格的侵攻を行える国が米国だけとなった今日、時代錯誤の感もある。このため大規模テロ、工作船、弾道ミサイルなどへの対応を含めた武力攻撃事態対処法も作られた。また有事の際の国民保護法、など有事関連7法は04年6月成立したが、物資や土地、家屋の収用の際、命令に従わない者に刑罰を科すなど「保護」か「動員」か疑わしい点もある。

(田岡俊次 軍事ジャーナリスト / 2007年)

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百科事典マイペディア 「有事法制」の意味・わかりやすい解説

有事法制【ゆうじほうせい】

有事の際の自衛隊の行動に法的根拠を与えるとともに,国や地方公共団体あるいは指定公共機関に〈必要な措置を実施する責務〉を,国民には協力の努力を行うよう規定する法制。1977年から防衛庁による研究が始まり,2003年武力攻撃事態対処関連三法(改正安全保障会議設置法,武力攻撃事態等における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律,自衛隊法及び防衛庁の職員の給与等に関する法律の一部を改正する法律)が成立した。同法の目的は,(1)武力攻撃事態への対処について,基本理念,国・地方公共団体等の責務,国民の協力その他の基本事項を定め,態勢を整備すること,(2)対処に関して必要な法制の整備に関する事項を定め,日本の平和・独立並びに国・国民の安全の確保を目的とすること,とされている。日本に対する武力攻撃(その恐れのある場合も含む)が発生した場合,政府は対処基本方針を定め,首相は内閣に対策本部を設置する。なお,これら三法をうけて,有事の際に政府が国民をどう守るかに関する〈国民保護法案〉,米軍の行動を円滑化するための〈米軍支援法案〉などの有事関連7法案が2004年6月に成立した。
→関連項目自衛隊日本

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