白山山系の
古来暴れ川といわれる手取川は、流程七八キロの平均勾配は二九分の一という。流域面積は八一〇平方キロで、九割の七三七平方キロの雨量が渓口の鶴来谷に集中する。手取川は山地が浅く、かつ壮年期の山容のため流水は急流となって日本海へ突っ走る。水源山地の保水力は乏しく、増水と減水との変化が著しいのが特徴。また扇状地の勾配は扇頂部で一二〇分の一、扇央部で一七〇分の一、扇端部で二〇〇分の一、平均勾配は一五五分の一と測定されている。手取川が造成した扇状地は沖積世中期(縄文中期)頃までにはほぼ現在の地形に形成されていたが(川北村史)、以後も流路は扇状地面を広範囲に変化した。主流(後世の山島川)は扇頂部の鶴来辺りから中央部の稜線に沿って北西に流れ、現
天平宝字三年(七五九)一二月三日奈良東大寺領
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
石川県南部の川。幹川流路延長72km,全流域面積809km2。白山の大汝(おおなんじ)峰(2684m)に発する上流部を牛首川と呼び,湯の谷川と柳谷川が市ノ瀬の東で合流して北西に向きを転じ,途中数本の支流を合わせ,白山市の旧吉野谷村木滑新(きなめりしん)付近で尾添(おぞう)川と合流し手取川となる。さらに大日川,直海谷(のうみだに)川を合わせて同市の旧鶴来(つるぎ)町に達する。ここからは手取川扇状地を西流し,同市の旧美川町で日本海に注ぐ。上流地域には崩壊しやすい砂岩,レキ岩,ケツ岩などからなる手取統と呼ばれる後期中生層が分布し,古来大はんらんを繰り返してきた。とくに1934年のはんらんは歴史に残る大水害をもたらし,以後大々的に上流部の治山・治水事業が進められることになった。下流部の手取川扇状地は標式的な扇状地であり,七ヶ用水,宮竹用水などの用水路が完備し,くまなく水田化されている。これまで渇水時には給水制限を目的とする番水と呼ばれる水利慣行が守られてきたが,68年国によって支流の大日川に大日川ダムが,また79年手取川本流に手取川ダムが建設され,水利はもとより,発電,上水道,防災などにも大きく役立つこととなった。
中流部の白山市の旧鳥越村釜清水付近から上流約7kmの間は景勝の手取渓谷で,黄門橋付近では高さ約30mの絶壁がそびえ,河床には甌穴(おうけつ)群が形成されている。渓谷から下流旧鶴来町にかけては河岸段丘が発達し,とくに旧鶴来町中島から白山(しらやま)にかけての右岸には6段の段丘がみられる。段丘面は畑地として古くはタバコ栽培などが行われていたが,発電所の建設とともに水田化された。同市の旧尾口村五味島に建設された手取川ダムは,県下最大のロックフィル式多目的ダムで,堤高153m,有効貯水量1億9000万m3。上水および工業用水を供給するとともに,3発電所合わせて36万7000kW(1997)の電力を供給する。
執筆者:斎藤 晃吉
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石川県の南部を流れる川。一級河川。幹川流路延長72キロメートル、流域面積809平方キロメートル、県下最大の河川。白山(はくさん)に源を発する牛首(うしくび)川、尾添(おぞう)川が合流、北流して大日(だいにち)川をあわせ、白山市鶴来(つるぎ)地区で向きを西に変え、手取川扇状地を形成し、同市美川(みかわ)地区で日本海に注ぐ。古くから荒れ川として知られ、たびたび水害を起こし、流路変更も多かった。1968年(昭和43)大日川ダム、1979年に手取川ダムがつくられ、電力、防災、水利など多目的に利用されている。中流の手取峡谷には獅子吼・手取県立自然公園があり、下流の扇状地は早場米の産地で、河口付近は伏流水が豊富で工業地域を形成する。河口は江戸時代本吉(もとよし)港として栄えた。河口部にJR北陸本線、北陸自動車道などの橋梁(きょうりょう)が集中する。
[矢ヶ崎孝雄]
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