イギリスの物理学者。ワイト島のフレッシュウォーターに牧師の子として生まれる。1648年父を失い、100ポンドの遺産を頼りにロンドンのウェストミンスター校に入学、ユークリッドの幾何学に興味をもった。しかし学費に困って1653年にオックスフォードの給費生になり、1655年王立協会の前身オックスフォード・グループに参加、ボイルの助手になった。1663年協会創立と同時に会員に選ばれ、その実験主任に任命された。1665年グレシャム・カレッジ幾何学教授。1666年のロンドン大火では市の再建計画にあたり監督官兼建築家として活躍。また1677年から1683年まで王立協会の書記として協会の発展に貢献した。
王立協会の信条であった「実験と証明」にはフックの陰の協力があったとされるほど、優れた実験技術をもち、広範な分野にわたって先駆的業績をあげた。1658年ゲーリケの空気ポンプの改良をボイルと行い、気圧に関するさまざまな実験から、音の伝播(でんぱ)や物の燃焼、動物の呼吸に空気が必要なことなどを明らかにした。1665年著名な『ミクログラフィア』Micrographiaを出版、反フロギストン説の萌芽(ほうが)ともいうべき燃焼理論や熱の運動論的考え、薄膜による光の干渉実験など物理的諸現象の考察を展開した。また自らの手で改良した照明付き顕微鏡による植物の細胞など詳細なスケッチを記載し、この分野の発展に大きな刺激を与えた。1672年ニュートンが「光と色の新理論」を発表したのを契機に、光の分散・干渉理論でニュートンと激しい論争を展開した。1674年には惑星の運動に関する逆二乗則を唱え、のちにニュートンと万有引力について先取権を争った。1678年にはばねがフックの法則に従うことを明らかにした。実用的な複レンズ式顕微鏡をはじめ、気圧計、ねじ式四分儀など多数の実験器具を考案。天文学をはじめ気象、海洋の分野でも優れた研究を残した。
[高橋智子]
アメリカの哲学者。コロンビア大学でデューイの教えを受け、大きく影響された。1930年代にマルクス主義に接近し、『カール・マルクスの理解をめざして』(1933)や『ヘーゲルからマルクスへ』(1935)などを書いたが、1937年のトロツキー事件などをきっかけにマルクス主義から遠ざかり、論理的経験主義の立場から活動を続けた。以下の論文集はいずれも彼の編集によるものである。『ジョン・デューイ――科学と自由の哲学者』(1950)、『現代科学の時代における決定論と自由』(1958)、『哲学と歴史』(1963)。
[魚津郁夫 2015年10月20日]
『小野八十吉訳『ヘーゲルからマルクスへ――カール・マルクスの精神的成長にかんする研究』(1983・御茶の水書房)』
幅広い活躍をしたイギリスの科学者。牧師の子としてワイト島に生まれる。幼時より機械製作に関心を示し,オックスフォードで学んだ後,R.ボイルの実験助手として空気ポンプの製作,およびこれを用いての実験などに従事。ついで1662年,ローヤル・ソサエティの実験担当主事となり,つぎつぎと新しい実験を考案し会合で演示した。さらに65年からはオックスフォード大学グレシャム・カレッジの幾何学教授をつとめた。66年のロンドン大火にあたっては,C.レンらとともに市の再建計画に測量ならびに建築担当者として参画し王立医学会の建物などを設計,建造した。科学器具の考案,製作に関し特にすぐれた才能を示し,風力計,自記雨量計などの定量的な気象観測器具の製作,反射望遠鏡,四分儀などの天文観測用具,時計,屈折計,クロノメーターの改良など,フックの名に帰せられるものは多い。また顕微鏡を用いての感覚の拡大をうたった主著《ミクログラフィアMicrographia》(1665)には動植物の微細構造が多数載せられ,なかでも,はじめて〈cell(細胞)〉の語で表されたコルクの図は有名だが,このほかにも雲母片などの薄膜の間の色のスペクトルの周期性の指摘,過去の生物の遺骸としての化石の理解,ミョウバン,岩塩の結晶構造の説明など科学史上興味深い内容が多く含まれている。さらに呼吸と燃焼に関する実験,二重星の最初の記録(1665),ばね(弾性体)の応力とひずみに関する〈フックの法則〉の発表(1678)など自然科学のほとんどあらゆる分野にわたる業績を残したが,ローヤル・ソサエティ書記オルデンブルクHenry Oldenburg(1618ころ-77)との確執,万有引力の法則をめぐってのI.ニュートンとの優先権争いに加えて,生来虚弱体質であったこともあり晩年はあまり恵まれなかった。
執筆者:月沢 美代子
アメリカの哲学者。ニューヨーク市立大学,コロンビア大学に学び,デューイの哲学に深く影響された。1930年代のアメリカ知識人の左翼化の潮流のなかでマルクス主義に傾き,プラグマティズムとの結合を目ざした。やがて30年代後半のソ連の粛清裁判やトロツキー事件に失望して反マルクス主義に転じ,39年から73年までニューヨーク大学教授となって分析哲学的探求に向かった。おもな著作に,《プラグマティズムの形而上学》(1927),《マルクス理解に向けて》(1933),《理性,社会神話および民主主義》(1940)などがある。
執筆者:荒川 幾男
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…小指を重ね左右の手に一体感をもたせているが,このグリップを用いる選手も多い。またグリップのかぶせ方として,左手をかぶせ右手を開いたのをフックグリップ,左手を浅く握り右手をかぶせたグリップをウィークグリップと呼ぶ。スクエアグリップは右手の親指と人差指でつくられるV字形が右肩と右耳の間を差すものをいう。…
… ファイター(ファイター・タイプ)積極的にインファイトを挑み,どんどん攻め込むタイプのボクサー。 フックひじを鉤型に曲げ,そのまま肩と腰を回転させて打つ効果の大きい打撃法。 フットワーク足を使って距離をとる動作をいう。…
… 結晶が自然科学の研究対象となり始めたのは17世紀中ごろからで,デンマークのN.ステノは水晶などの結晶について,面角一定の法則を発見した(1669)。同じころ,イギリスのR.フックは,結晶は超顕微鏡的に小さい構成単位が,規則正しく繰り返して配列してできているという予想を発表し,この考えはその後の研究者にも受け継がれた。ことに方解石は,そのへき開片と同じ形の分子が図1のように密に積み重なっているので,図2のような形態を示すという説がスウェーデンの化学者ベリマンT.Bergmanによって唱えられ,フランスの鉱物学者アウイR.J.Haüyはこの考えを発展させて,18世紀末に結晶における有理指数の法則の基礎をつくりあげた。…
…【小倉 磐夫】
[顕微鏡の発達と生物学]
顕微鏡は16世紀末から17世紀初めにかけての発明以後,ガリレイらの改良をへて,主としてイタリアとオランダで作られ,17世紀中ごろにはかなり普及していた。そのなかで際だった成果はイギリスのR.フックによる細胞の発見であった。彼はコルクの薄片や木炭の断面を観察して,そこに細胞を発見し,詳細な描写を《ミクログラフィアMicrographia or Physiological description of Minute Bodies》という書物にして,公表した(1665)。…
…彼の理論は,後年に問題となる光の波動説と粒子説の両面を備えていたといえよう。R.フックはこの波動的側面を発展させ,光をエーテル媒体中のパルスと考えた。さらに,ホイヘンスは発光体を中心とする波面の各点から二次的な波が球状に広がるとする〈ホイヘンスの原理〉を提出し,光の反射,屈折の法則を説明することに成功したのである。…
…コルク組織をつくる細胞の壁の肥厚の程度は種によって異なるが,細胞内に大量の空気を含み,組織は弾性に富む。1665年にR.フックがこの組織を顕微鏡でみて,生物のからだが〈細胞〉という単位でできていることをはじめて報告した。【岩槻 邦男】。…
…解剖学と生理学での実証の気運も高まって,ベサリウスの《人体の構造》(1543)とか,やや遅れてW.ハーベーの《血液循環の原理》(1628)が刊行された。顕微鏡による観察ではR.フックの《ミクログラフィア》(1665)があり,A.vanレーウェンフックの活動も17世紀後半であった。 18世紀になると,後生説をとなえたC.F.ウォルフ,多能の実験家であったL.スパランツァーニ,前生説論者でアリマキの単為生殖を見いだしたC.ボネなど,発生学の研究が目だつようになる。…
… 聴診の歴史は古く,ヒッポクラテスの書物の中に,死の際に胸部に耳を押しつけると聞こえる〈酢がたぎるようなかすかな音〉や胸膜炎のときの〈革ひもをこするような音〉が記載されている。18世紀初め,R.フックは,心臓の鼓動や腸のガスの動き,肺や関節の音についてふれ,〈体の内部の動きを,そこから発する音によって知ることができよう〉と予言した。このような身体の音の医学的応用が広く行われるようになったのは,1816年R.T.H.ラエネクによる聴診器の発明と,その後の聴診学の発展によっている。…
…これらは王侯貴族の権威や富の象徴として珍重された。
[精度の向上]
17世紀はG.ガリレイ,C.ホイヘンス,R.フック,J.ケプラー,I.ニュートンなどの天才が天文学,物理学,機械学などに顕著な業績をあげた時代であるが,時計の精度を向上させることにもおおいに情熱が注がれ,さまざまなくふう改良が試みられた。その中のいくつかの考案,発明は現代の時計にまで引き継がれている。…
…透過光で観測した場合には,明暗は反射の場合と逆になる。この現象は1665年にR.フックが最初に観測したが,のちにニュートンが詳細に調べたことからニュートンリングの名で呼ばれる。現在では球面の曲率半径の測定や研磨面の仕上り検査に多く用いられている。…
…ニュートン自身の築いた力学で,力の加わらない質点は与えられた初速度の等速直線運動をするが,光が直進することをこのことに結びつけて説明しようとしたのである。 当時,光を波動と考えたのはC.ホイヘンスやR.フックであった。フックは薄膜が色づいて見える現象が粒子説では説明できないことを示し,光をエーテルの振動と考えた。…
…固体の弾性ひずみと応力の間には,ひずみが小さいときは比例関係が成立する。これをフックの法則と呼ぶ。R.フックによって発見された。…
※「フック」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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