翻訳|leech
ヒル綱Hirudinoideaに属する環形動物の総称。多くは淡水にすむが,一部は海産,または湿った陸上にもすむ。体は外部寄生生活に適応していて,体の前後両端に吸盤が発達している。ヒル類の生殖方法はミミズ類とよく似ているので,ミミズ類の直接の祖先から寄生生活に適応して生じたものと考えられる。世界で約360種が知られ,日本には60種ほどが生息する。
体は扁平または円筒形で,つねに34体節からなるが,各体節がさらに2~16体環に分かれているので,非常にたくさんの体節からなっているようにみえる。しかし,体内からは排出器の配列で体節制がよくわかる。体長は2mmほどのものから40cm以上になるものまである。頭部は第1~6体節を占め,体後部の第28~34体節は融合して後吸盤になっている。頭部には2~5対の眼点があって前縁に沿って並んでいるが,眼点の数や位置は種によって異なっている。また体環に沿って感覚突起が配列している。生殖時期になると体前部の第10~12体節が環帯になり,第11体節に雄生殖口,第12体節に雌生殖口が開く。口は腹側の前吸盤の中に開いていて,口から吻(ふん)を出して宿主の組織の中に挿入して血液を吸うか,または口のすぐ内側にある3個の半レンズ状のあごで宿主にY字状の傷をつけて血液を吸うか,またはミミズや昆虫などを捕食する。
体内の体壁と腸管との間は結合組織や筋肉によって埋められていて,環形動物の他の綱のように体腔をもっていない。消化管は口,口腔,咽頭,食道,胃,腸から肛門に終わるが,胃が消化管の大部分を占める。胃の側方には体節的に側盲囊(そくもうのう)が並んでいて,血液が吸入されると非常に大きくふくれ,自分の体重の10倍もの血液を一時蓄えることができる。吸血する際にあごの付近にある唾液腺から血液の抗凝固物質ヒルジンhirudinが分泌されて血液の凝固を防いでいる。胃の中の血液は徐々に消化されるので,1年に2~3回の吸血で生活できる。肉食性の種類ではこのような側盲囊をまったく欠くか,あっても小さなものが1対あるのみである。
循環系には2型みられる。一つは体を縦走する背腹血管と連接血管からなる閉鎖血管系で,もう一つは体内の柔組織の中にできた洞溝系を血液が流れるものであって真の血管系は失われている。呼吸は一般に体表全体で行われるが,ウオビル科のもので体側に囊状の呼吸囊や枝状のえら(鰓)をもつものがある。排出器は腎管で,腹面中央部の両側に10~17対並んでいるが,17対のことが多く,体の前後方では欠如している。神経系は頭部神経節,腹神経索など他の環形動物と原則的に同じである。
雌雄同体で,1対の卵巣と数対の精巣がある。直接交尾によって受精する場合と,体表に付着された精包から精子が組織の中を移動して受精する場合とがある。産みだされた受精卵は環帯でつくられた卵包の中で発生がすすみ,変態して幼個体になってから卵包の外に出る。
ヒル綱は次の4目よりなる。毛(もう)ビル目Acanthobdellidaは,バイカル湖やフィンランドのサケ・マス類に寄生するAcanthobdella peledina1種のみよりなる。これはミミズに近い形態で,もっとも原始的なヒルと考えられる。吻ビル目Rhynchobdellidaは消化管の先端に吻をもつ。ヒラタビル,ヌマビル,ナミウオビル,ウミエラビルなど淡水および海産種が知られる。顎(がく)ビル目Gnathobdellidaは咽頭に3個の筋肉性のあごがある。吸血性または肉食性。ウマビル,ヤマビル,チスイビルなどが知られる。ヒルド科のHirudo medicinalisは吸血性を利用して,ヨーロッパでは古くから医療に用いられ,日本ではチスイビルが用いられた。咽(いん)ビル目Pharyngobdellidaは咽頭が長く3条の筋肉性のひだをもち,あごを欠く。ふつう肉食性。ヨツワクガビル,シマイシビル,マネビルなどが含まれる。吸血性のものでは,動物が水を飲むときに,口から鼻腔に入って吸血する例が多い。最近長崎では婦人の眼球の表面に寄生していた例もあり,人間や動物にいろいろな害を与えるものが多い。
執筆者:今島 実
中国では古くから水蛭が悪血や瘀血(おけつ),月経閉止,凝血溶解,折傷,金瘡(きんそう)などの治療薬とされてきた。現代中国では原動物として日本医蛭(チスイビル)のほか,寛体金銭蛭,茶色蛭などが使われている。古代には米のとぎ汁へ浸したのち乾かしたが,現在では石炭や酒で悶死(もんし)させたものをさらし乾しにしたり,あぶって乾燥させている。丸薬や散薬にするほか患部をヒルに吸わせたり,浸した液を外用薬とする。虚弱な人や貧血の人,妊婦は服用を禁じている。近代まで日本の農村でも田や小川にいるヒルに毒血を吸わせる風習があった。本草では蚑,至掌ともいう。
執筆者:槙 佐知子
アメリカの天文学者。ニューヨーク市の生れ。ニュージャージー州のラトガーズ州立大学を,1859年に卒業。在学中に数学教授ストロングT.Strongの感化で,P.S.ラプラスの《天体力学》,J.L.ラグランジュの《解析力学》,A.M.ルジャンドルの《楕円関数論》などを読み,この間に培われた古典の素養は後の斬新なアイデアを支えて天体力学界に偉大な足跡を残す一助となった。大学卒業後のヒルは数学の研究を志してケンブリッジ(マサチューセッツ州)に赴き,61年に当時同地にあったアメリカ海軍省航海暦局に勤めて《天体・航海暦》の計算に携わることとなった。爾来92年に退職するまでの約30年間,ヒルの天文学的著作はすべてここで生まれたのである(ただし同局はやがてワシントンD.C. に移転し,その後93年にはアメリカ海軍天文台に合併した)。1877年にS.ニューカムが航海暦局長となって惑星表の完成という遠大な計画を立てたが,ヒルは木星,土星の運動を受け持ち,難解な長周期相互摂動を解決した。このほかにヒルの業績で著名なのは月運動論である。J.H.ポアンカレはその着想の巧みさを絶賛し,E.W.ブラウンはそれを受け継いできわめて精緻(せいち)な月運動論を展開し,またその変分軌道は三体問題の周期解の研究の先鞭となり,さらに近地点の運動に導入されたヒルの微分方程式は,その解に利用された無限次行列式とともに,数学界にかっこうの問題を提起することになった。87年イギリス王立天文学会金牌を贈られ,1894,95年度のアメリカ数学学会長を務めた。しかし学位がないとの理由で航海暦局では低い役職に甘んじた。
執筆者:堀 源一郎
イギリスの教育者であるとともに近代的郵便制度の確立と発展に寄与し,近代郵便の父,郵便切手の父と呼ばれる。教育者としてのヒルは父の経営する学校で,生徒の自主性と主体性を重んじ,学校の管理・運営を可能な限り生徒の手にゆだね,自主独立の教育効果をあげたことで知られる。1835年ごろから郵便制度に関心をもち,制度改善の提案を次々と行い,実行に移した。郵便料金はできるだけ安価であることが前提であるとし,料金の値下げと均一料金制の導入を提唱,39年にそれは議会を通過し,翌40年から距離別の料金体系は重量別の均一料金制に改められた。しかも料金の納付に郵便切手を用いることとしたもので,ペニー・ブラックPenny Blackとして知られる最初の切手が,40年5月1日に発行された。ヒルはまた郵便事業の監督者の地位に就任し,郵便為替制度も創設した。
執筆者:小林 正義
イギリス,スコットランド生れの風景画家,写真家。もともと画家であったが,1843年,スコットランド自由教会の設立者たちの肖像画を描くための資料として,当時エジンバラで肖像写真スタジオを開業していたアダムソンRobert Adamson(1821-48)の協力のもとに写真を始めた。それがきっかけとなって写真の世界に入り,以後アダムソンが死ぬまでの5年間に共同で数多くの写真を撮っている。ヒルとアダムソンの2人の名前で撮影された数々のポートレートは,カロタイプ法特有の尖鋭さのない柔らかな明暗のコントラストによって,人間の内面への深い洞察を感じさせるものとなっている。後年A.スティーグリッツらによって再評価された彼らの写真は,肖像写真に芸術的な地平を切りひらく萌芽にもなっている。
執筆者:金子 隆一
イギリスの歴史家。オックスフォード大学のベーリオル・カレッジに学び,1935-36年ソビエトに留学。38年以降,兵役をはさみ,ベーリオルのフェローを務めた。《イギリス革命》(1940)でマルクス主義的市民革命観を提示し,反響をよぶとともに批判をうけた。65-78年母校ベーリオルの学寮長。ピューリタン革命を中心に多数の著作がある。《イギリス革命の思想的先駆者たち》(1965),《宗教改革から産業革命へ》(1967),《ひっくり返った世界》(1972),《ミルトンとイギリス革命》(1978)など。78-80年オープン・ユニバーシティの非常勤教授も務めた。
執筆者:今井 宏
アメリカの鉄道業者。14歳から倉庫など交通関係の仕事に従事し,1875年機関車に石炭を補給する会社を設立,78年にはセント・ポール・パシフィック鉄道を買収した。その後90年にグレート・ノーザン鉄道を組織し,93年にはノーザン・パシフィック鉄道も支配下におさめて北西部一帯の鉄道網を支配した。極東との通商にも関心をもち,1900年にはグレート・ノーザン・スチームシップ会社を組織,生れ故郷カナダの鉄道建設にも尽力した。
執筆者:小沢 治郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
環形動物門ヒル綱Hirudineaに属する種類の総称。淡水や陸上の湿地などに広く生息するほか、海にすむ種類も多く、それらの大部分は魚類、甲殻類、カメなどに寄生する。
[今島 実]
体は細長く扁平(へんぺい)で、多数の輪状の縞(しま)があるが、真の体節の数は種類や体の大小に関係なく、すべて34節である。体表には体環溝、目、感覚突起、乳頭などがあり、体の前後両端の腹面にはそれぞれ1個の吸盤がある。前方の吸盤の底には口があり、口から続く消化管の形には、種類によって特徴があり、吸血に適した吻(ふん)をもつもの(吻ビル目)、あごが発達したもの(顎ビル目(あごびるもく))、肉食に適した長い咽頭(いんとう)をもつもの(咽ビル目(いんびるもく))などがある。ヒル類の体内は、結合組織や筋肉がきわめて発達した結果、体腔(たいこう)が極度に狭められ、そのすきまが管のようになって血管の役割をし、ヘモグロビンを含む赤色の血液が流れている。消化管は口、咽頭、食道、嗉嚢(そのう)、胃、腸から肛門(こうもん)で終わるが、とくに胃が消化管の大部分を占め、そのうえ体節ごとに胃から側盲嚢を出している。ヒル類はすべて雌雄同体で、1個体に雌と雄の両方の生殖器官がある。性的に成熟すると第10~第13体節に環帯ができ、雄生殖口は第11体節、雌生殖口は第12体節の腹面正中線上に開く。交尾の方法も種類によって異なり、精包による間接的交尾を行うもの(吻ビル目、咽ビル目)と、陰茎による直接的交尾を行うもの(顎ビル目)がある。
[今島 実]
顎ビル目に属するチスイビルとヤマビルの口には、丸鋸歯(まるのこば)のような歯列をもつあごがあり、ほかの動物の皮膚に吸い付くと同時に、この歯で皮膚をY字形に切りつける。ヒルの唾腺(だせん)には、ヒルジンという血液凝固を妨げる物質と、血管の拡張作用をするヒスタミン様の物質が含まれていて、吸血と同時にこれらの液を注入しながら吸血をする。したがって、吸血された動物の出血はなかなか止血しないという特徴がある。チスイビルの吸血は1回に体重の2~5倍、ヤマビルでは体重の10倍もの血液を1回で吸血する。この吸血性を利用して、チスイビルは古くから医療に用いられている。なお、このように大量に吸った血液は側盲嚢に一時蓄えられ、徐々に長い時間をかけて消化されるようになっているので、1年に2、3回吸血すると一年中生活できる。産卵は大部分は年1回で、卵嚢内に産み出される。卵嚢の形は種類によりいろいろ違っていて、発生は卵嚢内で進み、変態して幼生となって外に出てくる。なかには産卵後、卵嚢を親が体の腹面につけて保護するものもある。ヒルには吸血するもののほかヨツワクガビルやマネビルはミミズを食べ、またカモ、ガチョウやウシなどの気管に入り込んで、それらの寄生動物を死に至らしめてしまうヒルもある。
[今島 実]
ヒルは水田耕作者の害敵で、それを除去するための習俗がいろいろある。静岡市あたりでは、旧暦6月15日をヒル供養と称して、神に供え物をし、田に入らなかった。広島県山県(やまがた)郡周辺では、ヒール神さんといって集落ごとにヒル除(よ)けの神を祀(まつ)っている。神や名僧がヒルの口を封じたので、その土地のヒルは血を吸わないという伝説も各地にある。
[小島瓔]
アメリカの映画監督。ミネソタ州ミネアポリスに生まれる。イエール大学とダブリンのトリニティ大学で音楽を学び、舞台俳優としてキャリアを始める。第二次世界大戦では空軍パイロットとして従事し、戦後1948年に舞台監督となる。朝鮮戦争でふたたび空軍パイロットとして出兵。帰国後はテレビ監督、ブロードウェー舞台監督に従事し、1962年、40歳で映画監督となる。映画監督としては遅咲きながらも『明日に向って撃て!』(1969)や『スティング』(1973)など、従来の古典的ジャンルからの脱却や、アカデミー賞などの批評面と興行成績面とを両立させ、映画産業繁栄の起爆剤となるような画期的な作品を多く発表した。1970年代にアメリカ映画史を大きく動かした、アメリカン・ニュー・シネマといわれる新たな潮流をつくった映画監督の一人。1972年にはSF小説を映画化した『スローターハウス5』がカンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞。
[堤龍一郎]
マリアンの友だち The World of Henry Orient(1964)
ハワイ Hawaii(1966)
モダン・ミリー Thoroughly Modern Millie(1966)
明日に向って撃て! Butch Cassidy and the Sundance Kid(1969)
スローターハウス5 Slaughterhouse-Five(1972)
スティング The Sting(1973)
華麗なるヒコーキ野郎 The Great Waldo Pepper(1975)
スラップ・ショット Slap Shot(1977)
リトル・ロマンス A Little Romance(1979)
ガープの世界 The World According to Garp(1982)
リトル・ドラマー・ガール The Little Drummer Girl(1984)
ファニー・ファーム 勝手にユートピア Funny Farm(1988)
イギリスの歴史学者。ヨークの生まれ。オックスフォード大学ベーリオル・カレッジに学び、1938年以後同カレッジのフェローおよびチューター。その後同カレッジ学長(1965~78)、放送大学客員教授(1978~80)。処女作『イギリス革命』The English Revolution(1940)において、マルクス主義の立場から伝統的なホイッグ史観を批判し、ブルジョア革命としてのピューリタン革命の世界史上の位置づけを究明。イギリス革命の研究史に新局面を開いた。その後も『教会の経済問題』Economic Problems of the Church(1956)、『イギリス革命の知的起源』Intellectual Origins of the English Revolution(1965)、『ひっくりかえった世の中』The World Turned Upside Down(1972)、『ミルトンとイギリス革命』Milton and the English Revolution(1977)などの著書を刊行して、ユニークな17世紀イギリス革命史家としての名声を確立した。さらにその後も『敗北の経験――ミルトンその他同時代人』The Experience of Defeat : Milton and Some Contemporaries(1984)から『法に立ち向かう自由』Liberty against the Law(1996)にいたる一連の著作で、イギリス近代民主主義・資本主義発展の過程における影の部分、敗北者たちの存在の意義を強調した。
[松浦高嶺]
『田村秀夫訳『イギリス革命』(1956・創文社)』▽『小野功生訳『十七世紀イギリスの宗教と政治』(1991・法政大学出版局)』▽『浜松正夫訳『宗教改革から産業革命へ』(1992・未来社)』
イギリスの生理学者。ブリストルの生まれ。ケンブリッジ大学で数学を学んだが、卒業後生理学の研究に転向し、生理学教授ラングレーJohn Newport Langley(1852―1925)のもとで筋肉収縮の研究を始めた。1920~1923年マンチェスター大学の生理学教授、1923~1925年ロンドン大学教授、1926年から1951年に退官するまで王立協会フォレルトン研究教授であった。この間、筋収縮時の熱発生の研究に主力を傾け、また神経興奮時の熱発生も研究した。筋肉中の乳酸代謝を研究していたマイヤーホーフとともに、「筋肉中の熱発生に関する発見」によって1922年のノーベル医学生理学賞を受賞した。
『筋活動』Muscular Activity(1926)、『生命ある機械』Living Machinery(1927)、『人の筋運動』Muscular Movement in Man(1927)のほか多数の著書、論文がある。教授職のほか下院議員、インド政府科学顧問や、科学団体の役員を歴任した。
[中山 沃]
スコットランドの画家。化学者アダムソンRobert Adamson(1821―48)とともに、写真術の黎明(れいめい)期に多くの優れた肖像写真を残したことで有名。若くして才能を認められて画家としての地位を確立し、1843年、スコットランドの自由教会建立に際し、人間の平等を題材とした壁画を委嘱された。そのとき、アダムソンの助力を得て、下絵にする目的で、発明されたばかりの写真術を用いて、さまざまな職業や階層の人物の肖像を撮影した。彼らが用いたのは紙のネガを用いるカロタイプ方式で、きわめて長時間の露出時間を要したが、これがかえってモデルの内面に迫る肖像写真を生み、彼は画業よりも写真で歴史に名をとどめることになった。アダムソンが早世するまでの5年間に約1500点の肖像写真を撮影、以後はふたたび画業に専念した。
[平木 収]
イギリスの官吏、郵便制度の改革者。イングランド中部のキッダミンスター市に生まれる。児童教育や社会問題に関心をもつ。郵便制度の研究に熱心で、距離の遠近によらず、重量による全国均一郵便料金制の施行という改革案を1837年に発表、これが議会を動かし、1840年イギリスをして世界最初の均一郵便制の実施国とさせた。1839年財務省に雇用され、1834年にイギリス人チャルマーズJames Chalmers(1782―1853)の創案した郵便切手を実際につくり、行使することなどを含めた郵便改革を行った最初の人となる。1854年から郵政長官に就任。多くの郵便事業の改善に努めた功により、1860年爵位を授けられた。没後ウェストミンスター寺院に葬られた。
[今井 修]
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イギリスの生理化学者.ケンブリッジ大学に学び,数学ですぐれた成績をあげたが,W.M. Fletcherの影響を受け,生理学分野に進み,筋収縮の研究に取り組む.1916年同大学生理化学講師.1920年マンチェスター大学,1923年ロンドン大学のユニバーシティカレッジの教授となり,1926年から同大学の生物物理学研究室を1952年の定年まで主宰した.1918年にロイヤル・ソサエティの会員に選出された.鋭敏な熱電気的測定装置を考案して筋肉の熱現象,やがては神経をも研究し,熱発生の経過を電気的,機械的,化学的過程と関連づけた.1922年O.F. Meyerhof(マイヤホフ)とともにノーベル生理学・医学賞を受賞.また,大英博物館理事としてその充実に貢献した.科学思想家としても著名で,翻訳されたものに“科学の倫理的ジレンマ”(1971年)その他がある.
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…アメリカ合衆国の首都ワシントンの小高い丘〈キャピトル・ヒルCapitol Hill〉にある建物。建国の意気盛んな時代にアメリカ建築の統一様式とされたクラシカル・リバイバル(古典復興様式)の代表作。…
…10~11月の大潮の夜に雌雄の体の前方1/3がちぎれ,生殖物を充満させて泳ぎだし,生殖群泳する。このような生殖型個体をバチ,ウキコ,ヒル,エバまたは日本パロロと呼んでいるが,眼が著しく大きくなり,いぼ足も幅広くなって泳ぎやすい形に変形している。生殖型個体が泥の中より浮上することをバチ抜けと呼ぶが,このようなときは魚が飽食するので釣餌に集まらない。…
…雌雄異体で,生殖時期になると雌雄ともに頭部やいぼ足が変形して生殖個体になり,水中を遊泳しながら生殖を行う。このような生殖個体をバチと呼び,地方ではウキコ,ヒルなどとも呼んでいる。イトメのバチは有名で,日本パロロJapanese paloloと呼ばれている。…
…ここでは主としてイングランド,ウェールズ,北アイルランドにおけるナショナル・トラストについて説明する。 このナショナル・トラストの創立者は弁護士ハンターRobert Hunter,婦人社会活動家ヒルOctavia Hill,牧師ローンズリーCanon Hardwicke Rawnsleyの3人である。正式の名称は,〈史的名勝・自然的景勝地のためのナショナル・トラストNational Trust for Places of Historic Interest or Natural Beauty〉で,ここにいうナショナルは〈国民の〉という意味である。…
… 1620年になると,イギリスではキングズ・ポストKing’s Postに対してトラベリング・ポストTravelling Postと呼ばれる制度がジュードSamuel Judeという商人によって開設され,官営と民営の競争がはじまった。弁護士ジョン・ヒルJohn Hillは52年ロンドン~ヨーク間に郵便路線を開設し,官営の半額の料金で手紙や小包を取り扱った。彼は59年に料金の安い郵便制度の創設を《ペニー郵便》という小冊子で提案している。…
…郵便切手が初めて発行されたのは1840年イギリスにおいてである。創案者はチャルマーズJames Chalmers(1782‐1853)であったといわれるが,これを実施したのはR.ヒルである。このときの最初の切手は〈ペニー・ブラックPenny Black〉といわれるもので,黒色でビクトリア女王の肖像を入れた1ペニーの切手であったが,当時はまだ切手を切り離すための目打(めうち)(四方にあけた穴)はなく,一つ一つはさみで切って使用した。…
…動物分類学上,環形動物門Annelidaに属する無脊椎動物の総称。ミミズ,ゴカイ,ヒルなどが含まれる。体は一般に円筒状で細長く,頭部と尾部のほかはほぼ同じような構造の体節が並んでいて,体内も節ごとに隔膜で仕切られている。…
※「ヒル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新