日本大百科全書(ニッポニカ) 「フィリップ(4世)」の意味・わかりやすい解説
フィリップ(4世)
ふぃりっぷ
Philippe Ⅳ
(1268―1314)
カペー朝第11代のフランス王(在位1285~1314)。あだ名は端麗王le Bel。フィリップ3世の子。婚姻や封建法などにより、シャンパーニュその他を王領に加え、ローマ法の習練を積んだ法律顧問に補佐されて、強力な中央集権政治を実現した。即位当初、フランドルとギエンヌをめぐってイギリス王エドワード1世と争ったが不調に終わった。戦争による財政難に対処するため、聖職者課税を企図したが、この結果教皇ボニファティウス8世との間に深刻な対立を引き起こした。王はフランス身分制議会の始まりとされる三部会を開き(1302)、聖俗貴族や都市の支持を取り付けるとともに、兵を派して、ボニファティウス8世をアナーニの別荘に急襲させた(1303、アナーニ事件)。ボニファティウス8世の死後、新教皇クレメンス5世は王に屈し、1309年アビニョンに居を移した(アビニョン教皇庁)。また十字軍時代に各国の王侯の寄進によって富裕となっていたテンプル騎士団に着目し、この騎士団を解散させて、その所領や財産を没収し、国王の財庫を豊かにしようと図った。当時テンプル騎士団はフランスに本拠を移していたが、教皇によって王権外にたつ特権を与えられていたから、国王の集権政治にとって障害にもなっていた。王は教皇クレメンス5世の抵抗を抑えて、団長ジャコブ・ド・モレー以下の団員を異端として火刑に処した(1314)。
[井上泰男]