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アメリカ演劇 アメリカえんげき

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

アメリカ演劇
アメリカえんげき

勤労を貴び娯楽を忌避する宗教的伝統が強かった植民地時代のアメリカに,初めて登場した職業劇団は,1752年にイギリスからやってきたハラム一家であった。彼らは東部海岸沿いの諸都市を上演禁止条例の網の目をくぐりながら巡業を続けた。

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世界大百科事典 第2版の解説

アメリカえんげき【アメリカ演劇】

アメリカ演劇の最も重要な特徴は伝統の欠如である。ヨーロッパ諸国の演劇がいずれも中世にまでさかのぼる歴史をもっているのに対して,アメリカ演劇の歴史はせいぜい200年にしかならない。しかも,芸術的に見て一応問題になるものが現れたのは,ここ100年ほどのことである。つまり,アメリカ演劇は最初から近代劇であったと言ってよく,その基本原理はリアリズムであった。ヨーロッパでは近代リアリズム劇は古典の伝統を革新するものとして成立したが,アメリカでは事情が異なっていたのである。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

アメリカ演劇
あめりかえんげき

植民地時代のニュー・イングランドでは、清教徒ピューリタン)の禁欲主義から演劇が禁止されたりもしたが、18世紀中ごろにはイギリスから職業劇団が渡米公演を行うようになり、なかにはアメリカに定住する一座も現れた。独立革命(1776)後になると各地に常設劇場が建築されるようになり、劇団の数も増え始めるが、上演される作品はほぼイギリスを中心としたヨーロッパものというのが実態だった。そのなかで、アメリカ人が書いた、アメリカを舞台にした最初の作品となったのは、ロイヤルタイラーRoyall Tyler(1757―1826)の『コントラスト』(1787)で、アメリカ魂をたたえるヤンキー劇流行の先駆けになった。19世紀に入ると、他の都市をしのいでニューヨーク市が演劇の中心地となり、大劇場の建築が相次ぎ、今日のブロードウェー商業劇場街を形成する基礎ができた。同時に、1869年の大陸横断鉄道の開通も手伝って、地方を巡回する劇団の数も急増し、演劇は大衆的娯楽として人気を博するようになる。こういった流れのなかで、本場イギリスでも通用するアメリカ生まれの俳優も登場するが、劇作家に関しては不毛だった。その大きな理由は、当時の舞台を席巻(せっけん)していたのが、芸術的、文学的な内容よりも職人的な作劇術が必要とされるメロドラマだったこともある。メロドラマは善悪の葛藤(かっとう)を基本構造に、波瀾万丈(はらんばんじょう)のスペクタクル劇として構成されることが多く、ほとんどの場合娯楽として消費された。しかし、小説を劇化して19世紀最大のヒット作となり、南北戦争への機運を高めるきっかけにもなった『アンクル・トムの小屋』(1852)にみられるように、その時代のナショナル・アイデンティティ(国民的または民族的一体感)の形成に寄与するところもあった。[鳴海四郎・一ノ瀬和夫]

近代劇の展開

19世紀後半になると、こういったメロドラマにも「本当らしさ」が求められるようになり、1880年から1920年ごろにかけてさまざまなリアリズムへの試みが繰り返された。そのなかには、舞台装置を可能な限り本物に近づけようとした演出家デイビッド・ベラスコの実験もあれば、女性の内面に光を当てたレイチェル・クロザーズRachel Crothers(1878―1958)、生活習慣や価値観の違いによる人間の葛藤を描いたウィリアム・V・ムーディ、貧民街の実態を舞台に再現したエドワード・シェルドンEdward Sheldon(1886―1946)などの写実的演劇が含まれる。さらにハーバード大学の演劇学者ジョージ・P・ベーカーは1905年に劇作コースを開設して実践的な演劇教育を開始し、ヨーロッパの新しい演劇も紹介され始めた。こういった流れのなかで1910年代になると各地に小劇場運動が展開されるようになった。ニューヨークでは1915年にワシントン・スクエア・プレイヤーズWashington Square Playersとプロビンスタウン・プレイヤーズProvincetown Playersという二つの実験的小劇団が誕生し、前者はおもにヨーロッパの新しい戯曲を紹介する一方、後者は1916年ユージン・オニールを世に送り出した。同1916年には、19世紀末から20世紀初頭にかけて全国の主要劇場の上演権を独占し、商業性を優先させて演劇の芸術的発展を阻害していたシアトリカル・シンジケートTheatrical Syndicate(劇場企業連合)も消滅して、アメリカ演劇は新しい時代を迎えることになった。
 1920年代はアメリカ演劇の開花期であった。オニールは『皇帝ジョーンズ』(1920)、『毛猿』(1922)などの表現主義的実験劇、『楡(にれ)の木陰の欲望』(1924)などの写実的心理劇、仮面を使い存在の根源を追求する『偉大なる神ブラウン』(1926)、傍白によって内面心理を表現する『奇妙な幕間(まくあい)狂言』(1928)、さらにはギリシア悲劇と現代心理学の融合を図る『喪服の似合うエレクトラ』(1931)など数々の野心作を矢つぎばやに発表した。それとともに、表現主義の『計算器』(1923)や自然主義の『街(まち)の風景』(1929)を書いたエルマー・ライス、詩劇の復活を目ざしたマクスウェル・アンダーソン、作劇術の才を発揮したシドニー・ハワードなど多彩な作家が輩出して、写実派も表現派も、心理劇も観念劇も、問題劇もファルスも、一気に花を咲かせた。演出、演技、装置、照明の分野でも有能な新人が活動を始め、ブロードウェーもそれら新時代の動きを吸収して繁栄し、大恐慌直前の1927、1928年度には年間約300本の劇が上演されるという盛況になった。
 1930年代の大不況期には不安な社会状況を投影して社会劇や左翼演劇が盛んになった。演出家のハロルド・クラーマンやリー・ストラスバーグらが1920年代をリードした劇団シアター・ギルドから分かれてグループ・シアターを組織し、そのなかから劇作家クリフォード・オデッツや演出家エリア・カザンが登場した。オデッツの労働争議を扱った『レフティを待ちつつ』(1935)、シドニー・キングズリーの社会劇『デッド・エンド』(1935)、アーウィン・ショーの反戦劇『死者を葬れ』(1936)などはこの時代の直接の反映である。一方、アンダーソンの一連の歴史詩劇、ジョージ・S・コーフマンやサミュエル・N・ベーアマンらの喜劇、リリアン・ヘルマンの家庭劇、人生の意味を宇宙的な視点から問いかけるソーントン・ワイルダーの『わが町』(1938)、人間賛歌を奏でるウィリアム・サロイヤンの『君が人生の時』(1939)などは、この暗い時代への反作用といえるかもしれない。[鳴海四郎・一ノ瀬和夫]

第二次世界大戦後

大戦直後にはテネシー・ウィリアムズとアーサー・ミラーの2人の優れた素質をもつ劇作家が現れ、アメリカ演劇はその成熟期に達した。前者の『ガラスの動物園』(1945)や『欲望という名の電車』(1947)、後者の『セールスマンの死』(1949)などの作品は、形式と内容の両面から現代演劇の水準を高めるものとして世界的に評価され、その後の演劇の発展に大きな影響を残した。どちらも複雑な現代社会のなかで孤立した人間の苦悩に焦点をあてているが、前者は敗北者のゆがめられた内面心理を詩的に表現することに成功し、後者は社会批判の立場から立体的な舞台処理で主人公の意識の流れを描き出すのに成功した。しかし1950年代に入ると、ウィリアムズの『やけたトタン屋根の猫』(1955)、ミラーの『るつぼ』(1953)、オニールの遺作『夜への長い旅路』(1956)などの秀作も発表されたが、概してブロードウェーは沈滞し、それにかわってオフ・ブロードウェーの小劇場運動が目だつようになった。これは演劇制作費の高騰が主因で、ブロードウェーがふたたび大衆に迎合する商業主義に陥り、実験作や野心作の登場する機会が乏しくなったことへの反発として始まった。サークル・イン・ザ・スクエアCircle in the Squareやリビング・シアターLiving Theatreなどの劇団が小劇場を拠点として、新進劇作家の育成、新しい演出理念の実践、ヨーロッパの前衛劇の紹介に乗り出して成果をあげた。エドワード・オールビーが発掘されたのもオフ・ブロードウェーである。『動物園物語』(1960)、『アメリカの夢』(1961)などの一幕劇は、コミュニケーションが断絶し、不毛の状況に追い込まれたアメリカ社会を風刺したもので、彼はアメリカの不条理演劇作家とみなされた。のちにブロードウェーに発表した『バージニア・ウルフなんかこわくない』(1962)は、その毒舌をきわめた台詞(せりふ)のインパクトで話題となった。
 そのオフ・ブロードウェーも1960年代初めにはしだいに商業化の傾向が強くなったため、それに反逆するオフ・オフ・ブロードウェー運動が始まった。コーヒーハウス、教会、倉庫、ガレージなどの小空間を利用した新しい演劇運動で、カフェ・ラ・ママ(のちラ・ママ実験劇場)、オープン・シアター、パフォーマンス・グループなどが有能な演出家を擁して、およそ考えられる限りの手法の実験劇を繰り広げた。おりしも政治的暗殺事件が相次ぎ、ベトナム戦争は拡大の一途をたどり、ブラック・パワー運動、女性解放運動、ゲイ解放運動などが台頭、さらに麻薬問題、社会不安などでアメリカ社会が揺れ動く時期だっただけに、ヨーロッパ巡演から戻ったリビング・シアターを含めて彼らは、ハプニング、街頭演劇、ヌード劇、環境演劇、観客参加劇、人形劇などの新しい表現手段を駆使して果敢に反戦運動、反体制運動を展開した。劇作家ではジャン・クロード・バン・イタリーJean-Claude Van Itallie(1936― )、サム・シェパードや、黒人作家のリロイ・ジョーンズ(イマム・アミリ・バラカ)やエド・ブリンズが育ち、その後も息の長い活躍を続けている。
 それと比較すれば1970年代は内向化と周縁化の時代だった。ある意味で楽天的な1960年代的変革の理想が挫折(ざせつ)し、1974年のウォーターゲート事件による大統領ニクソンの辞任で象徴されるアメリカの伝統的な価値観の崩壊を受けて、演劇の世界ではウィリアムズ、ミラー、オールビーといった「大きな」物語を語る作家たちは支持を失った。それにかわって政治や社会の問題とは切れたところで自己の内面に向かい合い、その精神世界をことばではなくイメージとして描くロバート・ウィルソンRobert Wilson(1941― )やリチャード・フォアマンRichard Foreman(1937― )が注目を集めるようになる。それと同時に1970年代から1980年代にかけては、それまでマイノリティ(少数派)として周縁に押しやられていたさまざまなグループがそれぞれの主張を発し始めた時代でもあった。その動きは大きく分けて次の四つである。
(1)まずは、女性劇作家の台頭である。これは1960年代から始まったフェミニズム運動の流れとも連動し、テーマだけでなく形式においても、男性中心主義によって条件づけられてきた諸制度を問い直し、アメリカ演劇の活性化を促す大きな流れとなった。作家としてはマーシャ・ノーマンMarsha Norman(1947― )、ウェンディ・ワッサスティンWendy Wasserstein(1950― )、ティナ・ハウTina Howe(1937― )をはじめ、前衛として活動を続けるアドリアンヌ・ケネディAdrienne Kennedy(1931― )、マリア・アイリーン・フォルネスMaria Irene Forns(1930― )などがいて、彼女たちに続く若手劇作家も次々と登場している。
(2)1960年代の公民権運動に連動して盛り上がった後しばらく停滞していた黒人演劇の世界から、狭いジャンル分けを超越するスケールの大きな劇作家が登場し始めたこと。とくに20世紀のアフリカ系アメリカ人の生の実態を10年ごとに区切り、連作として発表したオーガスト・ウィルソンは、黒人演劇の枠を越えて20世紀後半のアメリカ演劇を代表する劇作家と評価されている。そのほかジョゼフ・パップJoseph Papp(1921―1991)が設立したオフ・ブロードウェーの雄、ニューヨーク・シェークスピア・フェスティバル(パブリック・シアター)を率いるジョージ・ウルフGeorge C. Wolfe(1954― )、ジャーナリスティックな手法で多民族で構成されるアメリカ社会の問題を分析するアンナ・ダビア・スミスAnna Deavere Smith(1950― )、前衛的な方法を駆使してアメリカの歴史とアイデンティティを問い直すスーザン・ロリ・パークスSuzan-Lori Parks(1964― )など、多くの才能が登場している。
(3)それまで演劇の世界ではほとんど無視されてきたアジア系アメリカ人劇作家の台頭。その頂点をなすのは、ブロードウェーで公演されトニー賞を受賞したデイビッド・ヘンリー・ホアンの『M.バタフライ』(1988)である。
(4)ゲイ演劇の隆盛。長く抑圧されてきたゲイたちがその権利を主張し始めたのは1969年のことだが、演劇の世界では1982年にハーベイ・ファイアスティーンHarvey Fierstein(1954― )の『トーチソング・トリロジー』がトニー賞を獲得して表舞台で認知され、直後に始まったエイズ禍の時代には、エイズとの戦いを描く優れた作品を生みだした。そして1993年には20世紀掉尾(とうび)を飾る傑作といわれ、文化的・政治的に錯綜(さくそう)するアメリカの実相を豊かな想像力で描ききったトニー・クシュナーTony Kushner(1956― )の『エンジェルス・イン・アメリカ』が登場した。
 アメリカ演劇は伝統と革新がぶつかり合いながら展開してきた。一時のブロードウェー中心の構造はすでに崩れ、いまはブロードウェーに加え、オフ・ブロードウェー、オフ・オフ・ブロードウェーと地方演劇がさまざまに絡み合う形でアメリカ演劇は成立している。ブロードウェーに関しては、往時の活力を失い、観光客向けの大型ミュージカルと過去の有名作品のショーケースになっているという指摘もあり、オフ・ブロードウェーもブロードウェーの下請け機関的な存在になりつつある。しかし、ブロードウェーにしろ、オフ・ブロードウェーにしろ、つねに外の世界に対して自らを開き、その活力を自らに取り込んで自己革新していくという本質は、いまも失われてはいない。[鳴海四郎・一ノ瀬和夫]
『佐多真徳著『悲劇の宿命――現代アメリカ演劇』(1972・研究社出版) ▽鈴木周二著『現代アメリカ演劇』(1977・評論社) ▽倉橋健著『現代アメリカの演劇』(1978・南雲堂) ▽末永国明・石塚浩司編著『戦後アメリカ演劇の展開』(1983・文英堂) ▽中村英一著『アメリカ演劇研究』(1994・英宝社) ▽高島邦子著『アメリカ演劇研究――アメリカン・リアリズムのレトリック』(1996・国書刊行会) ▽セオドア・シャンク著、鴻英良・星野共・大島由紀夫訳『現代アメリカ演劇――オルタナティヴ・シアターの探究』(1998・勁草書房) ▽内野儀著『メロドラマからパフォーマンスへ――20世紀アメリカ演劇論』(2001・東京大学出版会) ▽一ノ瀬和夫・外岡尚美編著『境界を越えるアメリカ演劇――オールタナティヴな演劇の理解』(2001・ミネルヴァ書房)』

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