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チベット仏教 チベットぶっきょう Tibetan Buddhism

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

チベット仏教
チベットぶっきょう
Tibetan Buddhism

ラマ教とも呼ばれるが,それはヨーロッパ人のつけた俗称で誤解されやすい。8世紀後半に国教としてインドナーランダ僧院系の仏教が有部律とともに導入され,シャーンタラクシタカマラシーラは瑜伽行中観の教えを説き,禅を排し,タントラ仏教の普及を警戒した。

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知恵蔵2015の解説

チベット仏教

チベット仏教は、7世紀にインドから伝えられた密教的な要素が強い仏教と、土着の宗教であるボン教とが結びついて展開したものである。ラマ(師匠)を崇敬し、師弟関係を通じて教えが伝えられることから、ラマ教と呼ばれることもある。現在、ゲルク派、カギュ派、サキャ派ニンマ派の四大宗派がある。ダライ・ラマはゲルク派の最高位で、同時にチベット仏教の最高位にある。第2位にあたるのがパンチェン・ラマである。両者は共に転生霊童(生まれ変わり)の活仏として崇拝され、どちらか一方が死亡した場合、もう一方がその転生者を認定する。1989年1月、パンチェン・ラマ10世が死去し、95年5月、ダライ・ラマ14世はゲドゥン・チョエキ・ニーマ少年(当時6歳)を転生霊童として認定。それに対して、同年11月、中国政府はギャインツァイン・ノルブ少年(当時6歳)を選び、2人のパンチェン・ラマが並立することになった。また、2000年1月5日には、カギュ派の最高位にあるカルマパ17世(当時14歳)が厳寒のヒマラヤを越え、インドのチベット亡命政府にたどりつき、事実上の亡命状態にある。チベット仏教における後継者問題は、国際問題として今後も注目される。

(岩井洋 関西国際大学教授 / 2007年)

出典|(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵2015」
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デジタル大辞泉の解説

チベット‐ぶっきょう〔‐ブツケウ〕【チベット仏教】

7世紀、吐蕃(とばん)王国時代にインドから伝わり、チベットを中心に発展した大乗仏教の一派。後期インド仏教の教理と密教を継承。15世紀にゲルク(徳行)派がおこり改革。黄帽派といわれ、以後主流となり、ダライ=ラマはその教主。ほかに、非改革のニンマ(古)派など諸派がある。13世紀以降、モンゴルシベリアシッキムを含むヒマラヤ地域に広まった。ラマ教。

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大辞林 第三版の解説

チベットぶっきょう【チベット仏教】

チベットを中心に成立した仏教。七世紀以来インドから伝わった大乗仏教がチベットの民間信仰と融合してできたもので、密教的色彩が濃い。一五世紀に黄帽派(革新派)と紅帽派(保守派)に分裂。ラマを特に尊崇し、ダライ-ラマ・パンチェン-ラマは活仏かつぶつとして崇拝される。モンゴル・中国北部・シベリアなどへも伝播。ラマ教は俗称。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

チベット仏教
ちべっとぶっきょう
Tibetan Buddhism

チベット系統の仏教のこと。チベット系仏教は、チベット本土のみならず中国、ロシアモンゴリアブータンシッキムラダックネパールなど広範囲な地域に宗教文化圏を形成する。かつては、これをラマ教(喇嘛教)と総称してきた。[川崎信定]

ラマの語義

ラマbla maはチベット語で師匠、上人(しょうにん)の意。チベットの仏教は、インドの後期密教(タントラ仏教)のグルguru(師匠)信仰の影響を受けて、師匠を尊崇し師匠から弟子への伝承を重んずる傾向が強い。またダライ・ラマ、パンチェン・ラマをはじめとする活仏(かつぶつ)に対する信仰も顕著である。「ラマ教」とはこれらの事実に印象づけられた中国人・西洋人のつけた呼称である。元(げん)・明(みん)代の中国文献ではチベット僧のことを剌麻(らま)または喇嘛(らま)と記す。日本では江戸幕府の書物奉行(ぶぎょう)近藤守重(もりしげ)(重蔵(じゅうぞう))にラマの語源を考証した『喇嘛考』(1812?)1冊があり、1877年(明治10)には真宗大谷(おおたに)派の僧小栗栖香頂(おぐるすこうちょう)が『喇嘛教沿革』3巻を著している。西欧ではケッペンの『ラマの聖職者支配と教会』(1859)においてラマイスムスLamaismus(ドイツ語)として使われたのがもっとも古い語例とされる。ただしチベット人自身は自分たちの宗教をチョエ(法)、サンギェキテンパ(釈尊の教え)とよび、自分たちを仏教徒を意味するナンパとよんで、仏教から逸脱した特異な妖教(ようきょう)を印象づけるおそれのある「ラマ教」の呼び名を嫌うので注意を要する。[川崎信定]

歴史

仏教伝来以前からチベットには、呪術(じゅじゅつ)的な要素が濃厚なボン教がある。
 チベットには伝説上に27神王があり、その最後のハ・トトリニェンツェン王の宮殿に天から経文と仏塔を納めた箱が降ってきたという。この王から5代後に出たソンツェンガンポ王は7世紀前半に大臣の子トンミサンボータなど少年たちを仏教学習のためインドに派遣し、チベット文字創案の端緒を開かせたり、経典翻訳の本格化、16か条の道徳憲法の制定をなしたと伝えられるが、時代的にも日本の聖徳太子とほぼ同時期にあたるためその事績の類似は興味深い。王はまた唐朝、ネパール王朝から后(きさき)を迎え、両王妃によりそれぞれラサに仏教寺院が建立された。8世紀なかばチソンデツェン王は国力を増大させ、インドから大学僧シャーンタラクシタ(寂護(じゃくご))を招き、霊力ある密呪者パドマサンババ(蓮華生(れんげしょう))の協力のもとにサムエ寺を建立し、授戒や翻経(ほんきょう)など仏教普及の基礎が据えられた。中国禅僧大乗和尚(ハシャン・マハーヤーナ)とインド僧(カマラシーラ)との論争(794年とされるサムエ寺の法論)を経て中国禅の勢力が放逐され、インド系統の仏教が正統の国教として地位を獲得した。その後もインドの翻訳僧を迎え仏教は興隆したが、9世紀中葉のランダルマ王の破仏により衰退した。チベット仏教史では、以上までを前期弘通(ぐづう)時代とし、1042年インドから入国したアティーシャの仏教復興運動以降を後期弘通時代として区分する。アティーシャは正法護持と戒律復興を唱えたが、その思想的影響のもとにカーダムパ派(カーダム派)が設立された。そのほかにも顕密融合(けんみつゆうごう)のカーギュッパ派(カギュ派)、サキャパ派(サキャ派)、チョナンパ派(チョナン派)や、旧来の仏教の活性化としてのニンマパ派(ニンマ派)、シチェパ派(シチェ派)などの諸宗派が生まれた。マルパによって広められたカーギュッパ派のミラレパの苦行体験と彼の詩は民衆に広く親しまれたし、また13世紀にはサキャパ派のパクパ(パスパ。八思巴(はすぱ))が元朝の帝師(ていし)として絶大な影響力を行使した。
 14世紀末、アムド地方に出たツォンカパは、俗権と結び付いて退廃化し祈祷密呪を偏重する旧来の仏教の改革を開始した。彼はアティーシャの法脈を継承することを宣言し、僧侶(そうりょ)の徳行を重んじ、密教の基本としてまず般若(はんにゃ)・中観(ちゅうがん)の教理の徹底的学習を主張する顕密兼修の新カーダムパ派(別名ゲルクパ派、ゲルク派。「善き行いの者」の意)をラサ郊外のガンデン寺におこした。旧来の宗派の僧が紅帽(こうぼう)をかぶり紅帽派とよばれるのに対し、ツォンカパの新派は黄帽(こうぼう)を用い黄帽派とよばれる。カーギュッパ派からはカルマパ派(カルマ派)が分派して地方諸侯・貴族勢力と結んで教圏を拡張させ、ゲルクパ派はこれと対抗してモンゴル諸部族との結合を強め政治権力も掌握していった。カルマパ派は、独身である教団宗主(そうしゅ)の地位継承のために転生活仏(てんしょうかつぶつ)という生まれ変わり制度を創始し、他宗派も採用した。なかでもゲルクパ派における宗主・ガンデン寺座主(ざす)はダライ・ラマの称号でよばれ、第5代のガワンロサンギャツォが1642年にチベット全土の聖俗二権を掌握するに及んでチベットを支配する法王の号となった。現在の第14代ダライ・テンジンギャツォは1959年にインドに亡命し北インドのダラムサラにチベット亡命政権を樹立して今日に至り、その指導のもとにインドをはじめ世界各地にチベット仏教各宗派の伝統保持のためのチベット人コロニーや文化センターが設立されている。一方、中国の西蔵自治区には当局の規制にもかかわらず、長年の仏教伝統と習慣が民衆の間に根強く残っている。
 チベット仏教は、インドの大乗仏教の高度に発達した教理と密教修法の最終段階を継承したものであり、インドで仏教が滅んだのちにも独自の発展を遂げ今日まで受け継いでいる。膨大な西蔵大蔵経(チベットだいぞうきょう)と、蔵外(ぞうがい)文献とよばれるチベット人による貴重な著作も現存し、チベットは仏教研究者のための宝庫となっている。[川崎信定]
『R・A・スタン著、山口瑞鳳・定方晟訳『チベットの文化』(1971・岩波書店) ▽山口瑞鳳著『チベット』上下(1982、83・東京大学出版会) ▽田中公明著『チベット密教』(1993・春秋社) ▽立川武蔵・頼富本宏編『シリーズ 密教(第2巻)チベット密教』(1999・春秋社) ▽多田等観著『チベット』(岩波新書)』

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世界大百科事典内のチベット仏教の言及

【ラマ教】より

…チベット仏教に対する俗称。インド仏教の正統を継承するものであるが,この俗称のために異端もしくは変容のはなはだしい仏教であるかのように誤解されている。…

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