妊娠は最終月経第1日から起算しておよそ280日(40週)で分娩に移行するのが正常であるが,その途中の時期になんらかの原因で胎児およびその付属物が母体外に排出されることをいう。妊娠中絶には,自然に分娩に至る自然妊娠中絶と,人工的に分娩に至らしめる人工妊娠中絶とがある。妊娠中絶の時期が妊娠24週未満の場合は流産といい,37週未満から24週以上の場合は早産といっている。24週未満の流産では胎児が母体外に娩出されても未熟で小さく生命を保持することができないので,人工妊娠中絶(人工流産)はこの期間内のみに実施される。しかし母体に重篤な疾患が合併して緊急に妊娠を中絶しなければならないとき,あるいは妊娠の継続によって胎児死亡を招く危険があるときは人工早産が行われることがあるが,これは母体保護法にいう人工妊娠中絶には含めない。
手術は妊娠初期,すなわち妊娠2~3月までは子宮の入口(頸管)を拡大して,その後に子宮内容を除去し胎盤片や卵膜が残らないように搔爬(そうは)する。この場合の頸管拡張術には金属製のヘガール拡張器を用いる。これによると短時間のうちに実施できるが,分娩を経験して頸管の拡大が容易な場合のみに行いうるのであって,まだ出産を経験していない場合は,ヘガールによる急速頸管拡大は,ときに頸管裂傷を起こして大出血をきたしたり,また後になって頸管瘢痕(はんこん)となり,習慣流産の原因ともなる。そこで,この場合はラミナリア杆を数本頸管内に挿入し,徐々に頸管が拡大していくようにする。ラミナリア杆はコンブ科の海藻からつくられた杆状のもので,頸管内に挿入すると,水分を徐々に吸って太くなり,自然に頸管が拡大されるようになる。しかしこのような方法をとっても頸管裂傷ができ,習慣流産を起こすことは少なくない。そこで初回妊娠は医学的見地からみると,後遺症が多いので,妊娠中絶はしないほうがよいといわれている。次に妊娠4月以後の人工妊娠中絶はブジー(ゴムの細長い管),メトロイリンテル,コルポイリンテル(ゴム囊)を子宮腔内に挿入し,陣痛誘発を試みる。これに加えてオキシトシン5単位を5%ブドウ糖500mlに溶かして点滴静注する。オキシトシンの代りにプロスタグランジンF2α 2000γのような陣痛剤なども使用される。妊娠4月以後は胎児が大きく,胎盤もかなり大きくなっているので,分娩の形式で妊娠中絶するのが安全であり,往時行われた穿頭(せんとう)術(胎児の頭を砕いて除去する方法)は実施されず,胎盤鉗子や搔爬術は胎盤がちぎれて大出血し,止血困難となってきわめて危険である。そこで陣痛剤の使用による児娩出に至る数日間の入院がどうしても必要になってくる。なお妊娠3月までの子宮内容除去術と搔爬術も手術当日帰宅して入院しないのが通例になっているが,術後の子宮内感染,不慮の大出血なども起こりうるので,理想的には1~2日の入院が望ましい。このことはとくに初回妊娠の例にはたいせつなことである。
人工妊娠中絶後に起こってくる種々な障害には次のような疾患がある。おもなものは月経異常(無月経,過少月経,過多月経,頻発月経,月経痛),子宮内膜炎,不妊症,習慣流産,子宮外妊娠,癒着胎盤,前置胎盤などによる分娩時の大出血がある。したがって人工妊娠中絶は極力さけるべきであり,その防止策として避妊が勧められている。なお医学的に母児の緊急事態のために実施される妊娠中絶にしても,その大部分は胎児がまだ完全に成熟しない時期のものであり,したがってとくに児側に種々な不利が生ずることとなる。たとえば肺の未熟による呼吸障害から児死亡,脳障害,未熟児網膜症などがそれである。その防止策としては母体が妊娠中疾患にかからないことにある。そのためには定期診察を励行して早期に疾患を発見し,早期治療を開始していくことがきわめてたいせつである。
人工妊娠中絶は母体保護法(1996年の改正以前は〈優生保護法〉とよばれた)では,次のような場合,合法的なものとして認められている。(1)母体が疾患にかかって緊急事態のため,医学的適応として実施される場合。妊娠初期の心臓疾患,腎臓疾患合併など,これ以上妊娠を持続すると母体の体力を著しく障害するため妊娠中絶が実施されるのがこの例である。この考え方が家庭経済貧困にも拡大解釈され,妊娠の継続または分娩が身体的または経済的理由により,母体の健康を著しく害するおそれのあるものは社会的適応として合法的に人工妊娠中絶が許されている(母体保護法14条1項1号)。(2)暴行もしくは脅迫によって,または抵抗もしくは拒絶することができない間に姦淫されて妊娠したもの(14条1項2号)。
第1次大戦のときドイツでは人工妊娠中絶術を安易に考えて,中絶手術の経験のないものなどが実施したため,母体死亡が多発した。日本ではこのような惨事を繰り返さないように,定められた医療施設で十分な手技を体得した資格のある母体保護法指定医のみがこの種の手術を実施することを許され,往診先など家庭では禁止されている。これは万一緊急事態が発生したとき,すぐに対処でき,感染を防止できるようにするためである。消毒不完全な家庭では性器感染,腹膜炎と発展する危険がある。そこで開腹手術と同様,厳重な消毒のもとに実施される。
執筆者:室岡 一 人工妊娠中絶という言葉は,一般には堕胎と同義に用いられることが多いが,母体保護法の定義によれば,人工妊娠中絶とは,胎児が,母体外において生命を保続することのできない時期に,人工的に,胎児およびその付属物を母体外に排出することである(2条2項)。胎児が母体外で生命を保続することのできない時期は,厚生事務次官通知で定められ,91年からは満22週未満に短縮された。また96年の改正によって,優生学的理由による人工妊娠中絶を認める規定は削除された。人工妊娠中絶は,母体保護法にもとづいて行われる場合を除いて,刑法上の犯罪である(212~216条。〈堕胎罪〉の項参照)。
人工妊娠中絶は,中世の教会法以来,犯罪の一つとされてきた。その底には,霊魂をもった胎児の生命の破壊を殺人と同様の罪とみる生命観,および性と生殖の分離を禁止する性道徳をもつカトリックの教えがあった。しかし,厳格な禁止が危険なやみ堕胎を生んできたため,各国は一定の場合に人工妊娠中絶を合法化する方向に動いてきた。1970年代中ごろには,オーストリア(1974),フランス(1975),西ドイツ(1976),イタリア(1978)と,それまで厳格に人工妊娠中絶を禁止しつづけてきた西欧諸国が,相次いで大幅に禁止を緩和した。その背景には,性と生殖の分離が社会的に容認されるようになったこと,医学・医療技術の進歩によって人工妊娠中絶が安全になってきたこと,さらに,女性の権利意識が高まり,その地位が向上したことがある。73年には,アメリカ合衆国連邦最高裁判所が,女性は妊娠を中絶するか否かを決定する憲法上の権利をもつと判決している。人工妊娠中絶を合法化する立法は,大きく二つの型に分かれる。一つは,一定の理由がある場合(適応)の人工妊娠中絶を合法化する適応規制型である。適応には,妊婦の生命健康が危険な場合の医学的適応,子どもが障害を負って生まれる危険がある場合の胎児適応,強姦によって妊娠した場合等の倫理的適応,多産の場合等の医学・社会的適応,貧困で養育困難な場合等の社会的適応がある。各国は,それらの一部または全部の場合に人工妊娠中絶を認める。他の一つは,妊娠初期一定期間内の人工妊娠中絶を理由を問わずに合法化する期限規制型である。たとえば,フランスは妊娠10週以内,イタリアは90日以内の人工妊娠中絶を合法化している。1970年以降は,この型の立法が多い。
日本では,優生保護法(現在は母体保護法)によって,一定の理由ある場合の人工妊娠中絶が合法化された結果,現実には法律の規定する範囲を越えて多数の人工妊娠中絶が行われ,刑法の堕胎罪規定は空文化している。人工妊娠中絶数は,厚生省の優生保護統計報告(1996年からは母体保護統計報告)によっても,1955年には117万件余あり,その後次第に減少したが,65年84万件余,75年67万件余,85年55万件余,95年でも34万件余あり,実数はその倍ともいわれる。
執筆者:石井 美智子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
妊娠の持続が中断され、子宮内容が排出されることで、自然妊娠中絶と人工妊娠中絶に分けられるが、普通は人工妊娠中絶をさす場合が多い。また、その時期からは妊娠22週未満の場合を流産、22週から37週未満の場合を早産というが、流産の場合は胎児が娩出(べんしゅつ)されても生命を保持することは不可能で、人工妊娠中絶はこの期間内に行われ、人工流産、人工中絶ともよばれる。すなわち、人工妊娠中絶は胎児の生命を絶つ目的で妊娠を中絶させるわけで、それぞれの国の法規に従って行われる合法的流産と、それによらない非合法的流産とに分けられ、非合法的流産は堕胎あるいは犯罪流産ともよばれる。一般に人工妊娠中絶という場合は合法的流産をさし、日本では母体保護法(かつての優生保護法)によって規制されている。
[新井正夫]
医学的には妊娠11週までの初期人工妊娠中絶と、それ以後の中期人工妊娠中絶とに分けられ、それぞれ中絶手術の方式を異にしている。すなわち、妊娠初期には、まず頸管(けいかん)拡張器によって子宮頸管拡張術を行い、次に掻爬(そうは)術によって子宮内容を除去し、胎児その他の子宮内容を残らず掻(か)き出してしまうわけで、単に掻爬ともいうが、妊娠していない子宮内膜を掻き出す子宮内膜掻爬術に対して子宮内容除去術とよばれる。妊娠中期になると、胎児も大きく成長し骨格も硬くなってくるので、分娩誘発法に準じて流産をおこさせる方法がとられる。この場合は約1週間の入院が望まれ、時間をかけてラミナリア桿(かん)を用いて頸管を徐々に開大させ、メトロイリンテルとよばれるゴム製の袋を子宮腔(くう)内に挿入し、生理的食塩水でこれを膨らませて牽引(けんいん)を行い、子宮収縮薬のプロスタグランジンを点滴静注する方法などが行われる。
なお、妊娠22週以降において妊娠の持続が母体の生命に危険を招くようになった場合には、緊急避難行為として人工妊娠中絶を実施することがあり、人工早産とよばれる。この場合は母体保護法の規制は受けないが、早産児の生命の保持に対して最大の努力が続けられるわけである。
[新井正夫]
すべて母体保護法によって規定されている。まず人工妊娠中絶を行う医師についての規制があり、都道府県の区域を単位として設立された社団法人である医師会の指定する医師(指定医師)以外の者が行った場合は、堕胎とみなされて処罰される。この指定の基準は、日本医師会が都道府県の医師会に示している。また、中絶が受けられるのは、(1)妊娠の継続または分娩が身体的または経済的理由によって母体の健康を著しく害するおそれのある場合、(2)暴行や脅迫によって、または抵抗もしくは拒絶することができない間に姦淫(かんいん)されて妊娠した場合、となっており、医師は本人および配偶者の同意を得て行うことが原則となっている。実際には(1)の条件を拡大解釈して行われる場合がほとんどである。
[新井正夫]
人工妊娠中絶はしばしば安易に行われ、それに伴う障害が軽視されやすいが、その後の妊娠の際に自然流産や子宮外妊娠、頸管無力症などが多くみられるので、慎重に行う必要がある。また、手術当日そのまま遠路を歩いて帰宅したり、休養を十分にとらない人もあるが、乱暴なことである。技術的にもむずかしいものであるからこそ、とくに指定医制を設けているわけで、さらにこれを繰り返すことは母体の健康にも悪影響がいつかは出てくるおそれもある。手術はなるべく妊娠初期に受けるのが望ましく、たとえ早期に手術をしても母体には妊娠性の変化がおこっており、手術後の子宮内には傷が多くできているわけで、小規模の出産と考えて少なくとも1週間は安静と清潔を守るよう心がける必要がある。
[新井正夫]
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…搔爬とは,体表面または体腔表面の軟組織を“かきとる”ことをいうが,一般に搔爬術といえば,子宮腔内面を鋭匙(えいひ),鈍匙などでかいて,子宮腔内容,内膜などをかきとり除去する手術をさす。不正出血時に内膜の変化をみて診断するための診査搔爬もあるが,一般的には妊娠初期の人工妊娠中絶の意味にとっていることが多い。すなわち妊娠子宮内容を胎盤鉗子などで除去し,その後に子宮腔内に残った卵膜,胎盤片などをキュレット(鋭匙,鈍匙)などでかいて手術を完了する。…
…〈おろす〉〈おとす〉〈はっさんする〉などとも称し,古くから行われていた。本来的にはすべての人工妊娠中絶が含まれるが,現代の日本では,母体保護法にもとづいて医師が行う人工妊娠中絶は堕胎には含めず,それ以外の非合法のものだけを意味すると解されている。また,妊娠の中断を目的とした胎児の殺害も堕胎に含まれる。…
…母性の生命健康を保護することを目的とし,不妊手術,人工妊娠中絶および受胎調節の実地指導について定める法律。1996年の改正で優生保護法から母体保護法へと改称された。…
※「妊娠中絶」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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