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バングラデシュ バングラデシュ Bangladesh

翻訳|Bangladesh

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

バングラデシュ
バングラデシュ
Bangladesh

正式名称 バングラデシュ人民共和国 Gana Prajātantrī Bangladesh。面積 14万7570km2。人口 1億4287万5000(2011推計)。首都 ダッカインド亜大陸北東部の国。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

バングラデシュ

1947年に英国からインドパキスタンが分離独立した際にパキスタンの一部(東パキスタン)となり、71年の第3次印パ戦争を経てバングラデシュとして独立した。人口1億5940万人でイスラム教徒が9割を占める。ベンガル人がほとんどで公用語もベンガル語。面積は日本の約4割にあたる14万7千平方キロ。2015年現在、在留邦人は985人。首都はダッカ

(2016-07-03 朝日新聞 朝刊 3総合)

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デジタル大辞泉の解説

バングラデシュ(Bangladesh)

インド半島北東部の人民共和国。首都ダッカガンジス川ブラマプトラ川デルタにあり、米作地帯。もと英領インドのベンガル州東部とアッサム州の一部。1947年東パキスタンとなり、1971年独立。住民はベンガル族で、イスラム教徒が多い。人口1億5612万(2010)。

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百科事典マイペディアの解説

バングラデシュ

◎正式名称−バングラデシュ人民共和国Gana Prajatantri Banglades/People's Republic of Bangladesh。◎面積−14万7570km2
→関連項目パキスタンハリソンベンガル南アジア

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世界大百科事典 第2版の解説

バングラデシュ【Bangladesh】

正式名称=バングラデシュ人民共和国Gaṇa Prajātantrī Bānglādés∥People’s Republic of Bangladesh面積=14万7570km2人口(1996)=1億2306万人首都=ダッカDacca(ダカDhaka.日本との時差=-3時間)主要言語=ベンガル語通貨=タカTakaインド亜大陸の東端に位置する〈水と緑の国〉である。ガンガー(ガンジス),ブラフマプトラ,メグナといった大河川の形成するデルタ地帯に広がるバングラデシュは,雨季にはその国土の大部分が水没する。

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大辞林 第三版の解説

バングラデシュ【Bangladesh】

インド半島の北東部、ベンガル湾に面する共和国。ガンジス川の下流域を占め、米・ジュート・茶の産が多い。もとのパキスタン東部で、1971年パキスタンから独立。住民はベンガル人。イスラム教徒が多い。主要言語はベンガル語とビハリ語。首都ダッカ。面積14万4千平方キロメートル。人口1億4180万( 2005)。正称、バングラデシュ人民共和国。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

バングラデシュ
ばんぐらでしゅ
Bangladesh

インド亜大陸の東端にある国。正称はバングラデシュ人民共和国Gono Projatantri Bangladesh、英語ではPeople's Republic of Bangladesh。東、北、西をインドに囲まれ、南東でミャンマービルマ)に接し、南はベンガル湾に面する。バングラデシュとはベンガル語で「ベンガルの国」を意味し、1971年3月パキスタンから分離、独立した。面積14万3998平方キロメートル、人口1億5850万(2014)。首都はダッカ(ダーカ)。[桐生 稔]

自然

国土の大半はガンジス川とブラマプトラ川の形成する沖積地帯である。この二大河川は国のほぼ中央で合流して、その南方は大小無数の河川網となってベンガル湾に注ぐ。南東部のチッタゴン丘陵地帯を除いてほとんどが低い平地で、雨期には河川の自然氾濫(はんらん)によって、国土のおよそ5分の2が水没する。全土が亜熱帯性気候で、高温多雨、年平均気温は25~26℃、年降水量は全地域で1600ミリメートルを超え、雨期(5~10月)と乾期(11~4月)に分かれる。[桐生 稔]

地誌

地理的区分は南西部、北部、中央部、南東部の4地域にほぼ大別できる。ブラマプトラ川以西の南西部は低地デルタ地帯で、河口付近はスンダルバンとよばれる低湿地、低木林が広がる。中心都市はクールナで、ほかに鉄道、航空の要衝ジェッソール、港湾都市のチャルナがある。北部は高地乾燥地帯が主で、稲作のほか高地では小麦、タバコなどが栽培される。北東部のシレット付近は、インドのアッサム地方に続く茶の産地である。ほかにラジシャヒ、パブナ、ディナジプールなどの都市がある。中央部はおもに稲作とジュート(黄麻(こうま))の産地で、首都ダッカを中心に、マイメンシン、タンガイル、バリサルなどの都市がある。またダッカ近郊にはナラヤンガンジ、トゥンギなどこの国最大の工業地帯が広がる。南東部は稲作地帯と丘陵で、チッタゴンを中心にコミラ、ノアカリなどの都市がある。チッタゴンには、この国最大の海外貿易港があり、外資企業誘致のために貿易促進工業団地があり、数社の日系企業も進出している。チッタゴン丘陵には唯一の水力発電所があり、チッタゴン以南の沿岸部では漁業が盛んである。[桐生 稔]

歴史・政治

バングラデシュは、もともとインドの西ベンガル州およびアッサム州の平野とともに、ベンガル人の居住する一つの社会・文化圏を構成していた。この地方には、インドがイギリスの植民地となる以前は封建的藩王が割拠し、チッタゴン付近はビルマのアラカン王朝に併合されていた時代もある。1905年にイギリスの分轄統治により、東ベンガル(現在のバングラデシュ)、西ベンガルおよびアッサムが行政的に分離され、それ以後、東ベンガルは独自の経済・社会圏を形成するようになった。1947年のインドとパキスタンの分離独立に際して、東ベンガルはイスラム国家パキスタンの東パキスタン州となった。これは、東ベンガルではイスラム教徒とヒンドゥー教徒の割合が6対4(印・パ分離独立時の両教徒の大量移動によって7対3に拡大)であったことによる。
 しかし、インドを挟んで1600キロメートルも離れた西パキスタンとは宗教のほかに共通なものはなく、民族、言語、自然条件、生活習慣もまったく異質なものであった。そのうえ、独立後、西パキスタンが政治、軍事、行政、経済のあらゆる面で優位にたち、東パキスタンは西パキスタンの植民地的性格を強いられた。ことに東パキスタンの経済の大半は西パキスタン財閥資本が牛耳(ぎゅうじ)り、主産物で最大の輸出産業であるジュートの加工や貿易も西パキスタン系企業で占められていた。こうした状況に対し、東パキスタンは格差の是正を要求し、やがて自治を要求するようになった。
 1966年、東パキスタン最大の政党アワミ連盟は、東パキスタンの民族主義を集大成して自治権拡大を盛り込んだ「6項目要求」を発表、以後アワミ連盟を中心に東パキスタンの民族運動が展開された。1970年12月の総選挙でアワミ連盟が中央議会の過半数を制したが、これを恐れた西パキスタン人の軍事政権(大統領ヤヒヤー・ハーンAgha Muhammad Yahya Khan(1917―1980))は中央議会開会の無期延期を宣言したため、東パキスタンの民族主義運動は一気に独立運動へと発展した。1971年3月アワミ連盟総裁のムジブル・ラーマンは東パキスタンの独立を宣言した。彼はその直後逮捕されたが、地下政府を樹立し、同年12月、インド軍の援助を得て東パキスタン全土を解放し、バングラデシュ人民共和国が発足した。1972年1月、ムジブル・ラーマンがパキスタンから釈放されて初代首相となり、同年12月新憲法を発布、翌1973年3月に新議会が成立した。独立記念日は3月26日。
 独立後は、8000万を超える国民の食糧確保と自立への経済建設が重要課題となった。しかし、ジュートのほかには有力な輸出品や産業はなく、年間10億ドルを超える海外からの援助によって国家建設が進められた。それでも年間200万トンの食糧が不足し、物価は上昇するという経済困難が続いた。1974年12月、首相のムジブル・ラーマンは非常事態宣言を発し、翌1975年1月には憲法を改正して議院内閣制を廃止、自ら大統領に就任して独裁体制を敷いた。しかし、政局は安定せず、1975年8月反インド派による軍事クーデターが起こり大統領ムジブル・ラーマンは暗殺された。以後、再三のクーデターにより激動の時期が続いたが、軍参謀総長ジアウル・ラーマンが混乱の収拾に成功した。彼は1977年4月大統領に就任、行政機構の改革、民間投資の奨励などによって経済の回復を図り、食糧自給達成のための農民の集団自助努力政策などを推進した。この結果、経済は安定し、1979年4月には民政移管も実現した。しかし、1981年5月、地方司令官によるクーデター未遂で、大統領ジアウル・ラーマンは暗殺された。さらに、1982年3月には陸軍参謀長エルシャドHussain Muhammad Ershad(1930― )によるクーデターが起こった。
 エルシャド政権は、その後1986年に戒厳令下で総選挙を実施、新たに政権を樹立した。同年11月には憲法を改正して、軍政を合法化したが、1990年に汚職で摘発されたのを機会に崩壊した。1991年2月に中立的な暫定政権下で総選挙が行われ、バングラデシュ民族主義党(BNP:Bangladesh Nationalist Party)が第一党となり、同党総裁ジアBegum Khaleda Zia(1945― 、ジアウル・ラーマンの妻)が政権についた。
 1996年2月、任期満了に伴う第6回総選挙を実施したが、野党アワミ連盟(AL:Bangladesh Awami League)が選挙をボイコットし、選挙の無効を訴え、国内は騒乱状態となった。このため首相ジアは同年3月退陣、4月に選挙管理内閣が発足、6月に第7回総選挙が行われた。その結果アワミ連盟がBNPを30議席上回って政権を奪取、同党総裁ハシナSheikh Hasina(1947― 、初代首相ムジブル・ラーマンの娘)が首相となった。若干親インド的外交路線が強まったが、政策的にはほとんど変わらず、経済自由化については従来の政策を堅持した。しかし、2001年10月に行われた第8回総選挙ではBNPを中心とした四党連合が300議席中214議席を獲得して圧勝、ジアがふたたび首相に返り咲き、両党の対立は深刻さを増していった。BNP政権はその後、イスラム協会(JI:Bangladesh Jamaat-e-Islami)などとの四党連立で、2006年10月の任期満了まで政権を担当した。
 その後、憲法に基づき選挙管理内閣が設置され、90日以内の総選挙が実施される予定であったが、選挙をめぐって両党の対立が激しくなり、暴動やテロが各地で起こり、さらには両党党首が汚職や選挙違反を摘発されて逮捕されるなど混乱が続いた。その間選挙管理内閣の主席顧問ファカルッデインFakhruddin Ahmed(1940― )が政権を担当、全国に非常事態宣言を布告し、混乱の収拾に努めた。その結果2008年12月にようやく総選挙が実施され、アワミ連盟が圧勝し、2009年1月にハシナ政権が再組閣された。2014年1月の第10回総選挙では、ハシナ政権が選挙管理内閣を撤廃したことから、BNPをはじめとする野党が選挙をボイコット。結果、アワミ連盟が圧勝し、ハシナが3期目の首相に就任した。
 議会は一院制で総議席数は350。軍隊の兵役は志願制で、兵力数は陸軍12万6200、海軍1万6900、空軍1万4000(2014)である。[桐生 稔]

経済・産業

バングラデシュとして独立後の1970年代の経済構造は稲作を中心とする農業が主体で、就業人口の多数(約80%)が農・漁業に従事し、農業は国内総生産(GDP)の40%近くを占めていた。農業生産の対GDP比が4分の1以下になった現在でも農業・漁業従事数は就業人口の約50%(2010)を占めている。農産物は、米、ジュート、サトウキビ、タバコ、小麦、野菜などである。稲作は作付期が年に3期あり、乾期作のボロ(12~4月)、雨期作のアウス(4~8月)、アモン(8~12月)に分かれ、一般的には二期作、地形によっては三期作も可能である。作付面積比は前記の順序で2対4対7でアモン作がもっとも多い。
 ジュート栽培は19世紀前半にイギリスが普及したもので、それまでのこの地域のおもな商品作物は藍(あい)染料の原料となるインジゴであった。しかしヨーロッパでのジュートの需要の増加とともにジュート栽培が増加し、1910年代には東西ベンガルあわせてのジュートの生産量は世界の80%を占めるに至った。しかし、ジュートの世界需要の減少は、とくに1980年代に加速化、それに伴ってジュートの生産・輸出は急減した。市場経済化と対外開放の進展によって、産業・輸出構造は変化し、1990年代に飛躍的に発展した縫製産業が、主要産業になっている。
 輸出では1980年代初頭まで60%を占めていたジュートおよびジュート製品は2012年には2.9%に減少、かわって、縫製品(全体の78.6%)、冷凍エビ、皮革製品、天然ガス製品などが増加している。工業では日本の援助による製鋼、化学肥料、化学繊維工業などのほか、1983年以降チッタゴンとダッカ郊外に設立された輸出加工区に、外資系企業が進出、機械部品、縫製品、釣具、靴などが生産されている。労働集約的な工業が発展しつつあり、相対的に農業生産の比率が2007年対GDP比で21.1%と年々低下している。
 大小無数の河川があるため陸上交通は未発達で、とくに道路網は主要都市間を結んでいるにすぎず、交通・運輸は今日でも内陸水運に大きく依存している。鉄道は東部と西部で軌道幅が異なり輸送能力は弱い。
 2014年の名目GDPは1738億ドル、1人当り国民総所得(GNI)は1080ドルと低いが、2005年以降の経済成長率は6%台を達成している。貿易は輸出額266億ドル、輸入額336億ドル(2013)で、おもな輸出品目は衣料品(縫製品)、魚貝類、ジュート製品、皮革品など、輸入品目は石油製品、繊維製品、機械機器、鉄鋼製品、綿花、穀物類などとなっている。おもな輸出相手国はアメリカ、ドイツ、イギリス、フランス、スペイン、イタリアなど、輸入相手国は中国、インド、シンガポール、日本、韓国などである。[桐生 稔]

社会・文化

主要民族はベンガル人で全体の98%を占める。ベンガル人は南インドからの北上民族であるドラビダ系とチベット系との混血といわれているが、インド・アーリアンの系統を引く者も少なくない。公用語はベンガル語で、文字はサンスクリット系である。成人の識字率は56.8%(2011)、児童の就学率は72%(2005)と低い。宗教はイスラム教徒が88%を占め、ヒンドゥー教徒は10.5%である。両者の対立関係は根強く、社会不安の要因の一つとなり続けている。また、仏教徒がチッタゴン付近に居住している。この国の最大の社会問題として人口問題がある。人口増加率は年1.98%(2001~2005平均)で、人口の抑制は食糧問題の解決にもつながるとして、積極的に取り組んでいる。2011年には年1.37%にまで低下した。[桐生 稔]

日本との関係

日本は東パキスタン時代からきわめて友好的な関係をもっており、経済、文化交流もむしろ西パキスタン(現、パキスタン)に比べ密接な関係であった。したがって日本政府は、独立直後に承認し、復興・救済援助を中心に多額の政府開発援助を供与、その後も年平均2億ドルの援助を継続している。
 この国には東パキスタン時代から日本の援助は大きな役割を果たしており、独立以前にも化学肥料工場、火力・水力発電所、橋梁(きょうりょう)建設、レーヨン工場、農業灌漑(かんがい)施設などを建設した。独立後も、食糧援助、農業関連施設、インフラ施設など多くの援助を行い、1980、1990年代には日本の援助供与国別の金額ではつねにトップ10に入っていた。また、多くの非政府組織(NGO)の活動もあり、農業改善、人口計画、生活改善などに役割を果たしている。両国の貿易関係は、日本の輸出超過が続いているが、バングラデシュからの日本への輸出は縫製品、ニット製品、冷凍エビなどに限られ、日本からは自動車、各種機械、化学製品など工業製品が多い。民間企業の進出は、徐々に増えているが、1990年代に本格化した輸出加工区を中心に労働集約型中小企業に限られており、東南アジア諸国への進出に比べ緩慢である。地理的・自然条件に優位性が低いこともあるが、とくに2000年以降の政治的混乱が影響している。
 外交関係には特別な課題はないが、基本的には友好関係が続いており両国の閣僚級訪問も随時行われている。なお、経済関係では「日本・バングラデシュ経済協力委員会」が設置されており、定期的に合同会議をもち、経済協力関係促進について協議されている。[桐生 稔]
『桐生稔著『バングラデシュ――インド亜大陸の夜明け』(1972・時事通信社) ▽松井透・佐藤宏著『バングラデシュ米作の地域構造』(1986・アジア経済研究所) ▽佐藤宏著『バングラデシュ――低開発の政治構造』(1990・アジア経済研究所) ▽辛島昇他監修『南アジアを知る事典 新訂増補』(2002・平凡社) ▽日下部達哉著『バングラデシュ農村の初等教育制度受容』(2007・東信堂) ▽外川昌彦著『聖者たちの国へ――ベンガルの宗教文化誌』(2008・日本放送協会)』

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世界大百科事典内のバングラデシュの言及

【インド・パキスタン戦争】より

…12月16日,パキスタン軍は無条件降伏し,互角で戦った西部戦線でもパキスタンは停戦を認めた。第3次印パ戦争は,前2回の戦争と異なり,東パキスタンを焦点とするもので,東パキスタンが西パキスタンから分離しバングラデシュとして独立する契機となった。【清水 学】。…

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