日本歴史地名大系 「金沢村」の解説
金沢村
かねさわむら
- 茨城県:日立市
- 金沢村
東は海岸段丘面、西は多賀山地丘陵で、ほぼ中央を
寛永一二年(一六三五)の水戸領郷高帳先高に「金沢村」とみえ、「水府志料」の金沢村の条に「飯盛山、立割山、妙見山と云所より金を産す。佐竹氏の時、飯盛尤多く出せしと云。自後寛永より元禄の比迄ほりとりしとなり。村の名よりて名付く」と記される。同書によると村の東西三三町余・南北七町余、文化初めの戸数一五二とあり、助郷は
金沢村
かざわむら
金沢村
かねざわむら
秩父郡の北部、児玉郡境に位置し、東は
金沢村
かねざわむら
金沢村
かなざわむら
金沢村
かねざわむら
金沢村
かねざわむら
金沢村
かなざわむら
- 新潟県:栃尾市
- 金沢村
金沢村
かねざわむら
- 山形県:南陽市
- 金沢村
金沢村
かねざわむら
金沢村
かねざわむら
- 福島県:喜多方市
- 金沢村
金沢村
かねさわむら
金沢村
かねざわむら
- 静岡県:裾野市
- 金沢村
金沢村
かなざわむら
東は
貞享四年(一六八七)の検地帳に、目内崎村の支村とあり、村高一七四・五三五石、うち田方一六八・五八八石、畑方五・九四七石とある。元禄三年(一六九〇)には赤石組に属し、村位は上とある(平山日記)。享保一一年(一七二六)の村名改称并新村創立調(八木橋文庫蔵)によれば、目内崎村の支村から独立した。天保五年(一八三四)の郷村帳によれば、寛政一〇年(一七九八)に一一二石、文化九年(一八一二)に八五・九石の新田高が書上げられている。
金沢村
かなざわむら
金沢村
かねざわむら
- 福島県:原町市
- 金沢村
太平洋岸に位置し、「奥相志」に「海浦の間松林翠を凝らし皆名木、絶勝の地なり」と記される。南は
金沢村
かねざわむら
金沢村
かねさわむら
金沢村
かねざわむら
- 山形県:上山市
- 金沢村
金沢村
かなざわむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報