風景を主なる表現対象とした絵画をいう。絵画もしくは浮彫等の背景に風景を表現することは早くにエジプト,クレタ,アッシリアなどの美術に見られるが,風景のための風景画の独立は西洋ではルネサンス期に初めて成立するに対し,中国ではすでに六朝時代に山水画が描かれ,隋唐より日本へも伝来(例,正倉院御物の琵琶の桿撥(かんぱち)画)し,やまと絵へと摂取されていく。これは西洋の美術が人体表現を主眼とするに対し,中国や日本では人物画も古くよりあるが,自然の崇敬愛好が早くから文学を介して美術の主題とされたことに基づく。風景画が成立するためには山川草木等個々の要素ではなく,それらを包括する自然の全的観照が必要で,これは世界観の問題でありまた遠近法とも密接に関連している。中国ではすでに北宋で三遠と呼ばれる空気遠近法が確立するに対し,西洋では15世紀初頭のネーデルラント絵画で空気(または色彩)遠近法が,また同じころのイタリア(とくにフィレンツェ)絵画で線遠近法が開発されて風景画出現の条件が整った。その意味では風景画は西洋では近世の所産であり,中国や日本と大きな対照をなしている。また風景表現の形式に関しては,中景が描かれるようになって初めて遠近の連続感が生じるのであるが,中国では五代末北宋初期(例,李成)にすでに中景表現を認めうるに対し,西洋では14世紀半ば(例,A.ロレンツェッティのシエナ,パラッツォ・プブリコの壁画《善政》)になってようやく中景描写が成立し,以後加速的に風景画が増大しまた写実度を深めていく。しかし,西洋の風景画は画種として独立して後も長らく宗教画,歴史画,神話画等に比して小芸術であったに対し,中国や日本では士大夫や禅僧等教養階級の賞玩の具として高く評価され,またそのゆえにしだいに写実性を失って〈胸中の景〉(胸中丘壑(きようちゆうきゆうがく))と化することともなった。
遺品を欠くもののギリシア絵画ではたとえば屈強な青年の姿で山を,水瓶を抱く乙女の姿で泉を表すように自然景に関しても擬人表現が行われたと推測されるが,紀元前後のローマ美術(とくにカンパニア地方)では田園詩の絵画化が行われ,その様式が印象派の自然表現を予見するかに思われるのは,例外的現象として興味深い。しかしビザンティン美術やロマネスク絵画では極度に図式化されたパターンをもって風景または自然を暗示するにとどまり,13世紀末に至ってジョット(例,アッシジの〈フランチェスコ伝〉)やマルティーニ(例,シエナ,パラッツォ・プブリコの《傭兵隊長グイドリッチョ・ダ・フォリアーノの騎行図》)の作品に,物語の展開の場として空間的奥行きと広がりをもつ風景描写が出現した。すでに触れたごとく,14世紀中葉,A.ロレンツェッティにより中景表現が導入され,それにおよそ半世紀遅れてファン・アイク兄弟らの初期ネーデルラントの板絵において,観者はみずからの足でそこをくまなく歩きうるかに感じる風景(例,《ヘント祭壇画》)が完成される。北方絵画の風景表現は,油彩技法への驚異とあいまってイタリア・ルネサンス美術に多大の刺激を与え,ピエロ・デラ・フランチェスカ(例,《ウルビノ公夫妻像》)やレオナルド・ダ・ビンチの諸作品における風景描写を生むに至った。
画中から物語的要素がしだいに減少し,代わって風景的要素が増大していく過程の作家の一人にアントワープの画家パティニールがあり,1521年同市滞在中のデューラーは日記にこの人を〈良き風景画家〉と記し,そのときLandschaftsmalerなるドイツ語を初めて使用したといわれている。デューラー自身はすでに15世紀末にどこの景色と特定しうる現存最古の地誌的風景を水彩で描いたが,人物的要素が完全に消失したタブローとしての純粋な風景画は16世紀の20年代に南ドイツのドナウ派から生まれた(例,アルトドルファー《ドナウウェルトの眺め(城のある風景)》)。他方,水の都としての独特の風土,田園詩の愛好,そしてイタリアの北欧への玄関という地理的条件等からベネチアのルネサンス絵画では,風景への大きな傾斜が認められ,人物はいても物語的要素の希薄な《テンペスタ》(ジョルジョーネ)のごとき傑作が生まれた。また16世紀末ローマに定住するに至ったボローニャの画家A.カラッチは歴史画と密接に関連する〈英雄的〉風景画を創始し,17世紀にローマで勉学したフランス人N.プッサンに多大の影響を及ぼし,また同じくローマに学んだクロード・ロランも牧歌的情趣を盛った理想的風景画を描いて名声を高めた。これに対し現実的地誌的風景へ目を向けたのが新興国オランダの画家で,彼らにより風景画は静物画や風俗画と並んで初めて画種として独立し,また海景,夜景,冬景色等々の専門画家も生ずるに至った。オランダの風景画(例,ロイスダール,ホッベマ)は概して地平線を低くとって現実感や無限感を表現しようとするに対し,カトリック圏にとどまったスペイン領ネーデルラントのそれ(例,ルーベンス)は地平線を高くし,そこに生ずる大きな地面空間を物語展開の場とするイタリア的理想風景の形式を踏襲しており,オランダでもレンブラントの風景画はそれに近い。またフェルメールは傑作《デルフトの眺望》において暗箱(カメラ・オブスキュラ)により構図を決めており,この手法はグアルディ,カナレット,また版画家ピラネージ等18世紀の都市景観図(ベドゥーテvedute)作家により愛用された。
しかし18~19世紀前半の西洋の風景画発展の主流をなしたのはイギリスで,クロード・ロランの牧歌的風景画への大きな愛好はまずゲーンズバラ,やや遅れてコンスタブル,ターナーらを生み,コンスタブルは17世紀のオランダ風景画を思わせる現実描写へ,また水辺の景色を愛したターナーは光と色の交響詩ともいうべきベネチア風景その他多くの佳作を描き,やがてモネの印象派へと道を開くのである。視覚的現実のもっとも忠実な再現である印象派以降風景画は民族や地域による特性を失い,20世紀に入っては心象風景へと変質していく。
→山水 →山水画
執筆者:前川 誠郎
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自然の風景、都市、建築など、戸外の景観を描いた絵画。絵画表現のなかで、人体像とともにもっとも主要な対象となり、それぞれの時代・社会の自然観、空間の意識を伝えてくれる。しかし、古代エジプト、メソポタミア、ギリシアなどでは、さまざまな主題、とくに風俗的情景、物語的情景の背景に自然の諸要素が配置されていることがあっても、それらはまだ記号的・象徴的な表現にとどまっている。都市や建築の景観を含めた自然空間への意識、換言するなら、ある視点から見た空間を二次元上の平面に統一的に把握しようとする試みは、ヘレニズム期の田園詩的情景を示す壁画やモザイク類に現れ、ローマ絵画に受け継がれる。そこには、近世の遠近法的な視野の統一性は十分に備わっていないが、風景がその牧歌性、幻想性によって鑑賞され、ほとんど純粋な風景画に近い作品が成立する。
中世には、背景空間はふたたび観念化され、象徴化される。けれども中世後期、宗教画の情景設定にも、世俗的な主題の情景にも、統一的空間の意識が現れる。14世紀前半に属するアンブロジオ・ロレンツェッティの『善政』(シエナ、パラッツォ・プブリコの壁画)は、広やかな眺望の中に丘や野、都市を描き、また手写本装飾画やタペストリーにも、自然空間の描写が現れる。
ルネサンス期、イタリアにおける線遠近法の発見と確立、フランドルにおける経験的な遠近表現の技法の発達によって、宗教画、神話画、肖像画を問わず、情景は現実的な自然空間や都市空間の中に設定されることとなる。そうした自然探究の間に、アルトドルファー、レオナルド・ダ・ビンチ、デューラーたちの小品の素描、水彩画が示すように、ほとんど独立した風景画が生まれる。
16世紀後半から17世紀にかけて、風景画はしだいに独立し、寓意(ぐうい)、宗教、神話などの主題を含みながらも風景に重点を置く作品も多く制作される。地誌的風景、逆にさまざまな土地の風物を合成した「世界風景」、神話などの題材を含んで展開するいわゆる「英雄的」理想主義的風景、古代の遺跡などを好んで題材とする遺跡画、都市風景、海景など、多様な風景画が成立する。17世紀オランダのレンブラント、ロイスダール、ホッベマ、フランスのクロード・ロラン、プサン、スペインのベラスケスなどが多くの優れた風景画を残している。
17世紀の風景画にみられる光への関心は、18世紀イギリスのゲーンズバラ、コンスタブル、イタリアのカナレット、フランスのフラゴナールたちによって、いっそう生き生きとした探求となり、19世紀のロマン派以降の風景画全盛期へと受け継がれる。
19世紀初頭のコンスタブル、フランスのバルビゾン派、クールベたちリアリストの自然への接近は、印象主義によって一つの頂点を迎える。従来の理想主義的、ロマン主義的な自然観にかわって、より即物的な視覚、時々刻々に変化する光や大気への情緒の成立によって、近代風景画の変革がなされたのである。
18世紀まで、フランスのアカデミーでは、宗教画、歴史画に比べて、風景画は低いジャンルとみなされてきたが、19世紀には、風景画は静物画や人物画と並ぶもっとも主要なジャンルとなり、印象派以降の各流派、各個性のそれぞれの作風によって多様な展開を遂げ、20世紀における造形の目覚ましい変革のなかでも、一つのジャンルであることを主張している。
なお、東洋では一般に山水画とよばれ、一ジャンルを形成している。
[中山公男]
『K・クラーク著、佐々木英也訳『美術名著選書4 風景画論』(1976・岩崎美術社)』
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… 江戸の町人文化の成熟にともなって,後期には主題の分化がいちじるしく進んだ。とくに際だって注目されるのは,他の画派にあってはつねに主要な関心事である風景画と花鳥画の両分野の,浮世絵における成立と流行である。風景画には,特定の土地の風光の美とそこに営まれる人々の暮しぶりを紹介しようとした名所絵と,旅する人の目で宿駅や道中の景観と風俗とを描いた道中絵の二様があり,いずれも人事と深くかかわりをもった人間臭い風景描写を特色としている。…
…また木版画,銅版画,石版画などの版画,あるいはその応用としての挿絵,ポスターなども,色と形による平面の造形芸術であるかぎり,絵画の一分野と考えられる。絵画の分類としては,画材,形式による分類のほか,主題による分類(歴史画,肖像画,風景画,静物画,風俗画等),社会的機能や役割による分類(宗教画,装飾画,記録画,教訓画等),地理的分類(イタリア絵画,フランス絵画,インド絵画等),歴史的流派や様式による分類(ゴシック絵画,バロック絵画,古典主義絵画,抽象絵画等)などがある。
[絵画の起源]
古代ギリシアのある伝説は,絵画の起源を次のように語っている。…
…彼らは一派を形成したわけではなく,また個人的なつながりもほとんどなかったが,ドナウ河畔の美しい自然に対する風景感情のめざめという点で共通していた。風景画というジャンルがまだ確立せず,実景を写すことも一般的でなかった当時にあって,ドナウ派が風景画史上に果たした役割は少なからぬものがある。当時のイタリアの風景描写が,多かれ少なかれ理想化されていたのに比べ,ドナウ派のそれは画家と自然との直接のふれ合いから生ずる清新な抒情性をたたえており,この点で同時代のJ.パティニールやブリューゲルなどネーデルラントの風景画とも一線を画している。…
…このような写実的な光の表現は,線遠近法による合理的空間表現とともに,ルネサンスから19世紀に至る西洋絵画の基本的特色をなす。天候や時刻が識別できる風景画が発達し得たのも,このような光の表現があればこそである。 これに対し中世美術においては,光はきわめて重要な要素ではあるものの,そのあり方は古代および近世と著しく異なる。…
…添景としての人物などを取り合わせる場合もあるが,これが主要な対象となるときは,普通,風景写真とはいわない。 写真が発明される以前に,絵画にはすでに〈風景画〉という形式が確立しており,写真が出現した当初,画家や美術に関心を寄せる者が中心となり写真撮影を試みていたから,当然のこととして風景画の様式を追従した風景写真が多く撮られた。これは当時の,写真を芸術の域にまで高めようとする努力の結果であり,現在の考え方を当てはめて一概にその模倣性を非難することはできない。…
※「風景画」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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