ブルック(読み)ぶるっく(その他表記)Peter Stephen Paul Brook

デジタル大辞泉 「ブルック」の意味・読み・例文・類語

ブルック(Peter Brook)

[1925~2022]英国の演出家・映画監督。RSC(ロイヤルシェークスピア劇団)の演出家として「リア王」「真夏の夜の夢」などを演出。後年はパリに拠点を移し、国際的に活躍。映画監督としては「雨のしのび逢い」などの作品を手がけた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブルック」の意味・わかりやすい解説

ブルック(Peter Stephen Paul Brook)
ぶるっく
Peter Stephen Paul Brook
(1925―2022)

イギリスの演出家。オックスフォード大学在学中、17歳でマーローの『フォースタス博士の悲劇』を演出、1954年シェークスピア記念劇場(今日のロイヤル・シェークスピア劇団)に加入し、翌年には『恋の骨折り損』の演出を担当してその偉才を認められた。以後、現代演劇の最先端に位置する演出家の一人として、『タイタス・アンドロニカス』(1955)や『リア王』(1962)、ペーター・ワイス作『マラー/サド』(1964)、ベトナム反戦劇『US』(1966)、『真夏の夜の夢』(1970)などを通じて、文化全般に衝撃を与え続けた。1970年パリに国際演劇研究センター(CIRT。現、国際演劇創造センター、CICT)を創設、世界各国から俳優を集め、演劇の始原性と可能性を追究した。1974年本拠劇場ブッフ・デュ・ノールを開場。1970年以降の作品に『オルガスト』(1971)、『イク族』(1975)、『鳥たちの会議』(1979)、『桜の園』『カルメンの悲劇』(ともに1981)、『マハーバーラタ』(1985)、『テンペスト』(フランス語版、1990)、『ペレアスの印象』(1992)、『しあわせな日々』(1995)、『ハムレットの悲劇』(2000)などがある。『三文オペラ』(1953)や『雨のしのび逢(あ)い(モデラート・カンタービレ)』(1960)、『リア王』(1971)、『カルメンの悲劇』(1983)などの映画監督作品をはじめ、オペラ演出、作曲、舞台美術、テレビドラマなどの作品も多い。1973年(昭和48)『真夏の夜の夢』の日本公演で日本の演劇界に影響を与え、その後も『カルメンの悲劇』『マハーバーラタ』『桜の園』『ハムレットの悲劇』などの舞台が紹介された。1987年初来日。1997年(平成9)高松宮殿下記念世界文化賞受賞。

[中野里皓史・大場建治]

『ブルック著、高橋康也・喜志哲雄訳『なにもない空間』(1971・晶文社)』『J・ハイルパーン著、岡崎凉子訳『ピーター・ブルック一座アフリカを行く』(1979・創林社)』『ブルック著、喜志哲雄・坂原真理訳『秘密は何もない』(1993・早川書房)』『ブルック著、高橋康也・高村忠明・岩崎徹訳『殻を破る――演劇的探究の40年』(1993・晶文社)』『河合祥一郎訳『ピーター・ブルック回想録』(2000・白水社)』


ブルック(Rupert Brooke)
ぶるっく
Rupert Brooke
(1887―1915)

イギリスの詩人。ケンブリッジ大学卒業後、同人雑誌などによって創作活動をしていたが、第一次世界大戦に従軍してギリシアで戦病死した。生前はほとんど無名であったが、死後一躍文名が高まり、若々しいロマン的情感の詩は、いまも読者を失わない。しばしばジョージ王朝詩人の代表とみなされるが、これは友人のE・マーシュが、詞華集『ジョージ王朝詩』全五巻(1912~22)に、彼の作品を積極的に取り入れたからで、戦争詩人としての令名も、W・チャーチルの秘書であったマーシュの影響力により、やや国策的につくられた面がある。戦争詩の代表作に詩集『1914年』(1915)などがある。

[川崎寿彦]

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改訂新版 世界大百科事典 「ブルック」の意味・わかりやすい解説

ブルック
Peter Brook
生没年:1925-

イギリスの演出家。オックスフォード大学在学中に職業演出家として活動を始め,シェークスピア,サルトル,J.アヌイなどの戯曲の才気に富む演出でしだいに名声を得る。1962年にローヤル・シェークスピア劇団の演出家となったころから,演劇を根元的にとらえ直す傾向を強め,不条理劇風の《リア王》(1962)やサーカス風の《夏の夜の夢》(1970)を創造して衝撃を与える一方,アルトーの演劇観を実践して〈残酷劇のシーズン〉と称する実験を行った。68年パリに国際演劇研究センターを設立,ここでの活動を土台として,人造言語を用いた《オルガスト》(1971),英語を解さない観客を対象とする神話劇《鳥の会議》(1972),文化人類学の成果を取り入れた《イク族》(1975)など,在来の演劇の枠を破り,演劇言語,演技空間,俳優の肉体の本質を吟味する作品を発表した。映画数本を監督し,演劇論に《なにもない空間》(1968)がある。
執筆者:


ブルック
James Brooke
生没年:1803-68

イギリスの冒険家,植民地建設者。インドのワーラーナシーに生まれ,イギリスで教育を受けた。イギリス東インド会社の軍隊に入り,ビルマ(現ミャンマー)で戦い,負傷してイギリスに戻った。のち会社を辞し,父の遺産で購入したローヤリスト号で1838年にシンガポールに向かった。ここで海峡植民地知事より,ボルネオのブルネイ王国の支配下にあるサラワクのクチンに赴き,難破したイギリス船の生存者を引き取ることを求められ,クチンを訪れた。40年に再びクチンを訪れ,同地の支配者を助けて反乱を鎮圧し,40年支配者に迫ってみずからサラワクの領主となった。彼は当時横行していた海賊の鎮圧に熱中し,46年にはブルネイ王国の都を攻撃してスルタンに海賊への支援をやめさせた。この年彼はブルネイ王国から独立してブルック王国をたて,またラブアン島をイギリス領とした。こののち彼はイギリスとクチンの間を往復しつつ王国を統治した。彼の死後王国はその子孫によって継承され,1946年イギリスの直轄植民地となった。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ブルック」の意味・わかりやすい解説

ブルック
Brooke, Sir James

[生]1803.4.29. インド,ワーラーナシ近郊セクロール
[没]1868.6.11. イギリス,バラター
イギリスの軍人,探検家。イギリスで勉学を終えたあと,1819年マドラス・インド人歩兵連隊に入り,1825年第1次ビルマ戦争に参加,重傷を負って帰国。イギリス東インド会社にも勤務したが,1830年辞職,東インド諸島を経て中国まで旅行し,東アジアにおけるヨーロッパの勢力扶植の問題に強い関心を示した。1835年父の死により,莫大な遺産を相続。1838年自分の武装帆船『ロイヤリスト』号でボルネオ島またはスラウェシ島に植民することを計画しながら,南海地域の探検に出発,シンガポールに到着すると,サラワクのラージャ(王)のムダ・ハシムを援助して反乱を鎮圧,1841年ブルネイのスルタンからサラワクを支配するラージャの称号を与えられた(→サラワク王国)。1848年ナイト爵を叙爵。1861年ラージャを甥チャールズ・A.J.ブルックに譲り,イギリスで晩年を送った。

ブルック
Brooke, John Mercer

[生]1826.12.18. フロリダ,タンパ近郊
[没]1906.12.14. バージニア,レキシントン
アメリカの海軍士官。職業軍人の家に育ち,1841年アメリカ海軍に入る。 46年アナポリスの海軍士官学校で1年勉強ののち航海歴を重ね,49年沿岸測量隊に編入され,51年から3年間海軍観測所にあって深海測量器を発明,53年から北太平洋探検に参加,55年には M.ペリーの開いた日本の近海を測量して帰国した。 58年サンフランシスコホンコン間の航路測量のため『フェニモア・クーパー』号でホンコンにおもむき,帰路 59年8月横浜近海で難破し,60年『咸臨丸』に便乗,木村芥舟 (喜毅) ,勝海舟らの操船を助けつつサンフランシスコに帰った。南北戦争中は南軍に属し,甲鉄艦『バージニア』号を設計し,また施条式,滑腔式のブルック・ガン (大砲) を開発,65~99年の間バージニア州立陸軍大学の物理学教授として教鞭をとった。『横浜日記』『咸臨丸日記』 (清岡暎一訳) がある。

ブルック
Brook,Peter(Stephen Paul)

[生]1925.3.21. イギリス,ロンドン
[没]2022.7.2. フランス,パリ
イギリスの演出家。オックスフォード大学卒業。ポーランドの J.グロトフスキリビングシアターのジュリアン・ベックらの影響を受け,20世紀前衛演劇の発展に大きく貢献した。 1962年にロイヤル・シェークスピア劇団に加わり,P.スコフィールド主演の『リア王』 (1962) ,P.ワイスの『マラー/サド』 (64) ,『夏の夜の夢』 (70) などを演出。その他『雨のしのび逢い』 (60) ,M.デュラス原作"Moderato Cantabile",『リア王』 (70) などの映画作品もある。主著『なにもない空間』 The Empty Space (68) 。 70年パリに国際演劇研究センターを設立,各国の俳優を集めて『オルガスト』 (71) ,『イク』 (76) など実験的演劇の上演も行なっている。3度来日,最近では 91年に『テンペスト』の東京公演を行なった。

ブルック
Brooke, Rupert

[生]1887.8.3. ラグビー
[没]1915.4.23. スキュロス
イギリスの詩人。ラグビー校時代から詩作,オックスフォード大学に進み,フェビアン協会員として活躍,1911年処女詩集を刊行。第1次世界大戦に参加してギリシアで病没した。アポロに比せられる美貌の持主で,夭折を哀惜された。ソネット集『1914年』 (1915) によって死後名声を確立した。ほかに,H.ジェームズの序文を付した『アメリカからの手紙』 Letters from America (16) ,『ジョン・ウェブスターとエリザベス朝演劇』 John Webster and the Elizabethan Drama (16) 。

ブルック
Brooke, Edward William

[生]1919.10.26. アメリカ,ワシントンD.C.
アメリカの黒人政治家。 1941年ハワード大学卒業,第2次世界大戦では黒人部隊の大尉。 48年ボストン大学法学部を終えてマサチューセッツ州で弁護士となり,62年同州法務局局長。 66年南部再建時代以来最初の黒人上院議員。黒人には珍しく共和党所属で,R.ニクソン政権第1期の閣僚就任要請を拒否し,72年上院に再選。穏健派の有力な黒人政治家。

ブルック
Broke, Sir Philip Bowes Vere

[生]1776.9.9. イプスウィッチ近郊
[没]1841.1.2. ロンドン
イギリスの海軍軍人。 1812年から始ったアメリカ=イギリス戦争のとき,フリゲート艦『シャノン』号の艦長としてボストン沖を巡航中の 13年6月1日,アメリカのフリゲート艦『チェサピーク』号を捕獲した。「勇敢なブルック」といわれ,13年准男爵に叙せられた。 30年海軍少将。

ブルック
Broke (Brooke), Arthur

[生]?
[没]1563
イギリスの詩人,翻訳家。ユグノー救援に向う途上,若くして溺死。イタリアの M.バンデッロの物語をフランス語から重訳,翻案した物語詩『ロメウスとジュリエット』 The Tragicall Historye of Romeus and Juliet (1562) はシェークスピアに素材を提供した。

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百科事典マイペディア 「ブルック」の意味・わかりやすい解説

ブルック

英国の演出家。オックスフォード大学卒業。1962年にローヤル・シェークスピア劇団の演出家となり,《リア王》(1962年),《夏の夜の夢》(1970年)などの斬新な演出で衝撃を与えた。アルトーの演劇観にならった〈残酷劇のシーズン〉,1968年パリに設立した国際演劇研究センターの活動を通して,さまざまな実験演劇を行った。《モデラート・カンタービレ》(1960年)他数本の映画も監督している。
→関連項目グルジェフベルモンドモロー

ブルック

英国の探検家,サラワクのラージャ(首長)。インドに生まれ,イギリス東インド会社に入り各地で働く。父の多額の遺産を相続したのち,1838年ボルネオに赴き,ブルネイ王国のスルタンに対する反乱を鎮定して1842年サラワクのラージャとなる。1846年ブルネイから独立してブルック王国を建て,その死後王国は子孫に継承され,1946年イギリスの直轄植民地となった。

ブルック

英国の詩人。第1次大戦に出征,ギリシアで病死した。愛国的な一連のソネットを含む詩集《1914年》(1915年)が代表作。

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朝日日本歴史人物事典 「ブルック」の解説

ブルック

没年:1865.5.23(1865.5.23)
生年:1814.4.4
幕末に来日したオランダ商館医。嘉永6(1853)年,長崎出島の蘭館医モーニケの後任として来日。理化学に造詣が深く,長崎奉行からその伝習を依頼され実施した。福岡藩医河野禎造に分析化学書を与え,河野はこれを訳し(1856),わが国最初の定性分析化学書『舎密便覧』を藩の助成を得て刊行した。大村藩では蒸気機関モデルの製作,電線の架設・実験供覧,佐賀藩や薩摩藩での理化学指導も伝えられている。勝海舟 の手記『咬鳴余言』には,彼の性格がかなり激しやすいものだったことが描写されている。安政4(1857)年10月離日し,オランダのアベルドルンで没した。

(宗田一)


ブルック

没年:1906.12.14(1906.12.14)
生年:1826.12.18
アメリカ海軍大尉で天文学者,測量士。1846年海軍士官学校に入学。北太平洋探検隊の一員として1859年からフェニモア・クーパー号で香港および日本開港場の測量に従事。日本人の手で遣米使節船「ポーハタン号」を護衛したい江戸幕府は,彼に援助を求めた。万延1(1860)年,他の米乗組員10名と「咸臨丸」に乗り,日本人乗員に航海術を教えつつ航海を成功させて帰国した。<参考文献>清岡暎一訳『万延元年遣米使節史料集成』5

(影山好一郎)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ブルック」の解説

ブルック
James Brooke

1803~68

ボルネオ北西部にサラワク王国を形成したイギリス人冒険家,植民地主義者。ラッフルズの思想の共感者であった彼は,ブルネイ王国領内のサラワクの反乱鎮圧に協力したのち,1841年クチンを中心にサラワク王国を形成する。その後,彼はサラワク王国の勢力拡張を図り,弱体化していたブルネイ王国の領域を次々と奪取していった。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ブルック」の解説

ブルック Brooke, John Mercer

1826-1906 アメリカの軍人。
1826年12月18日生まれ。海軍大尉。測量船の船長として安政6年(1859)来日し,横浜に滞在。7年咸臨(かんりん)丸にのり,日本人乗組員に技術指導をおこなって太平洋横断の航海を成功させた。1906年12月14日死去。79歳。フロリダ州出身。海軍兵学校卒。

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世界大百科事典(旧版)内のブルックの言及

【クラブ】より

…18世紀になると市民勢力のいっそうの台頭を反映して,クラブは急成長を遂げる。なかには,マグハウス・クラブと総称された,乱痴気騒ぎやギャンブル,はては一般市民を襲撃するなど無軌道な行動に走るものも現れたが,1764年には社交クラブ〈ホワイトWhite’s〉が〈オルマックAlmack’s〉と改称され,トーリー党の牙城と化するとともに,ギャンブルで勇名を馳せる(オルマックは今日の〈ブルックBrook’s〉の前身)。文学クラブの〈キット・キャットKit‐Cat〉やジョンソン博士の〈ザ・クラブThe Club〉,料理で有名になった〈ブードルBoodle’s〉などのクラブも成立した。…

【演劇】より

…したがって本項目では,演劇という営為と体験の基底をなすと考えられる特性について,上記4要素とその相関性についての問いを考慮に入れつつ,主として日本演劇と西洋演劇に具体例を借りて,概略を記述してみる。
【観客――視覚の二重性】
 現代イギリスの演出家で1960年代末から主としてフランスで活躍しているP.ブルックは,その《なにもない空間》の中で次のような趣旨のことを述べている。〈どこでもいい,なにもない空間。…

【劇場】より

…〈近代劇場〉が獲得した富に基づき,さらにその先で,広場のまんなかに立てる新しい〈花で飾った1本の杭〉が求められている。小劇場前衛劇【津野 海太郎】
【舞台と客席】
 イギリスの演出家P.ブルックは,演劇論《なにもない空間》(1968)の冒頭で,〈なにもない空間をひとりの人間が横切り,それをもうひとりの人間が見ているだけで,演劇行為は成立する〉という趣旨のことを述べている。つまり,演劇が成り立つためには演技者と観客という,機能を異にする2種類の人間の存在が必要なのである。…

【三文オペラ】より

…社会問題に強い関心をもったパプスト監督は,さらに続いて同じ31年に,アルザス地方の炭坑爆発を背景にしてドイツとフランスの炭坑労働者の国境を超えた階級的同志愛を描いた《炭坑》をつくっている。なお,ゲイの《乞食オペラ》は53年イギリスでピーター・ブルック監督で映画化されている(日本公開題名《三文オペラ》)。【柏倉 昌美】。…

【サラワク[州]】より

…このほか州政府が外貨獲得のために力を注ぐものにアブラヤシ,コショウ,カカオがあり,いぜん第1次産品に経済を依存するが,クチンに加工貿易地区を設定し,小規模ながら近代工業の育成も進められている。かつて白人の王侯イギリス人ブルックJames Brooke(1803‐68)に支配されたこともあるサラワクは,1963年マレーシア連邦結成に参加して以来,ようやく豊かな資源を活用できる段階にはいった。【太田 勇】。…

【マレーシア】より

… 一方,ボルネオ島北西部には古くからブルネイ王国があった。イギリス人J.ブルックは1846年サラワクにブルック王国をたて,1881年には北ボルネオ会社が現在のサバ地域を獲得した。イギリスは1888年にブルック王国と北ボルネオ会社領を保護領とした。…

※「ブルック」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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