第98代天皇(在位1368~83)。名は寛成(ゆたなり)。法名覚理。長慶院また慶寿(けいじゅ)院とも称する。後村上(ごむらかみ)天皇の第1皇子。母は未詳。父天皇の後を受けて皇位につき、住吉、吉野、栄山(えいざん)寺などの行宮(あんぐう)に居住。譲位後数年間は院政を行ったらしいが、のち出家して仏門に帰した。長慶天皇の在位、非在位についての議論は、江戸時代以来の史学上の大問題で、『大日本史』は在位説を、塙保己一(はなわほきいち)は非在位説を唱えた。大正年間になり、在位を確証する『耕雲千首奥書』などの有力な史料が発見され、また八代国治(やしろくにじ)(1873―1924)が『長慶天皇御即位の研究』を発表するに及んで在位説は確実となり、1926年(大正15)10月21日に皇統加列の詔書が発布された。応永(おうえい)元年8月1日に崩じたことはほぼ確実であるが、崩御の地は明らかでない。同天皇の別称慶寿院は京都郊外の嵯峨(さが)にあった禅宗寺院に基づくが、天皇が晩年ここに居住したように解するのは誤りで、これは皇子海門承朝(かいもんじょうちょう)が亡父天皇の菩提(ぼだい)のために建立したものと考えられる。御陵は1944年(昭和19)2月11日慶寿院址に決定、嵯峨東陵と名づけられた。なお、長慶天皇は戦乱の世にあって学芸にも心を用い、『源氏物語』についての研究書たる『仙源抄』が今日に伝存する。また1376年(天授2・永和2)千首和歌会を行い、自らも千首をつくったが、その完本は伝存せず、そのうち204首の抄本が存在する。
[村田正志]
『岩坪健編『源氏物語古注集成21 仙源抄 類字源語抄 続源語類字抄』(1998・おうふう)』
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(飯倉晴武)
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第98代に数えられる天皇。在位1368-83年。南朝第3代。後村上天皇の皇子。名は寛成。母は嘉喜門院藤原氏。1368年(正平23・応安1)3月住吉行宮で践祚,以後吉野,河内国天野山,大和国栄山寺に移った。94年8月1日死去。その前に落飾,法名を金剛理と称した。南朝不振のころで事跡の伝わること少なく,在位も疑問視されていたが,八代国治らの研究により在位が確定し,1926年歴代皇統に列せられた。著書に《源氏物語》の注釈書《仙源抄》がある。陵は京都市右京区嵯峨天竜寺角倉町の嵯峨東陵。
執筆者:飯倉 晴武
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1343~94.8.1
在位1368.3.11~83.10以後
後村上天皇の皇子。名は寛成(ゆたなり)。母は嘉喜門院勝子。1368年(応安元・正平23)頃に践祚(せんそ)。足利方との徹底抗戦を主張したがかなわず,83年(永徳3・弘和3)和平派の推す弟後亀山天皇に譲位。南北朝合一後も帰京しなかった。著書「仙源抄(せんげんしょう)」。江戸時代以来,即位説・非即位説があったが,在位が確認され,1926年(昭和元)皇統に加えられた。
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