日本大百科全書(ニッポニカ) 「ピカール」の意味・わかりやすい解説
ピカール(Jacques Piccard)
ぴかーる
Jacques Ernest-Jean Piccard
(1922―2008)
スイスの深海探検家、深海潜水技術者。ベルギーのブリュッセルに生まれる。高名な高空・深海探検家オーギュスト・ピカールの長男。父と協力して、世界初のバチスカーフ(深海潜水艇)、FNRS-2号(FNRS-1号は超高層用気球)の開発にあたり、1948年完成させた。1960年1月、アメリカ海軍のバチスカーフ、トリエステ号でアメリカ海軍の大尉ドン・ウォルシュDon Walsh(1931―2023)とともに、マリアナ海溝のチャレンジャー海淵(かいえん)で地球最深部の1万0916メートルの潜水に成功した。潜水調査船オーギュスト・ピカール号、ベン・フランクリン号、F・A・フォーレル号などをつくり、スイスのレマン湖を中心に湖水・深海の調査や自然保護運動に従事した。コンパス国際賞(アメリカ海洋技術協会、1981年)などを受賞。おもな著書に、『The Sun Beneath the Sea』(1971年。『海の下の太陽』)、ディーツと共著の『Seven Miles Down』(1962年。邦訳『一万一千メートルの深海を行く』)がある。
[半澤正男・佐伯理郎]
『J・ピカール、R・S・ディーツ著、佐々木忠義訳『一万一千メートルの深海を行く――バチスカーフの記録』(角川新書)』
ピカール(Émile Picard)
ぴかーる
Émile Picard
(1856―1941)
フランスの数学者。パリ生まれ。トゥールーズ、パリの各大学で教鞭(きょうべん)をとる。1889年科学アカデミー会員、1917年にはその終身書記長となる。また1924年にはアカデミー・フランセーズ会員に選ばれた。ピカールは1879年に「超越整関数はたかだか一つの値を除いてすべての複素数値をとること」を示し、これがボレル、アダマール、バリロンG. Valiron(1884―1955)らを経て、ネバンリンナR. Nevanlinna(1895―1980)の「有理型関数の値分布理論」に発展した。また微分方程式の解法としての逐次近似法の有効性を多くの例によって示した。さらに「線形常微分方程式に対して代数方程式に関するガロアの理論にあたる理論」をつくった。なお「二変数代数関数」を研究して、シマールG. Simart(1882―1971)との共著『Théorie des fonctions algébrique de deux variables indépendantes』全2巻(1897、1906)を著した。
[吉田耕作]
ピカール(Jean Picard)
ぴかーる
Jean Picard
(1620―1682)
フランスの測地学者。ラ・フレシェ生まれ。フランス科学アカデミー創設時(1666)の会員。1668~1670年にフランスの国家的事業として重視された子午線の測量に取り組み、三角測量に初めて望遠鏡を利用し、測定器の改良に努めた。精密に測った値は、実用上の役割を果たした一方で、ニュートンにより万有引力の法則の確証のためにも利用された。1671年『地球の測定』を出版、1673年にはパリ天文台に移り、デンマークの天文学者レーマーやイタリアのカッシーニを迎え入れ、陣容を充実させた。
[河村 豊]
ピカール(Auguste Piccard)
ぴかーる
Auguste Piccard
(1884―1962)
スイスの物理学者、探検家。スイスのバーゼルで双子の弟として生まれた。兄とともにチューリヒ連邦工科大学に入学し、兄は化学工学で、彼は機械学で学位を取得した。1907年にチューリヒ大学、1922年からはベルギーの首都にあるブリュッセル大学の物理学教授となった(~1954)。気球による飛行に興味をもち、1930年にベルギー国立科学研究財団より援助を受け、翌1931年の5月27日に、高度1万6000メートルまでの上昇に成功し、大気電気や放射能を観察するなど高層研究の領域を開いた。また1937年からは深海探査に挑み、1948年に最初の深海潜水調査船バチスカーフを製作した。1960年には息子のジャックの協力を受け、約1万メートルの潜水に成功した。
[河村 豊]