「歌う」を意味するラテン語およびイタリア語のカンターレcantareから派生した音楽用語で、声楽曲の一楽種。器楽曲の名称「ソナタ」に対する語として生まれた。17世紀、18世紀前半のイタリアでは、オペラと並んでもっとも重要な世俗声楽曲であったが、18世紀ドイツではプロテスタント教会音楽の主要楽種となり、19世紀以降は、独唱、合唱、器楽のための大規模な楽曲の総称として用いられた。宗教的なオラトリオに対し、本来世俗的であり、規模もより小さい。
[樋口隆一]
初めは通奏低音を伴った多部分からなる独唱歌曲を意味した。名称そのものは、アレッサンドロ・グランディの『カンタータとアリア』(1620)に初めて登場し、ベネデット・フェラリの『さまざまな音楽』(1633~41)は、初期カンタータの特徴であるバッソ・オスティナート(固執低音)技法を完成して、レチタティーボとアリアの区別を導入した。これは説明と考察の交代という歌詞内容上の特色をも規定するものであった。ルイジ・ロッシやカリッシミによる全盛期を経て、カバルリ、ストラデッラは17世紀後半を飾り、ボローニャ楽派によって器楽伴奏付きのカンタータが確立された。アレッサンドロ・スカルラッティに代表されるナポリ楽派では、すでにオペラに近いものとなった。
カリッシミの弟子M・A・シャルパンチエによって始められたフランスのカンタータの全盛期は、1715~25年とごく短く、クレランボー、ラモーの作品が重要である。
[樋口隆一]
ドイツ最初のカンタータは、カスパー・キッテルの『アリアとカンタータ』(1638)であるが、ハインリヒ・シュッツの『シンフォニエ・サクレ』(1629)も一種のカンタータとみなしえよう。17世紀後半のプロテスタント教会音楽は、フランツ・トゥンダーやブクステフーデの教会コンチェルトとして、イタリア的協奏様式を導入した独自の発展を遂げたが、さらに、レチタティーボとアリアによるオペラ的要素を取り入れたE・ノイマイスターの歌詞集『教会音楽に代わる宗教カンタータ』(1704)が、ついにイタリア風カンタータに市民権を与える突破口となった。J・S・バッハの業績は、伝統的なコラール・モテットとイタリア的カンタータを、協奏的語法のうちに融合し、芸術的完成へと高めたことにほかならない。また18世紀ドイツの宮廷では、オペラの流行に伴い、イタリア風の世俗カンタータ(J・S・バッハ、テレマン)も数多く上演された。
[樋口隆一]
語源はイタリア語のカンターレcantare(歌う)で,器楽曲のソナタに対する語。バロック時代の声楽形式で,一つの物語を構成する歌詞がアリア,レチタティーボ,重唱,合唱などからなる多楽章形式に作曲されている点から,小型のオペラまたはオラトリオともいえる。J.S.バッハによって,今日では教会礼拝用音楽としての教会カンタータが有名であるが,バロック時代を通じての標準的で一般的なカンタータは世俗カンタータであった。バッハの教会カンタータは教会曲Kirchenstückとも呼ばれた。世俗カンタータはオペラと同様,フィレンツェのカメラータ(1580年ころバルディ伯家に集まって古代音楽の復興を論じた音楽家・文学者のグループ)の人々によるモノディに発する。カンタータが表題に用いられた最初の例はグランディAlessandro(de)Grandiの《独唱用カンタータとアリア》(1620ころ)であるが,その音楽が,レチタティーボとアリアの対がいくつか連なった多楽章形式をとるようになるのは1640年代になってからである。イタリア・オペラの作曲家は世俗カンタータも作曲したが,なかでもA.スカルラッティによって,イタリアの世俗カンタータは全盛期を迎えた。いっぽう教会カンタータはむしろ,従来の教会合唱曲に器楽伴奏と伴奏つき独唱や重唱を織りこんだ教会コンチェルトに発するといってよく,以後とくにドイツ・プロテスタント教会音楽として発展した。教会コンチェルトとしてはシュッツの《クライネ・ガイストリッヒェ・コンツェルテ》が有名。1700年ころハンブルクの牧師ノイマスターはカンタータのための歌詞を創作しはじめたが,以来,創作詞に基づくレチタティーボとアリアをふくむことが新しい型の教会カンタータの特徴となった。音楽的に新型カンタータとほとんど変わらない重要な作品を残した人としては,ブクステフーデやJ.パッヘルベルらがあげられる。バッハの教会カンタータは約200曲残っているが,その大部分は新型に属する。コラールの歌詞に基づくことからコラール・カンタータといわれるものも,歌詞がそのまま用いられるのは第1曲用の第1詩節と終曲用の最終詩節だけで,中間の詩節はレチタティーボやアリア用に書き換えられたのである。例外的に古い型に属する曲のなかには《キリストは死の絆につきたまえり》(BWV4)や《神の時は最上の時なり》(BWV106)といった不朽の名作もふくまれる。バッハの教会カンタータには,オーケストラを伴う合唱曲に始まり,レチタティーボとアリアの交代が続き,それから単純な4声体コラールで全体を閉じるという形の多楽章形式のものが多い。少数ながらバッハは世俗カンタータも書いた。バッハ以後は,あまり作曲されなくなったが,ベートーベン,ウェーバー,メンデルスゾーン,シューマンによっても作曲された。
執筆者:東川 清一
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…18世紀前半のナポリでは,従来のような神話劇,歴史劇としてのオペラのかたわらに,現代喜劇としてのオペラが成立して発展し,前者はオペラ・セーリア(重厚なオペラの意),後者はオペラ・ブッファ(ふざけたオペラの意)と呼ばれるようになった。 またこの時代には,オペラの独唱場面に近いような構成のカンタータや,1場景だけのオペラともいえるセレナータなども多く作られた。聖書の物語を劇風に扱ったオラトリオも作られた。…
…ただし,他の宗教にも数多くの宗派宗旨があるように,キリスト教にも,カトリックとプロテスタントの二大教会の別があり,それぞれの内部に数多くの教派があって,音楽的伝統も一様ではない。芸術的に見た場合,それらの中でとくに重要なのは,パレストリーナやベートーベンのミサ曲によって代表されるローマ・カトリック教会,バッハのカンタータや受難曲によって代表されるルター派のドイツ福音主義教会,パーセルのアンセムやヘンデルのオラトリオによって代表される英国国教会,ボルトニャンスキーの教会コンチェルトによって代表されるロシア正教会などである。 イエス・キリストの生涯を書き記した新約聖書の福音書には,ただ1ヵ所だけ音楽に言及した個所がある。…
… ソナタの語源はイタリア語の動詞ソナーレsonare(〈鳴り響く〉〈楽器を奏する〉)の過去分詞女性形の名詞化。ソナタは元来,楽器で演奏するための曲一般を指していたにすぎず,その意味でカンターレcantare(歌う)を語源とするカンタータと対をなすものとして考えられた。バロック時代にあっても特定のジャンル名として完全に確立されていたわけではなく,しばしばカンツォーナ(カンツォーネ)やコンチェルト,シンフォニアなどの語と混用された。…
…中世以来の受難曲も,このオラトリオの作曲様式を吸収することによって,バロック時代に比類のない高みに達した(J.S.バッハ)。歌曲は通奏低音を伴う形が一般的であったが(アルベルトHeinrich Albert(1604‐51),クリーガーAdam Krieger(1634‐66)ら),芸術的表現の密度においては古典派以降の高みに及ばず,代わってセミ・ドラマティックな形式であるカンタータが世俗カンタータ(A.スカルラッティ),教会カンタータ(J.S.バッハ)の両面ですぐれた成果を生んだ。 器楽形式のうちとくに重要なのは,いわゆる〈バロック・ソナタ〉の形式である(ソナタ)。…
※「カンタータ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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