能登島町全域にあたる。南北朝期には東西に分れており、東方は
承久三年(一二二一)九月六日の能登国田数注文に能登島庄とみえ、公田数は同元年の検注で一九町三段三(もと四三町一)に定められた。康永二年(一三四三)六月二一日、伊勢外宮の造営に先立ち能登島御厨東方のうち野崎村から用途料の日食米が納められた。賦課の対象地は同村内の地頭自称分二町三段一で、反別七升八合の割合で米一八石余を負担していた(「野崎村造外宮料日食米請取状写」天野文書)。能登島が伊勢神宮に供祭物等を貢進する御厨(神領)となった時期は定かでないが、建久三年(一一九二)八月の伊勢大神宮神領注文(神宮雑書)にみられず、それ以降である。貞治三年(一三六四)の内宮式年遷宮の費用徴収に備えて作成されたという「神鳳鈔」には、能登島御厨は内外両宮に貢納する神領で、田積は七〇町とある。中世後期の外宮神領目録(神宮文庫文書)に上分米二五石、外宮神領給人引付(同文書)には一五石の負担分が載る。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
石川県中北部、鹿島郡(かしまぐん)にあった旧町名(能登島町(まち))。現在の七尾(ななお)市の北東部を占める一地域。1955年(昭和30)東島、中乃島、西島の3村が合併して成立。2004年(平成16)七尾市、田鶴浜(たつるはま)町、中島(なかじま)町と合併、七尾市となる。旧町域は、能登島1島からなる。七尾港とフェリーで結ばれていたが、1982年に島の南西端と本土の七尾市との間の屏風瀬戸(びょうぶせと)に能登島大橋(1050メートル)が完成、1999年(平成11)には島の東端と半島の中島町とを結ぶ中能登農道橋(ツインブリッジのと)が架けられた。須曽蝦夷穴古墳(すそえぞあなこふん)(国の史跡)があり、江戸時代は加賀藩の流刑地でもあった。米、タバコ栽培と漁業を主とする。架橋を契機に臨海公園が設置され、のとじま水族館もでき観光開発が進んでいる。海水浴、狩猟、釣りのほか山菜、キノコとりもできる。県立の能登島ガラス美術館が1991年開館した。
[矢ヶ崎孝雄]
『『能登島町史』全3巻(1982~1985・能登島町)』
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