ノイマン(英語表記)Neumann, (Johann) Balthasar

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ノイマン
Neumann, (Johann) Balthasar

[生]1687.1.30. ボヘミア,エガー
[没]1753.7.18. ウュルツブルク
ドイツの建築家。おもにウュルツブルクで活動した。初め軍事技術者であったが,ウィーン,ミラノを訪れた (1717~18) のちに,ウュルツブルク司教館の設計建設にたずさわった (19~44) 。特にその階段室はドイツ・バロックを代表する壮麗な作品で,ほかに礼拝堂 (33) ,カイゼルザール (37) も彼の作品として著名。このほかに 70をこす聖堂の設計にもあたり,フランケンのフィアツェーンハイリンゲン巡礼聖堂は,ドイツ・バロックの頂点であり,またロココ様式の優雅さをもつ。ほかにネレスハイムの修道院も彼の代表作の1つ。

ノイマン
Neumann, Franz Ernst

[生]1798.9.11. ヨアヒムシュタール
[没]1895.5.23. ケーニヒスベルク
ドイツの物理学者,鉱物学者,数学者。初期の結晶学の研究が認められ,ケーニヒスベルク大学に無給講師として迎えられ,員外教授 (1828) ,正教授 (29) となる。 1831年固体のモル比熱に関するノイマン=コップの法則を見出した。 45年に,レンツの法則とオームの法則とを結合して,電磁誘導で誘起される起電力はその回路を貫く磁束の減少率に比例するという,ノイマンの法則を導いたことは特に有名である。彼の業績は電磁気学の数学理論の発展にとって大きな意義をもった。また教育面でも数学者 K.G.J.ヤコービとともに 34年より数理物理学ゼミナールを設け,新しいタイプの物理教育を進めた。

ノイマン
Neumann, John von

[生]1903.12.28. ハンガリー,ブダペスト
[没]1957.2.8. アメリカ,ワシントンD.C.
ハンガリー生れのアメリカの数学者。少年時代から理解力,記憶力にぬきんでた才能を示す。ブダペスト大学,ベルリン大学,チューリヒのスイス連邦工科大学で数学を学び,1926年,ブダペスト大学から数学の学位を得る。その後ベルリン大学,ハンブルク大学で教え,プリンストン大学の客員講師 (1930) 。翌年教授となり,1933年プリンストンの高級研究所教授に任命された。数学基礎論,量子力学における純粋の学術研究とともに,1940年頃を境に急速に興味をもったコンピュータ (→ノイマン型コンピュータ ) ,ゲームの理論などにすぐれた業績を残した。特に後者では先駆的役割を果して高く評価されている。また純粋数学分野の作用素環 (フォンノイマン環) の研究も非常に高く評価されている。マンハッタン計画に参加し,第2次世界大戦後原爆実験に賛成するなど,政治的にはむしろ保守的であった。アメリカ数学会の会長,原子力委員などをつとめる。エンリコ・フェルミ賞など受賞 (1956) 。主著『量子力学の数学的基礎』 (1932) ,『ゲームの理論と経済行動』 (1944,O.モルゲンシュテルンと共著) 。

ノイマン
Neumann, Robert

[生]1897.5.22. ウィーン
[没]1975.1.3. ミュンヘン
オーストリアのユダヤ系作家。ウィーン大学で医学,化学を学び,種々の職業を経て文筆活動に入る。ナチス政権成立後の 1934年イギリスに亡命しイギリス国籍を取得,英語でも著作。のちスイスのロカルノに定住。パロディーの名手で,多数の洒脱な小説で国際的にも著名。『他人の筆を借りて』 Mit fremden Federn (1927) など。

ノイマン
Neumann, Sigmund

[生]1904.5.1. ライプチヒ
[没]1962.10.22.
ドイツ生れのアメリカの政治学者。ハイデルベルク大学などで学び,1926~28年ライプチヒ大学,28~33年ドイツ政治大学で教壇に立った。 33~34年イギリス王立国際問題研究所員,ロンドン大学講師。 34年アメリカに渡り,ウェスリアン大学助教授,44年教授となり,政治学,近代史を担当。この間エール,ハーバード,コロンビア各大学のほか,ベルリンの自由大学,政治大学の客員教授をつとめた。 40年アメリカに帰化。主著『大衆国家と独裁』 Permanent Revolution (1942) ,『政党』 Modern Political Parties (56) 。

ノイマン
Neumann, Stanislav Kostka

[生]1875.6.5. プラハ
[没]1947.6.28. プラハ
チェコの社会主義詩人。若い頃から政治に関心をもち,進歩的な政治集団「オムラジナ」に所属して投獄され,一時期,無政府主義的傾向をもった。自然をうたった抒情詩集『森と水と丘の書』 Kniha lesů,vod a strání (1914) ,近代文明や技術へのオプティミスチックな思想をうたった『新しい歌』 Nové zpěvy (18) ,社会主義の信念をうたった『赤い歌』 Rudé zpěvy (23) などが代表作。

ノイマン
Neumann,Franz Leopold

[生]1900. カトビッツ
[没]1954
ユダヤ系ドイツ人の法学者,政治学者。ワイマール共和国末期,社会民主党の法律顧問をつとめた。ナチスに追われイギリスへ亡命,ラスキのもとで政治学を学ぶ。 36年アメリカに渡り,コロンビア大学に亡命中のフランクフルト社会研究所に加わる。その後国務省での職を経てコロンビア大学教授となり,アメリカ市民権を得る。ナチズム研究の古典的大作『ビヒモス』 Behemoth:The Structure and Practice of National Socialism (1942) で知られる。

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デジタル大辞泉の解説

ノイマン(Franz Ernst Neumann)

[1798~1895]ドイツの物理学者。固体のモル比熱に関するノイマン‐コップの法則電磁誘導に関するノイマンの法則を立てた。結晶光学なども研究。

ノイマン(Johann Ludwig von Neumann)

[1903~1957]米国の数学者。ハンガリー生まれ。ヒルベルト空間論を展開して量子力学を数学的に基礎づけ、第二次大戦後は電子計算機論・数理経済学ゲームの理論を研究。ジョン=フォン=ノイマン。→ノイマン型コンピューター

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百科事典マイペディアの解説

ノイマン

イスラエルの心理学者。ベルリンのユダヤ人家庭に生まれ,エルランゲン,ベルリンで学んだのち,ユングに師事した。1934年テルアビブに移住,ユング派心理学の普及に努めた。主著《アモルプシュケー》《意識の起源史》《グレート・マザー》など。

ノイマン

ドイツの物理学者。1828年ケーニヒスベルク大学教授。熱学,結晶光学,電磁気学,弾性,流体力学等を研究。特に比熱に関するノイマン=コップの法則,誘導電流に関するノイマンの法則(ある回路に誘導される起電力はその回路を貫く磁束の減少速度に等しい。1845年)が有名。
→関連項目電磁誘導

ノイマン

ドイツ後期バロック建築家。ドイツ諸侯に土木技術家,建築家として仕え,1720年からビュルツブルク司教館建築の中心となる。とくに大階段は壮大な空間と華麗な装飾で後期バロックの代表作。ほかにフィアツェーンハイリゲンの巡礼教会堂が著名。

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世界大百科事典 第2版の解説

ノイマン【Stanislav Kostka Neumann】

1875‐1947
チェコの社会主義詩人,言論人,文芸および美術評論家,出版人。政治面でも創作面でも複雑な過程を経て,個人的なアナーキズムから共産主義に転じ,チェコスロバキア共産党創立メンバーの一人となる。党の文化政策の推進者。代表作は詩集《森と水と傾斜地の書》(1914)。ほかに《思い出》(1931)。【千野 栄一】

ノイマン【Johann Balthasar Neumann】

1687‐1753
ドイツの後期バロック(ロココ)の建築家で,その頂点に立つ。鋳造職人から出発し,軍事技術家を経,ビュルツブルク司教館の建設(1720‐44)に際して,L.vonヒルデブラントら著名な建築家と協同し,本格的な建築家に成長。土木・構造技術にもたけ,かつ彫刻家,画家と協同して制作にあたる総合的建築家であった。ビュルツブルク司教館では皇帝広間,サラ,テレナの両楕円形広間,大階段ホール,および礼拝堂に迫力ある造形が見られる。

ノイマン【Franz Ernst Neumann】

1798‐1895
ドイツの鉱物学者,物理学者,数学者。ボヘミアの鉱山町ヨアヒムシュタールの生れ。ベルリン大学で神学を学ぶが,1818年にイェーナに移って後,鉱物学の研究を始め,さらに鉱物学と結晶学とを学ぶために,19年にベルリンに戻った。29年にケーニヒスベルクの大学で鉱物学と物理学の教授となり,鉱物の比熱の研究や,結晶中や非晶質中での複屈折の研究を行った。31年,コップHermann Franz Moritz Kopp(1817‐92)とともに固体のモル比熱が近似的に成分元素の原子熱(1グラム原子に対する熱容量)の和に等しいというノイマン=コップの法則を見いだした。

ノイマン【Erich Neumann】

1905‐60
イスラエルの心理学者。ベルリンのユダヤ系の家庭に生まれ,エルランゲン,ベルリン両大学に学び,哲学博士号と医師資格を取得した後,1934年チューリヒに赴きC.G.ユングの教えを受ける。同年イスラエルのテルアビブに移住,臨床に携わるかたわらユング派心理学の普及に努めた。神話学,宗教学,美術史などを援用した人類史における意識の起源,女性原理の諸相の探求の試みは,主著《意識の起源史》(1949),《グレート・マザー》(1955)に結実している。

ノイマン【Carl Gottfried Neumann】

1832‐1925
ドイツの数学者,理論物理学者。F.E.ノイマンの子。ケーニヒスベルクに生まれ,1868年秋から1911年の退職時までライプチヒ大学に在職し,基礎数学を教えた。ポテンシャル論の分野で活躍し,とくに境界値問題の研究では,70年に等差中項の解法を開発するなど,先駆的業績をあげた。また,対数的ポテンシャルの項をもつくり出した。ベルリン・アカデミーや,ゲッティンゲン,ミュンヘン,ライプチヒの学会の会員であり,《数学年報Mathematische Annalen》の編集にも携わった。

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大辞林 第三版の解説

ノイマン【Neumann】

〔Franz Ernst N.〕 (1798~1895) ドイツの物理学者。固体モル比熱に関するノイマン-コップの法則、誘導電流に対するノイマンの法則のほか、弾性・流体力学・結晶光学などにも業績を残す。
〔John von N.〕 ⇒ フォン=ノイマン

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367日誕生日大事典の解説

ノイマン

生年月日:1904年5月1日
アメリカに帰化したドイツの政治学者
1962年没

ノイマン

生年月日:1897年5月22日
オーストリアの小説家
1975年没

ノイマン

生年月日:1900年5月23日
ドイツの政治学者
1954年没

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世界大百科事典内のノイマンの言及

【マイヤー】より

…ドイツの化学者。チューリヒとビュルツブルクで医学を修め,ハイデルベルクでR.W.ブンゼンに化学を,ケーニヒスベルクでノイマンF.E.Neumann(1798‐1895)に数理物理学を学んだ。ブレスラウ,カールスルーエなどで教えた後,1876年より死ぬまでチュービンゲン大学に勤めた。…

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