デジタル大辞泉
「ノイマン」の意味・読み・例文・類語
ノイマン(Johann Ludwig von Neumann)
ノイマン(Franz Ernst Neumann)
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ノイマン
- ( Johann Ludwig von Neumann ヨハン=ルートウィヒ=フォン━ ) ハンガリー生まれのアメリカの数学者。ヒルベルト空間論、集合論の公理化、量子力学の数学的基礎づけ、ゲーム理論など現代数学の各分野に大きな業績を残した。プログラム内蔵型の電子計算機の発明者でもある。(一九〇三‐五七)
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ノイマン
Johann Balthasar Neumann
生没年:1687-1753
ドイツの後期バロック(ロココ)の建築家で,その頂点に立つ。鋳造職人から出発し,軍事技術家を経,ビュルツブルク司教館の建設(1720-44)に際して,L.vonヒルデブラントら著名な建築家と協同し,本格的な建築家に成長。土木・構造技術にもたけ,かつ彫刻家,画家と協同して制作にあたる総合的建築家であった。ビュルツブルク司教館では皇帝広間,サラ,テレナの両楕円形広間,大階段ホール,および礼拝堂に迫力ある造形が見られる。ほかにブルッフザール宮殿(1733),ブリュール宮殿(1748)などの宮殿建築に関与。教会建築では名作フィアツェーンハイリゲン(十四聖人)巡礼教会(1772),ネレスハイム修道院教会(1745以降)などを手がけ,複数の楕円形を組み合わせた平面(プラン)を基に波うつ天井面や壁面,変化に富む柱配置を見せる。特に光と色彩による内部空間の造形で傑出していた。
執筆者:杉本 俊多
ノイマン
Franz Ernst Neumann
生没年:1798-1895
ドイツの鉱物学者,物理学者,数学者。ボヘミアの鉱山町ヨアヒムシュタールの生れ。ベルリン大学で神学を学ぶが,1818年にイェーナに移って後,鉱物学の研究を始め,さらに鉱物学と結晶学とを学ぶために,19年にベルリンに戻った。29年にケーニヒスベルクの大学で鉱物学と物理学の教授となり,鉱物の比熱の研究や,結晶中や非晶質中での複屈折の研究を行った。31年,コップHermann Franz Moritz Kopp(1817-92)とともに固体のモル比熱が近似的に成分元素の原子熱(1グラム原子に対する熱容量)の和に等しいというノイマン=コップの法則を見いだした。45年には,レンツの法則に基づいて誘導電流の法則を数学的に定式化し,ノイマンの法則を導出した。W.ウェーバーとならんで,遠隔作用論の立場に立つ電磁気理論の開拓者となった。
執筆者:日野川 静枝
ノイマン
Erich Neumann
生没年:1905-60
イスラエルの心理学者。ベルリンのユダヤ系の家庭に生まれ,エルランゲン,ベルリン両大学に学び,哲学博士号と医師資格を取得した後,1934年チューリヒに赴きC.G.ユングの教えを受ける。同年イスラエルのテルアビブに移住,臨床に携わるかたわらユング派心理学の普及に努めた。神話学,宗教学,美術史などを援用した人類史における意識の起源,女性原理の諸相の探求の試みは,主著《意識の起源史》(1949),《グレート・マザー》(1955)に結実している。その構想の壮大さ,視野の広さは師の仕事の実り多い継承というにふさわしい。
執筆者:荒俣 宏
ノイマン
Carl Gottfried Neumann
生没年:1832-1925
ドイツの数学者,理論物理学者。F.E.ノイマンの子。ケーニヒスベルクに生まれ,1868年秋から1911年の退職時までライプチヒ大学に在職し,基礎数学を教えた。ポテンシャル論の分野で活躍し,とくに境界値問題の研究では,70年に等差中項の解法を開発するなど,先駆的業績をあげた。また,対数的ポテンシャルの項をもつくり出した。ベルリン・アカデミーや,ゲッティンゲン,ミュンヘン,ライプチヒの学会の会員であり,《数学年報Mathematische Annalen》の編集にも携わった。
執筆者:日野川 静枝
ノイマン
Stanislav Kostka Neumann
生没年:1875-1947
チェコの社会主義詩人,言論人,文芸および美術評論家,出版人。政治面でも創作面でも複雑な過程を経て,個人的なアナーキズムから共産主義に転じ,チェコスロバキア共産党創立メンバーの一人となる。党の文化政策の推進者。代表作は詩集《森と水と傾斜地の書》(1914)。ほかに《思い出》(1931)。
執筆者:千野 栄一
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ノイマン
ドイツの物理学者。1828年ケーニヒスベルク大学教授。熱学,結晶光学,電磁気学,弾性,流体力学等を研究。特に比熱に関するノイマン=コップの法則,誘導電流に関するノイマンの法則(ある回路に誘導される起電力はその回路を貫く磁束の減少速度に等しい。1845年)が有名。
→関連項目電磁誘導
ノイマン
ドイツ後期バロックの建築家。ドイツ諸侯に土木技術家,建築家として仕え,1720年からビュルツブルク司教館建築の中心となる。とくに大階段は壮大な空間と華麗な装飾で後期バロックの代表作。ほかにフィアツェーンハイリゲンの巡礼教会堂が著名。
ノイマン
イスラエルの心理学者。ベルリンのユダヤ人家庭に生まれ,エルランゲン,ベルリンで学んだのち,ユングに師事した。1934年テルアビブに移住,ユング派心理学の普及に努めた。主著《アモルとプシュケー》《意識の起源史》《グレート・マザー》など。
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ノイマン
生年月日:1904年5月1日
アメリカに帰化したドイツの政治学者
1962年没
ノイマン
生年月日:1897年5月22日
オーストリアの小説家
1975年没
ノイマン
生年月日:1900年5月23日
ドイツの政治学者
1954年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内のノイマンの言及
【マイヤー】より
…ドイツの化学者。チューリヒとビュルツブルクで医学を修め,ハイデルベルクでR.W.ブンゼンに化学を,ケーニヒスベルクでノイマンF.E.Neumann(1798‐1895)に数理物理学を学んだ。ブレスラウ,カールスルーエなどで教えた後,1876年より死ぬまでチュービンゲン大学に勤めた。…
※「ノイマン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」