フランスの物理学者,化学者。リムーザン地方の生れ。パリのエコール・ポリテクニク卒業後,土木工学校に入ったが,師のC.L.ベルトレの実験助手となった。1806年にアカデミー・デ・シアンスの物理部門の会員に選ばれ,のちパリ大学理学部物理学教授,エコール・ポリテクニク化学教授も兼ねた。1802年に,気体の温度と体積に関するゲイ・リュサックの法則(シャルルの法則とも呼ばれる)を発表し,気体の膨張係数を0.00375と決定した。04年には気球に乗って上昇飛行を試み,2度目には単独で7000mを超えた。05年にA.vonフンボルトとともに水の合成の実験を繰り返し,水素と酸素がほぼ2対1の割合の体積で結合することを確認した。しかし,他の気体の反応においても簡単な体積比で結合することを確かめ,気体反応の法則を確立するのは,その3年後である。次いで同僚のテナールLouis Jacques Thénard(1777-1857)とともに,ボルタ電池による電気分解の実験に取り組んだ。これは,H.デービーが,電気分解によるアルカリ金属の遊離に成功したことに刺激されたものである。ゲイ・リュサックは,カリウムを使ってホウ酸を分解し,ホウ素を得ることができた。また青酸が炭素,水素,窒素からだけで成り立っていることを確定し,シアンの遊離に成功した。定量分析法の発展に力を尽くし,たとえば酒中のアルコール濃度の決定法を改良した。スコッチウィスキーのラベルに43°GL(容量%)などという標示があるのは,ゲイ・リュサックにちなんだものである。彼はまた造幣局のために,従来の灰吹法より優れた容量分析法によって,合金中の銀の含有率をより正確に決定できるようにした。サン・ゴバン会社のために,硫酸製造の過程でむだとなっていた酸化窒素の回収を可能にしたゲイ・リュサック塔を考案したのは1830年代末である。このように,後半生はむしろ応用化学に専心するようになり,フランスの企業の発展に貢献した。
執筆者:吉田 晃
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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