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ジャイナ教 ジャイナきょうJainism

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ジャイナ教
ジャイナきょう
Jainism

インドの宗教の一つ。ジナ教ともいう。開祖はバルダマーナ (マハービーラ ) で,ゴータマ・ブッダと同時代,前6~5世紀頃に活躍した。この時代は,アーリア人の民族信仰だったバラモン教が僧族を最高とする階級制にとらわれて,アーリア人とドラビダ人の混血による新社会の出現,それと同時に,部族統治制から古代統一国家の形成へ進む激動の時代であった。そこで多数の自由思想が出現してバラモン教を批判したが,バルダマーナもその一人でゴータマ・ブッダと同様,クシャトリヤの出身。その教えは,(1) 不殺生,(2) 真実語,(3) 不盗,(4) 不淫,(5) 無所有の5つの大戒を説き,正しい信仰と正知と正しい生活の三正道の修行によって清浄,至福の彼岸に到達できると教えた。彼の教えはマガダ地方に広まり,72歳で没したときには教国が成立していた。以後5~6世紀頃までの歴史は不明で,グプタ朝時代には空衣派と白衣派の2派に分裂し,前者は南方に,後者は北方に広まった。 10世紀頃が最盛期で,各地に寺院,塔を残している。他の宗教に対しては基本的に寛容で,みずからの勢力の拡大といったことには関心が薄い。信者には,グジャラート州やマハーラーシュトラ州の商人が多い。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

ジャイナ教

紀元前5〜6世紀に王族出身のマハーウィーラによって確立された。ムンバイ大のビピン講師によると、非暴力や真理の多様性を認めることなどが思想上の特徴で、輪廻(りんね)、解脱の考え方をとる。殺生、うそ、盗み、みだらな行い、執着(所有)の心を持つことが厳しく禁じられている。寄付行為などの善行を重ねることで、来世で物質的に恵まれ、健康が得られるとも説く。生まれながらに特定の階層に位置づけられるカースト制度の色は薄く、現世での行為がより重視される。

(2007-08-31 朝日新聞 朝刊 2経済)

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デジタル大辞泉の解説

ジャイナ‐きょう〔‐ケウ〕【ジャイナ教】

《〈梵〉Jaina, Jinaは勝者の意》インドの宗教の一。開祖は、前6世紀ごろ、ほぼ釈迦(しゃか)と同時代のマハービーラベーダ聖典の権威を否定し、無神論で、アヒンサー(不殺生)をはじめとする禁戒・苦行の実践を説く。3世紀ごろ、白衣派と裸行派に分裂。商者に信者が多い。耆那(ジナ)教。

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百科事典マイペディアの解説

ジャイナ教【ジャイナきょう】

仏教とほぼ同時代(前5―前4世紀ごろ)に成立したインドの宗教。開祖はマハービーラ。ジャイナJainaとは迷いに打ち勝ったジナJina(勝利者)の教えを意味する。その教理は不定主義の立場にたち,事物はさまざまな立場から考察さるべきであり,すべて相対的に解さるべきだと主張する。また宇宙の構成を霊魂(非物質)と非霊魂(物質)の二大要素と説明し,(ごう)による輪廻(りんね)を認めている。業の束縛より脱し悟りに達するためには,苦行を重んじ戒律を守らねばならぬとされる。不殺生・不妄(ふもう)語・不盗・不淫(ふいん)・無所有の五戒が根本戒律であるが,とりわけ不殺生戒を厳守する。1世紀ごろ,無所有戒をめぐって白衣派(自由派)と空衣(裸行とも)派(保守派)に大分裂した。さらに後世になると両派は細かく分裂し,ヒンドゥー教に同化される傾向も出てきた。現在の信徒数は約320万人でインド全人口の0.5%だが,経済的に大きな影響力をもつ。
→関連項目インド料理ウダヤギリエローラシカラバーダーミ石窟ビマーナマガダ

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世界大百科事典 第2版の解説

ジャイナきょう【ジャイナ教 Jaina】

仏教の開祖ゴータマ・ブッダとほぼ同時代のマハービーラ(前6~前5世紀)を祖師と仰ぎ,特にアヒンサー(生きものを傷つけぬこと。〈不殺生〉)の誓戒を遵守するなどその徹底した苦行・禁欲主義をもって知られるインドの宗教。仏教と異なりインド以外の地にはほとんど伝わらなかったが,その国内に深く根を下ろして,およそ2500年の長い期間にわたりインド文化の諸方面に影響を与え続け,今日もなお信徒数こそわずかだが無視できない勢力を保っている。

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大辞林 第三版の解説

ジャイナきょう【ジャイナ教】

Jaina; Jina ジャイナは勝利者の意〕
インドで、紀元前六世紀頃開かれた仏教と並ぶ非バラモン系統の宗教。開祖はマハービーラ。厳しい戒律生活と苦行の実践による輪廻りんねからの解脱を説く。二世紀頃二派に分裂。信者はインド国内に限られ、現在約二百万余。耆那ジナ教。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ジャイナ教
じゃいなきょう
JainaJainism

紀元前6~前5世紀ごろ、ゴータマ・ブッダ(釈迦(しゃか))とほぼ同時代のマハービーラによって創設され、今日もなお生命を保つインドの宗教。とくにアヒンサー(生きものを傷つけないこと、不殺生(ふせっしょう))の誓戒を柱とする厳格な禁欲主義で知られる。[矢島道彦]

起源

マハービーラは元来「偉大な勇者」を意味する尊称で、本名をバルダマーナ(「繁栄をもたらす者」の意)という。彼はマガダ(現ビハール州)の都市バイシャーリー市近郊のクンダ村で、クシャトリヤ(武人階級)の父シッダールタと母トリシャラーの間に生まれた。氏族名をジュニャートリ(俗語形ナーヤまたはナータ)といった。若くしてヤショーダーという名の姫を迎え、1女をもうけたともいわれるが、この点については賛否が分かれる。30歳で出家し、ニガンタ派とよばれる修行者の群れに身を投じて、12年に及ぶ厳しい苦行ののち、ケーバラ・ジュニャーナ(完全知)を体得してジナ(勝利者)となった。ジャイナ教とは「ジナの教え」を意味する。その後30年間教えを説き広めながら、遍歴の旅を続け、72歳でパータリプトラ(現パトナ)近郊のパーバー村において世を去ったという。その没年は前477年ごろと推定される。仏典では、当時の代表的な6人の自由思想家(六師外道(ろくしげどう))のなかに、ニガンタ・ナータプッタ、すなわち「ニガンタ派のジュニャートリ氏族出身者」として出ている。
 ジャイナ教徒の信仰では、マハービーラ以前にすでに23人のティールタンカラ(渡しをつくる人=ジナ)とよばれる祖師たちがいて、真理の教えはその始祖リシャバ以来、順次受け継がれてきたものとされる。これによると、マハービーラは第24番目のジナとなるが、直前の第23祖パールシュバはニガンタ派を率いていた歴史的実在の人物と考えられる。ニガンタ派に出家したマハービーラが、彼の教えに部分的に改良を加え、ジャイナ教を確立したとすれば、パールシュバこそ真の創始者であったということもできるかもしれない。[矢島道彦]

思想的特徴

「生きものが生きものを苦しめる」世界の現状を憂慮して、マハービーラは、当時バラモン教徒の間で行われていた犠牲祭をとくに批判し、またあわせて、彼らの依拠していたベーダ聖典の権威も否定した。彼は、動植物はもちろんのこと、地・水・火・大気をよりどころとする大小さまざまな生物の存在を認め、生命の尊厳を訴えた。そして、新たに合理主義的な立場から独自の教えを示した。サンジャヤやゴータマ・ブッダなど当時の自由思想家たちと同様、彼もまた真理とは何かについて深く模索した。事物の認識には多くの観方(みかた)(ナヤ)が必要であり、つねに一方的な判断を避けて相対的な考察を行うべきである。真理はことばによって多様に言い表されるべきものであると主張した。これがマハービーラの思想を特徴づける不定主義・相対主義(アネーカーンタ・バーダ)である。具体的な言語表現の仕方として、つねに「スヤート(ある点からすると)」という限定詞をつけよといい、いわゆるスヤードバーダの理論を示した。このためジャイナ教徒はスヤードバーディンともよばれる。ジャイナ教はこのような相対主義を思想的支柱として他の諸学派に対抗し、インド思想史のうえでも無視できない位置を占めるに至った。[矢島道彦]

教義と実践

ジャイナ教では、あらゆる存在物を霊魂(ジーバ)と非霊魂(アジーバ)とに大別し、後者をさらに運動の条件(ダルマ)、静止の条件(アダルマ)、虚空(こくう)(アーカーシャ)、物質(プドガラ)の4種に分け、あわせて「五つの存在の集まり」(パンチャ・アスティカーヤ)という。これに時間(カーラ)を加えることもある。宇宙は世界(ローカ)と非世界(アローカ)よりなり、世界はそれらの諸実体で構成され、一方、非世界には虚空のみ充満する。霊魂は感覚や意識をもつものいっさいを含む。それは表面上、解脱(げだつ)者(ムクタ)と輪廻(りんね)者(サンサーリン)とに大別され、前者は解脱(モークシャ)を得たもの、すなわち完成者(シッダ)、後者は神々や地獄の生きものを含めた生きとし生けるものをいう。霊魂は業(ごう)(カルマン)の流入(アースラバ)と束縛(バンダ)によって苦しみの輪廻世界をさまよっているが、瞑想(めいそう)と苦行を行い、新たな業の防止(サンバラ)と過去の業の除去(ニルジャラー)を達成すれば解脱を得て、本来の純粋で完全な姿を回復できると説く。ジャイナ教徒の目ざす宗教的理想は、三つの宝(トリ・ラトナ)とよばれる正しい信仰(ダルシャナ)と知識(ジュニャーナ)と行為(チャーリトラ)に集約されるが、正しい行為とは、定められた戒律に従って正しい実践生活を送ることであり、その基本は、出家のための五つの大誓戒(マハーブラタ)、すなわち(1)生きものの命を奪わないこと(不殺生、アヒンサー)、(2)嘘(うそ)をつかないこと(不妄語)、(3)盗みをしないこと(不盗)、(4)性的行為をしないこと(不淫(ふいん))、(5)なにものも所有しないこと(無所有)、である。大誓戒を守りきれない在家者は同項目の小誓戒(アヌブラタ)に甘んじなければならないが、しかし可能な限り遵守して出家に近づくことが彼らの理想とされる。無所有の誓戒はこの教徒の宗教実践を特徴づけるものの一つで、とくに保守的な裸行(らぎょう)派の伝統に生きる。また第一の誓戒、アヒンサーの遵守はもっとも重要である。ジャイナ教では動植物はもちろん、地・水・火・大気にまで至るあらゆるものに霊魂の存在を認めたから、アヒンサーの誓戒を破らぬよう、あらゆる機会に細心の注意を払わなければならない。しかしアヒンサーを守るための最良の方法は断食であり、もっとも理想的な死は、断食を続行して死に至ること(サッレーカナー)である。ただしこの断食死は、原則として飢饉(ききん)、老齢、不治の病などに限って許される。[矢島道彦]

聖典その他

ジャイナ教の聖典はアーガマあるいはシッダーンタとよばれ、白衣(びゃくえ)派ではアンガ、ウパーンガ、チェーダなどの7部、計45の典籍をもつ。内容は教義や出家・在家の生活法、またそれらを盛った説話・寓話(ぐうわ)など多岐にわたる。アンガ所属の『アーチャーラ』にはもっとも古くかつ信頼できるマハービーラの伝記がみえる。雨期の生活法やジナたちの伝記を扱うチェーダ所属の『カルパ・スートラ』はもっとも人気のある聖典で、パリウシャナ祭での朗詠の習わしはいまも続く。また絵入り写本でも知られている。白衣派の聖典は俗語アルダマーガディーで書かれ、一方裸行派はこれを否認して、俗語シャウラセーニーで独自の聖典を伝える。同派の学匠クンダクンダもこの言語を用いた。俗語の使用と俗語文学の隆盛はジャイナ教の文学史を特徴づけ、ヘーマチャンドラなどにより字彙(じい)や文典も多数つくられた。サンスクリット語の使用もウマースバーティの教義書に始まり、のちには一般化した。[矢島道彦]

教団史

マハービーラ在世中、マガダのセーニヤ(仏教のビンビサーラ)王やその王子クーニヤ(アジャータサットゥ)などの帰依(きえ)・保護を受け、すでに強固な教団を形成していたと思われるが、没後は高弟(ガナダラ「教団の統率者」)のスダルマンなどによって順次受け継がれていった。マウリヤ朝時代にチャンドラグプタ王などの庇護(ひご)を得て教団の拡張をみた。以降のジャイナ教団史をみるうえでは、とくに白衣派(シュベーターンバラ)と裸行派(ディガンバラ)の分裂と両派の関係をたどることが重要となる。両派の分裂はすでに前3世紀にその萌芽(ほうが)が認められるが、明らかな分裂は後3世紀ころに起こった。両派の相違点は、たとえば、白衣派が僧尼の着衣を容認するのに対して、裸行派は無所有の教えに反するとして裸行の遵守を主張すること、また裸行派は裸行を実践できない女性の解脱を認めないことなどで、概して白衣派は寛容主義にたつ進歩的グループ、裸行派は厳格主義に徹する保守的グループといえる。両派は異なる聖典を伝えているが、教理上の差異はみられず、前記のような実践面での相違が主たるものである。両派はそれぞれさらに細かな分裂を生み、また消長を繰り返した。中世、イスラム教徒のインド侵入は、ジャイナ教にも大きな打撃を被らせたが、むしろそれを契機としてジナ尊像の礼拝を否定する復古主義のローンカー派の誕生をみるなど、ジャイナ教の伝統はとだえることはなかった。[矢島道彦]

現況

現在、白衣派の多くみられるのはグジャラート、ラージャスターンの両州、ムンバイ(ボンベイ)などである。寺院で尊像を礼拝するデーフラーバーシー派とこれを行わないスターナクバーシー派に大別される。裸行派はほとんど南インドに集中しており、これにテーラーパンティとビースパンティの2派があるが、生活儀礼のうえでわずかな相違がみられるだけである。ジャイナ教徒が行っている祭りとしては、マハービーラの誕生を祝うマハービーラ・ジャヤンティ(3~4月)、その逝去(完全な解脱)にちなんで行われるディーワーリー祭(ヒンドゥー教徒のディーワーリー祭の10日後)、雨期の終わりのパリウシャナ祭(8~9月)などが主たるものである。これらの祭りでは、瞑想(めいそう)と断食は欠かすことのできないものとなっており、また聖地は敬虔(けいけん)な信者たちであふれる。ジャイナ教の聖地はティールタとよばれ、祖師たちの解脱や逝去がそこで起こったとされる土地である。とくに10世紀前後より西インドを中心につくられた大規模な聖地(たとえばアーブー山、パーリーターナー(シャトルンジャヤ)、ギルナールなど)、またゴンマテーシュバラ(バーフバリ)の巨大な石像の建つ南インドの聖地シュラバナベールゴーラなどは、今日もその壮大なスケールを保ち、参詣(さんけい)の人々でにぎわっている。殺生を禁じられたジャイナ教徒の職業はほとんど商業関係に集中しており、商才にたけたジャイナ商人はつとに有名である。ジャイナ教徒の数は現在260万人ほどで、全人口の0.5%にも満たないが、インド社会におけるジャイナ教徒の社会的勢力はけっして小さくない。[矢島道彦]
『金倉円照著『印度精神文化の研究――特にヂャイナを中心として』(1944・培風館) ▽坂本知忠著『ジャイナ教の瞑想法――6つの知覚瞑想法の理論と実践』(1999・ノンブル社) ▽W. Schubring The Doctrine of the Jainas (tr. from the revised German edition by W. Beurlen) (1962, Motilal Banarsidass, Delhi) ▽S. Stevenson The Heart of Jainism (1970, Munshiram Manoharlal, New Delhi) (reprint)』

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世界大百科事典内のジャイナ教の言及

【インド】より

… 宗教面にもこの地域の多様性は容易に見てとれる。インドを例にとると,ヒンドゥー教,シク教,ジャイナ教,仏教があり,またそのほかに各部族のそれぞれの宗教形式がある。中世以降に流入,伝播したものは,イスラムとキリスト教がおもなものである。…

【インド哲学】より

…インドの思想家たちは,人間存在やその拠り所としての世界に関する思弁・洞察をダルシャナdarśanaと呼んだが,この語は〈見(観)る〉を意味する動詞から派生した名詞であり,西洋およびインドの諸学者は,これをphilosophyと訳している。ダルシャナは聖典の権威によらず,理論的思索のみによって行う哲学的探求アーヌビークシキーānvīkṣikīをも包摂しているが,インドの思想家がダルシャナのなかに含めているのは,今日宗教と呼ばれている仏教,ジャイナ教,およびベーダーンタ哲学など,ヒンドゥー教の諸体系である。ダルシャナは哲学のみならず宗教というべき側面をももっており,インドにおいては宗教と哲学とは一体をなしていて不可分離の関係にあり,ダルシャナはヨーロッパ的意味での〈哲学〉や〈宗教〉という概念を逸脱している。…

【ヘーマチャンドラ】より

…インドのジャイナ教白衣(びやくえ)派の学匠。ダンドゥカ(グジャラート州アフマダーバード近郊)の生れ。…

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