翻訳|gentleman
中世末から近代初頭に成立したイギリスの社会層。16世紀以来のイギリスの支配的階層であるが,その具体的な内容は時代によって微妙に変化している。本来のジェントルマンとは,地代収入によって特有の奢侈(しやし)的な消費生活や教養,政治活動を中心とする行動様式などを維持しえた有閑階級のことである。基本的には,公侯伯子男という爵位をもつ貴族と,身分的には庶民であるが,貴族と同様に〈家紋つきコートcoat of arms〉の使用を認められていた〈ジェントリーgentry〉とがその構成員であった。家紋は盾の形をした枠組みのなかに特定の図案が収められているもので,その家門がかつて武器をもつことを許された階層に属していたことを象徴する。ジェントリーはさらにナイトknight,エスクワイアesquireと単なるジェントルマンとに区分される。近代のイギリスでは,17世紀に創出された準男爵位の保有者を別にすると,貴族は数百人しかおらず,彼らはそのまま貴族院議員となっていたが,独立の社会層として機能するには小規模にすぎた。しかも,ジェントリーと同じように,彼らにはとくに免税特権のようなものもなかったので,事実上,貴族と数万家族からなるジェントリー層は単一の社会層,つまりジェントルマン層を形成したのである。しかし,大地主以外にも時代によってジェントルマンないしそれに近い階層と考えられた人々も多い。たとえば,16世紀以来の内科医(外科医等は別),法律家,聖職者,官僚,18世紀の貿易商,植民地地主,19世紀以降の証券保有者など,一般に土地以外の財産からあがる所得で生活をする半有閑階級(いわゆる〈金利・地代生活者(ランティエrentier)〉)やジェントルマンの相談相手となるような専門職の人々である。
したがって,あらためてジェントルマンの条件をあげるとすれば,(1)基本的に財産所得(地代を中心とする不労所得)によって生活し,(2)経済的・時間的な余裕を利用して,それぞれの時代に〈ジェントルマン的〉とみなされた特有の生活様式を維持し,(3)特有の教養をもち,(4)中央でも地方でもほぼ政権を壟断(ろうだん)した人々である。彼らの人数は,おおまかにいって人口の5%以下であったと思われる。(1)の経済的基盤の点では,時代が下るにつれて土地の意味が小さくなり,内外の政府公債や鉄道・鉱山・製造業その他の株式などの証券の意味が大きくなっていく。この過程ではまた,国内の資産よりも植民地や外国のそれのほうが重要な基礎となってもいく。(2)の生活様式の内容は,たとえば御者つきの馬車をもつとか,家事使用人をおくとか,特定の服装をするといったようなことから,住居,レジャーの過ごし方(パーティ,狩猟など)等々多岐にわたるが,(2)の条件や(3)の教養の条件だけがとくに強調されると,〈ものごしの上品な人〉といったごく現代的な〈ジェントルマン〉の定義が成立する。
(3)の教養は,ジェントルマンの倫理がいわゆる騎士道の精神とルネサンス・ヒューマニズムの接合によって成立したといわれるだけに,古典学を核として全人的な,それだけにアマチュア主義的な教養が重んじられた。公共心--所領の住民一般への慈善にもっともよく示される--ないしパターナリズム(家族主義)が重要視されたのも同じ理由からである。したがって,ジェントルマンの条件としては教育がきわめて重視され,パブリック・スクールからオックスフォード,ケンブリッジ両大学へというコースがジェントルマン教育のコースとして定着する。しかし,ジェントリーの家系の長男はなお18世紀までは家庭内で教育されるのがふつうであった。また,ジェントルマン教育の仕上げとしてのフランスやイタリアへの大旅行(グランド・ツアー)の習慣も定着した。(4)の政治とのかかわりは,少なくとも19世紀初めまでのイギリスでは,ジェントルマンのみが為政者階級であったといってよく,庶民院議員は彼らのなかから選挙され,地方政治のかなめの位置を占めた治安判事職なども彼らによって独占された。とりわけ18世紀には,大地主ジェントルマンと大商人との強固な支配体制が成立し,一般に〈地主王政〉とか〈地主支配体制squirearchy〉と呼ばれている。19世紀以降は,地主の経済力は相対的に低下するものの,社会的価値体系上のジェントルマンの位置はあまり変わらず,その政治権力は第1次世界大戦まではかなり強固に維持された。しかし戦後,相続法が改正されて地主の資産が分散しやすくなったうえ,国際社会におけるイギリスの相対的地位が低下しはじめると,ジェントルマン的価値観への批判も高まり,文学などでもアンチ・ジェントルマンの傾向が強くなる。
ジェントリーの勃興については,学説上二つの対立する主張がある。一つは,宗教改革からピューリタン革命に至る1世紀間には,おりからのインフレによって,伝統的な固定地代を徴収する貴族が没落したのに対し,競争地代を徴収し,毛織物その他のマニュファクチュア経営,石炭業などをも展開した資本家的なジェントリーが急速に勃興したというR.H.トーニーの主張である。これに対して,そのような事実は存在せず,貴族であれ,ジェントリーであれ,宮廷内に官職を確保しえた一族つまり〈宮廷派〉は勃興し,それができなかった一族〈カントリー派〉は没落を余儀なくされたとするH.R.トレバー・ローパーの学説が対立,〈ジェントリー論争〉の名を与えられている。論争の行方は,結局ピューリタン革命を資本家的ジェントリーによる〈ブルジョア革命〉と解するか,〈宮廷派〉に対する議会=〈カントリー派〉のクーデタと解するかという問題にもつながっている。
革命以後の〈地主支配体制〉のもとでは,支配層であるジェントルマンの大部分が,身分的には庶民であるジェントリーによって構成されていただけに,貴族が平民を支配したアンシャン・レジーム下のフランスなどとは異なり,支配層と被支配層の間の流動性が相対的に高かった。新興の社会層はみずからもジェントルマンであることを主張しても,ジェントルマン支配の体制そのものに異を唱えることが少なかった。貴族制度やジェントルマン支配というイギリスの古い社会構造は,それがもっていた柔軟性のゆえに驚異的に長続きしたのである。
→紳士
執筆者:川北 稔
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…しかし,この国の歴史におけるイングランド勢力の膨張にともなって,イギリスという呼称は地域のうえで,〈イングランドとウェールズ〉,スコットランドを含めた〈グレート・ブリテン〉,さらにはこれにアイルランドを含め,また次にこの国の海外植民地獲得に応じて,〈大英帝国〉(あるいはイギリス連邦)までを含む広範な地域をさして,無差別な,漠然かつあいまいな使われ方をしている。そして幕末開国以来の日本人のイギリス観を支配したのは,日本と同じこの小さな島国の強大化の理由を探ろうとする視角であり,植民地帝国,〈世界の工場〉,立憲君主制の下での議会政治,ジェントルマンの国といったイギリスのイメージが日本人に定着していった。 しかしながら,かかるイギリス観の基底には,二つの誤解が存する。…
…今日では身だしなみのよい上品な人を広くさすが,本来,搢(縉)紳(しんしん)という中国語からきており,搢紳の士を略したもの。搢(縉)は挿,紳は帯を意味し,官位にある者の象徴である笏を帯に挿していた官吏の代称であったが,近代日本ではジェントルマンgentlemanの訳語として,1879年ころから使われはじめ,やがて定着した。明治初年にはこの言葉はヨーロッパでも特定の身分層をさす概念から,粗野な振舞いのない穏やかで洗練されたマナーの,比較的上層の士を意味する概念になっていたが,日本でも,たとえ官尊民卑の風潮があるとはいえ,四民平等の時代に対応して,上流の官員と商人の双方を一括して呼ぶ適当な言葉として登場,とくに商人については〈紳商〉と呼ばれた。…
… だが,中流階級の興隆だけが繁栄期ビクトリア時代の特色であったわけではない。1840~70年代の政治の実権は,なお地主階級が握っており,イギリス社会全体としては,ジェントルマンが究極の人間の理想像であった。ジェントルマンであるかないかということを基準に社会の階層秩序が形成されており,上層の中流階級は田舎に土地と邸宅を買い求め,子弟をパブリック・スクールに送ってジェントルマンの地位を目ざした。…
※「ジェントルマン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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