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ブルック ブルック Broke (Brooke), Arthur

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ブルック
ブルック
Broke (Brooke), Arthur

[生]?
[没]1563
イギリスの詩人,翻訳家。ユグノー救援に向う途上,若くして溺死。イタリアの M.バンデッロの物語をフランス語から重訳,翻案した物語詩『ロメウスとジュリエット』 The Tragicall Historye of Romeus and Juliet (1562) はシェークスピアに素材を提供した。

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ブルック
ブルック
Broke, Sir Philip Bowes Vere

[生]1776.9.9. イプスウィッチ近郊
[没]1841.1.2. ロンドン
イギリスの海軍軍人1812年から始ったアメリカ=イギリス戦争のとき,フリゲート艦『シャノン』号の艦長としてボストン沖を巡航中の 13年6月1日,アメリカのフリゲート艦『チェサピーク』号を捕獲した。

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ブルック
ブルック
Brook,Peter(Stephen Paul)

[生]1925.3.21. ロンドン
イギリスの演出家。オックスフォード大学卒業。ポーランドの J.グロトフスキリビング・シアターのジュリアン・ベックらの影響を受け,20世紀前衛演劇の発展に大きく貢献した。 1962年にロイヤル・シェークスピア劇団に加わり,P.スコフィールド主演の『リア王』 (1962) ,P.ワイスの『マラー/サド』 (64) ,『夏の夜の夢』 (70) などを演出。

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ブルック
ブルック
Brooke, Edward William

[生]1919.10.26. アメリカ,ワシントンD.C.
アメリカの黒人政治家。 1941ハワード大学卒業,第2次世界大戦では黒人部隊の大尉。 48年ボストン大学法学部を終えてマサチューセッツ州弁護士となり,62年同州法務局局長。 66年南部再建時代以来最初の黒人上院議員

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ブルック
ブルック
Brooke, Sir James

[生]1803.4.29. インドワーラーナシ近郊セクロール
[没]1868.6.11. イギリス,バラター
イギリスの軍人,探検家。イギリスで勉学を終えたあと,1819年マドラスインド人歩兵連隊に入り,1825年第1次イギリス=ビルマ戦争に参加,重傷を負って帰国。イギリス東インド会社にも勤務したが,1830年辞職,東インド諸島を経て中国まで旅行し,東アジアにおけるヨーロッパの勢力扶植の問題に強い関心を示した。

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ブルック
ブルック
Brooke, John Mercer

[生]1826.12.18. フロリダ,タンパ近郊
[没]1906.12.14. バージニアレキシントン
アメリカの海軍士官。職業軍人の家に育ち,1841年アメリカ海軍に入る。 46年アナポリスの海軍士官学校で1年勉強ののち航海歴を重ね,49年沿岸測量隊に編入され,51年から3年間海軍観測所にあって深海測量器を発明,53年から北太平洋探検に参加,55年には M.ペリーの開いた日本の近海を測量して帰国した。

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ブルック
ブルック
Brooke, Rupert

[生]1887.8.3. ラグビー
[没]1915.4.23. スキュロス
イギリスの詩人。ラグビー校時代から詩作,オックスフォード大学に進み,フェビアン協会員として活躍,1911年処女詩集を刊行。第1次世界大戦に参加してギリシアで病没した。アポロに比せられる美貌の持主で,夭折を哀惜された。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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百科事典マイペディアの解説

ブルック

英国の演出家。オックスフォード大学卒業。1962年にローヤル・シェークスピア劇団の演出家となり,《リア王》(1962年),《夏の夜の夢》(1970年)などの斬新な演出で衝撃を与えた。
→関連項目グルジェフベルモンドモロー

ブルック

英国の探検家,サラワクラージャ(首長)。インドに生まれ,イギリス東インド会社に入り各地で働く。父の多額の遺産を相続したのち,1838年ボルネオに赴き,ブルネイ王国スルタンに対する反乱を鎮定して1842年サラワクのラージャとなる。

ブルック

英国の詩人。第1次大戦に出征,ギリシアで病死した。愛国的な一連のソネットを含む詩集《1914年》(1915年)が代表作。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

ブルック Brooke, John Mercer

1826-1906 アメリカの軍人。
1826年12月18日生まれ。海軍大尉。測量船の船長として安政6年(1859)来日し,横浜に滞在。7年咸臨(かんりん)丸にのり,日本人乗組員に技術指導をおこなって太平洋横断の航海を成功させた。1906年12月14日死去。79歳。フロリダ州出身。海軍兵学校卒。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

ブルック

没年:1865.5.23(1865.5.23)
生年:1814.4.4
幕末に来日したオランダ商館医。嘉永6(1853)年,長崎出島の蘭館医モーニケの後任として来日。理化学に造詣が深く,長崎奉行からその伝習を依頼され実施した。福岡藩医河野禎造分析化学書を与え,河野はこれを訳し(1856),わが国最初の定性分析化学書『舎密便覧』を藩の助成を得て刊行した。大村藩では蒸気機関モデルの製作,電線の架設・実験供覧,佐賀藩や薩摩藩での理化学指導も伝えられている。勝海舟 の手記『咬鳴余言』には,彼の性格がかなり激しやすいものだったことが描写されている。安政4(1857)年10月離日し,オランダのアベルドルンで没した。

(宗田一)

ブルック

没年:1906.12.14(1906.12.14)
生年:1826.12.18
アメリカ海軍大尉で天文学者,測量士。1846年海軍士官学校に入学。北太平洋探検隊の一員として1859年からフェニモア・クーパー号で香港および日本開港場の測量に従事。日本人の手で遣米使節船「ポーハタン号」を護衛したい江戸幕府は,彼に援助を求めた。万延1(1860)年,他の米乗組員10名と「咸臨丸」に乗り,日本人乗員に航海術を教えつつ航海を成功させて帰国した。<参考文献>清岡暎一訳『万延元年遣米使節史料集成』5

(影山好一郎)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

ブルック【James Brooke】

1803‐68
イギリスの冒険家,植民地建設者。インドのワーラーナシーに生まれ,イギリスで教育を受けた。イギリス東インド会社の軍隊に入り,ビルマ(現ミャンマー)で戦い,負傷してイギリスに戻った。のち会社を辞し,父の遺産で購入したローヤリスト号で1838年にシンガポールに向かった。ここで海峡植民地知事より,ボルネオのブルネイ王国の支配下にあるサラワクのクチンに赴き,難破したイギリス船の生存者を引き取ることを求められ,クチンを訪れた。

ブルック【Peter Brook】

1925‐
イギリスの演出家。オックスフォード大学在学中に職業演出家として活動を始め,シェークスピア,サルトル,J.アヌイなどの戯曲の才気に富む演出でしだいに名声を得る。1962年にローヤル・シェークスピア劇団の演出家となったころから,演劇を根元的にとらえ直す傾向を強め,不条理劇風の《リア王》(1962)やサーカス風の《夏の夜の夢》(1970)を創造して衝撃を与える一方,アルトーの演劇観を実践して〈残酷劇のシーズン〉と称する実験を行った。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

ブルック【Peter Brook】

1925~ ) イギリスの演出家。ロイヤル-シェークスピア劇場の演出家を経て、パリに国際演劇研究センターを設立。演劇の根元的見直しをはかる。著「なにもない空間」

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内のブルックの言及

【クラブ】より

…18世紀になると市民勢力のいっそうの台頭を反映して,クラブは急成長を遂げる。なかには,マグハウス・クラブと総称された,乱痴気騒ぎやギャンブル,はては一般市民を襲撃するなど無軌道な行動に走るものも現れたが,1764年には社交クラブ〈ホワイトWhite’s〉が〈オルマックAlmack’s〉と改称され,トーリー党の牙城と化するとともに,ギャンブルで勇名を馳せる(オルマックは今日の〈ブルックBrook’s〉の前身)。文学クラブの〈キット・キャットKit‐Cat〉やジョンソン博士の〈ザ・クラブThe Club〉,料理で有名になった〈ブードルBoodle’s〉などのクラブも成立した。…

【サラワク[州]】より

…このほか州政府が外貨獲得のために力を注ぐものにアブラヤシ,コショウ,カカオがあり,いぜん第1次産品に経済を依存するが,クチンに加工貿易地区を設定し,小規模ながら近代工業の育成も進められている。かつて白人の王侯イギリス人ブルックJames Brooke(1803‐68)に支配されたこともあるサラワクは,1963年マレーシア連邦結成に参加して以来,ようやく豊かな資源を活用できる段階にはいった。【太田 勇】。…

【マレーシア】より

… 一方,ボルネオ島北西部には古くからブルネイ王国があった。イギリス人J.ブルックは1846年サラワクにブルック王国をたて,1881年には北ボルネオ会社が現在のサバ地域を獲得した。イギリスは1888年にブルック王国と北ボルネオ会社領を保護領とした。…

【演劇】より

…したがって本項目では,演劇という営為と体験の基底をなすと考えられる特性について,上記4要素とその相関性についての問いを考慮に入れつつ,主として日本演劇と西洋演劇に具体例を借りて,概略を記述してみる。
【観客――視覚の二重性】
 現代イギリスの演出家で1960年代末から主としてフランスで活躍しているP.ブルックは,その《なにもない空間》の中で次のような趣旨のことを述べている。〈どこでもいい,なにもない空間。…

【劇場】より

…〈近代劇場〉が獲得した富に基づき,さらにその先で,広場のまんなかに立てる新しい〈花で飾った1本の杭〉が求められている。小劇場前衛劇【津野 海太郎】
【舞台と客席】
 イギリスの演出家P.ブルックは,演劇論《なにもない空間》(1968)の冒頭で,〈なにもない空間をひとりの人間が横切り,それをもうひとりの人間が見ているだけで,演劇行為は成立する〉という趣旨のことを述べている。つまり,演劇が成り立つためには演技者と観客という,機能を異にする2種類の人間の存在が必要なのである。…

【三文オペラ】より

…社会問題に強い関心をもったパプスト監督は,さらに続いて同じ31年に,アルザス地方の炭坑爆発を背景にしてドイツとフランスの炭坑労働者の国境を超えた階級的同志愛を描いた《炭坑》をつくっている。なお,ゲイの《乞食オペラ》は53年イギリスでピーター・ブルック監督で映画化されている(日本公開題名《三文オペラ》)。【柏倉 昌美】。…

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