渤海(国)(読み)ぼっかい

  • 渤海

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

高句麗(こうくり)が唐に滅ぼされた(668)あと、現在の中国東北地方、ロシア連邦の沿海州(現沿海地方)、北朝鮮の北部にまたがる広い範囲を領有して栄えた満州ツングース系の民族国家(698~926)。渤海が高句麗の復興を目ざしたものであることは、自他ともに認めていた。唐からの独立戦争および建国後の中心的役割を果たしたのは靺鞨(まっかつ)人と高句麗人である。初代国王は大祚栄(だいそえい)(在位698~719)。以下最後の第15代の大譔(だいいんせん)(在位907~926)まで大氏の王統が続く。大祚栄は初め震(しん)(振)国王と号したが、唐との関係が改善され、唐から渤海郡王に封ぜられるに及んで(713)、この渤海が国号となった。

 唐が満州ツングース系民族国家の成立を容認せざるをえなかった背景には、北方の強大な遊牧国家たる突厥(とっけつ)の存在がある。唐にとって当面のもっとも手ごわい相手はこの突厥(第二可汗(かがん)国)であり、唐がいかに抜群の生産力と兵力をもつとはいえ、遠く西域(せいいき)にまで手を広げ、その経営、維持に多大の国力を費やしている状況では、突厥との正面衝突はなんとしても避けねばならない一大関心事であった。もし唐が、莫大(ばくだい)な犠牲を払い、やっとの思いで滅ぼした高句麗と同じような国がまたたくまにできたことにどうしてもがまんがならず、ここに総力をあげて兵馬を動員すれば、突厥が奚(けい)、契丹(きったん)、室韋(しつい)諸部族まで取り込んで渤海の側につくこと、そうなれば、唐と突厥の勢力が手薄となった西域を目がけて吐蕃(とばん)が進出してくることは、火をみるより明らかであった。初め弱かった渤海国の基盤はこのような国際情勢に助けられてしだいに強固となり、第2代大武芸(在位719~737)のときに至ってようやく「仁安」と建元するまでになった。

 大武芸およびそれを継いだ大欽茂(だいきんも)(在位737~794)の時代が対内的にも対外的にも大発展をみせた躍動の時代であった。領土も拡大し、中国風の都城も次々と建設され、首都は中京(ちゅうけい)→顕州→上京(じょうけい)→東京(とうけい)へとめまぐるしく変化した。なかでも東京は現在の中国、吉林(きつりん)省延辺朝鮮族自治州琿春(こんしゅん)県の半拉(はんら)城に比定されるが、ここは日本海貿易の要衝であり、また、前後200年の間に約50回に及ぶ使節交換を行った日本との関係が、渤海にとって非常にたいせつであったことをうかがわせる。第5代王のときに首都はふたたび上京に戻され、以後滅亡まで続いた。

 制度や文物は唐から直輸入したものが多い。とくにその支配機構の類似には目を見張るものがある。すなわち、中央には唐の三省六部に相当する政堂・宣詔・中台三省、忠・仁・義・智(ち)・礼・信の六部、御史台(ぎょしだい)にあたる中正台、九寺にあたる七寺などがあり、地方には京・府・州・県を置き、中央から都督・節度使・刺史(しし)・県丞(けんじょう)を派遣して治めさせた。また唐の十六衛にあたる十衛という中央の軍事組織もあった。つまり渤海は、当時の東アジア世界の中心である唐の強い影響下にあった新羅(しらぎ)や日本と同じく、中央集権的律令(りつりょう)国家の範疇(はんちゅう)に入るものであったといえる。しかしそれだけではなく、北アジア史のうえでは、のちに最初の征服王朝となった遼(りょう)(契丹)の先駆をなすものとも考えられる。

 渤海文化は、その基層には高句麗の文化があるが、やはり唐の強い影響を被っている。もちろん文化とよべるものは都市を中心に発達した貴族の文化であって、彼らは儒教思想を取り入れ、漢字を習い、官庁用語も文学もすべて漢文であった。この点も当時の新羅や日本とよく似ており、同様な理由から、おそらく渤海の仏教も貴族仏教あるいは国家仏教と位置づけてよかろう。壮麗な大伽藍(がらん)や石灯籠(どうろう)のみごとさは、仏教が民衆管理という政治的意図のもとに手厚い保護を受けたことをうかがわせる。

 9世紀前半の第10代大仁秀(在位818~830)のときに国土は最大となり、渤海は唐から「海東の盛国」とうたわれるほどの繁栄をみせたが、以後しだいに内部崩壊し、第15代の大譔(だいいんせん)の926年に契丹の攻撃を受けて滅亡。そして渤海の制度・文物や人的資源は契丹に受け継がれていくことになる。

[森安孝夫]

『鳥山喜一著『渤海史上の諸問題』(1968・風間書房)』『森安孝夫著『渤海から契丹へ』(『東アジア世界における日本古代史講座7』所収・1982・学生社)』『上田雄著『渤海国の謎――知られざる東アジアの古代王国』(講談社現代新書)』『朱国忱著、浜田耕策訳『渤海史』(1996・東方書店)』

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