ドイツの理論物理学者。キールの生まれ。曽祖父(そうそふ)はプロテスタント神学者、父は法学教授であった。1874年ミュンヘンの中級学校を卒業したころ、プランクは数学、音楽に才能を示し、また古典語にも興味を抱いたが、ミュンヘン大学、ベルリン大学では数学や物理を学び、クラウジウスの熱理論、とくに熱力学第二法則に感銘を受けて物理への志望を固め、第二法則に関する論文によってミュンヘン大学から学位を得た。1880年同大学の教職に就任、1885年キール大学の員外教授となり、ゲッティンゲン大学の懸賞に応募して論文「エネルギー保存の原理」を提出、二席を獲得した。1989年には、前々年(1887)に物故したキルヒホッフの後継者としてベルリン大学に着任、まず助教授と理論物理研究所(新設)の所長、ついで1892年に教授の地位を得、2年後(1894)プロイセン科学アカデミー会員に加えられ、ベルリン物理学会を通じての交際範囲も広くなって、活発な研究を展開し始めた。
研究は、物理化学的に興味深い現象(不均質系の平衡、浸透圧、電離など)の熱力学的考察に始まって、1890年代後半から熱放射の問題に移った。熱放射については古くから関心が寄せられてきたものの、物理的にはキルヒホッフ(吸収と発散との関係、黒体の概念)、シュテファンとボルツマン(全波長にわたる放射強度と黒体の熱力学温度の4乗との比例性)、ウィーン(放射強度が最大である波長と黒体の熱力学温度との反比例性、遠赤外より短い波長の範囲での放射強度の波長分布)の研究成果が発表されたばかりであったから、プランクは、熱放射の熱力学的および電磁気学的な本性の追究に手を染めた。しかし、在来の(古典)物理学の立場からの論究は難渋し、一方、高温工業や照明技術との関連から熱放射の問題を重視したドイツ国立物理工学研究所での実験の進展に伴い、理論研究の前途に容易ならぬ障害があることが予想されるようになった。プランクは、まず折衷的な方法論で活路を開き(1900年10月)、続いて、エネルギーの離散性の仮説を設け、それを基として正しい熱放射波長分布法則を導いた(プランク定数の発見)。これがいわゆる量子仮説であって、量子論、量子力学への道はここで初めて開かれたのである。
ただしプランク自身はこの仮説の革命的意義を強調するよりも、むしろ古典的な理論との融和に心を砕いていた。量子論が広く支持されるに至るには、アインシュタイン(光量子仮説、1905年)、デバイ(固体比熱の量子論、1912年)などの寄与が必要であった。
一方でプランクはアインシュタインの特殊相対論の意義をただちに認め、1913年ベルリン大学学長に就任したときアインシュタインを同大学の教授に招いた。またプランクはプロイセン科学アカデミー会長(1912)、カイザー・ウィルヘルム科学振興協会の会長(1930)その他の要職につき、学界をリードした。理論物理学の教科書5巻、熱力学、熱放射論の書物は、行き届いた著述として定評があった(いずれも邦訳されている)。科学論、宗教論の著作も多い。「エネルギー量子の発見、物理学の進歩に対する貢献」により、1918年のノーベル物理学賞を翌1919年に受けた。
1926年ベルリン大学退官後、ナチスの不当な政策や家族の戦死・病死、空襲による被災などに苦しみ、ゲッティンゲンで死去した。カイザー・ウィルヘルム協会は1948年にマックス・プランク科学振興協会として再建され、プランクの名を後代に伝えている。
[高田誠二 2018年10月19日]
『A・ヘルマン著、生井沢憲・林憲二訳『プランクの生涯』(1977・東京図書)』
ESA(イーサ)(ヨーロッパ宇宙機関)が、2009年5月にハーシェル宇宙望遠鏡とともに、アリアン5ロケットで打ち上げた宇宙背景放射を観測する衛星。プランクは、ビッグ・バンの名残(なごり)である宇宙マイクロ波背景放射の「温度のゆらぎ」を高い感度と角分解能、広い周波数帯域で全天をくまなく観測する。温度のゆらぎを精密に調べることにより、宇宙の年齢や組成、進化の歴史を推定することができる。軌道は、地球や月からの放射の影響を避けるために、地球から約150万キロメートル離れた太陽の反対方向にあるラグランジュ点(L2)付近に投入された。L2にあれば、衛星から見た場合、太陽・地球・月が常に同じ場所に見えるので、それらすべてからの光や放射をまとめて遮断できる。プランクは、L2の位置に固定されるのではなく、L2から平均約40万キロメートル離れたリサジュー軌道に投入された。
衛星の大きさは高さ約4.2メートル、幅約4.2メートルで円筒形の台座の上に望遠鏡を設置している。打上げ時の質量は約1900キログラム、望遠鏡の主鏡は長辺約1.9メートル、短辺約1.5メートルの楕円(だえん)鏡である。望遠鏡の一部は雑音を低減するため0.1ケルビン(-273.15℃)の極低温に冷やされ、低周波数観測装置LFI(波長3.9ミリメートルから11.1ミリメートルを観測)と、高周波数観測装置HFI(波長0.3ミリメートルから3.6ミリメートルを観測)により全天のマイクロ波放射を観測する。プランクは全天走査で銀河団30個を含む新たな天体1万5000個を発見した。2013年3月には全天の宇宙背景放射マップが公開され、宇宙の年齢がこれまで発表されていた約137億歳よりやや古い約138億歳であることが確認された。また、宇宙マイクロ波背景放射を手がかりに、「宇宙の地図」も作成された。それを眺めれば、初期の宇宙は一様なものではなく、物質が宇宙全体にわたってどのように分布しているかがわかる。宇宙の膨張率は、これまで研究されてきたモデルに比べて若干遅めであることが観測結果からわかった。プランクはHFIとLFIの双方の観測装置を使っての全天サーベイを5回実施し、2013年10月に観測運用を終了した。
プランクの名称はドイツの理論物理学者マックス・プランクに由来する。
[森山 隆 2017年4月18日]
ドイツの理論物理学者。キールの生れ。1874年ミュンヘン大学に入学し,最初は数学を学ぶが,しだいに物理学に関心をもつようになった。1877-78年の冬および78年の夏ベルリン大学に遊学,H.L.F.vonヘルムホルツとG.R.キルヒホフの講義を聴講,またR.J.E.クラウジウスの論文に出会い,これを機縁に学位論文のテーマに熱力学第2法則に関する理論的問題を選んだ。プランクは第2法則の不可逆過程を自然的過程と呼んだが,第2法則に自然法則の絶対的なものを見いだしていたようである。キール大学教授を経て,89年キルヒホフの後任としてベルリン大学に招かれ助教授に就任,92年同教授,この間懸賞論文〈エネルギー保存の原理〉に挑戦する一方,希薄溶液の平衡(1887),解離と濃度の関係(1888),浸透圧の問題(1890)などの物理化学の諸結果を熱力学的に取り扱い,成果を収めた。
ところで,彼の名を冠たるものにした熱放射の理論的研究にプランクが初めて取り組んだのは95年のことであった。彼は熱放射を〈共鳴子〉(電磁的振動子に対してのプランクの呼名)による電磁波の放出・吸収という電磁的過程として考察した。だが,この考察からは不可逆性を導くことができず,L.ボルツマンの批判をうけた。そこでプランクは熱力学的考察から共鳴子の電磁エントロピーを考え,ウィーンの分布式(ウィーンの変位則)を導出することに成功した。ところが完全だと思われていたウィーンの公式が長波長領域において実験と異なることがH.ルーベンスらによって指摘され,プランクは再検討を余儀なくされた。1900年10月,内挿法によって実験と一致する新分布式(プランクの放射則)を発表,その後ボルツマンの熱力学の原子論的解釈に従ってエントロピーを検討し,エネルギー要素ε=hν(hはプランク定数,νは振動数)という概念を導入,共鳴子の放射の吸収・放出は,このエネルギー要素の整数倍でしか起こらないとする量子仮説によって新分布式を理論的に基礎づけ,同年12月,これを発表した。プランクの成功は,電気的な実験測定手段の新段階に負うた実験的結果を踏まえ,熱放射固有の実在から規定される原理(分布則)に対して,理論的に基礎づけるにふさわしい方法を意識的に追求していったところにある。エネルギー要素の仮説は量子論研究の口火を切るものであった。しかし,当のプランクはその後この画期的仮説を古典物理学の枠内で解釈しようとし,アインシュタインの特殊相対性理論の重要性を即座に認めたものの,エネルギー要素の本質的な意味を明らかにした光量子仮説に対しては疑いの目を向けた。また,マッハの実証主義的傾向に対しては実在の存在を認める立場から批判し,量子力学の正当な〈コペンハーゲン解釈〉も決定論の立場から拒否した。
1912年プロイセン科学アカデミー常任理事,13-14年ベルリン大学学長,30-37年カイザー・ウィルヘルム協会(のちのマックス・プランク協会)会長職を務めるなど,ドイツ科学の興隆のため中心的存在として活躍した。1918年ノーベル物理学賞を受賞。
プランクが良心的立場からナチズムに一線を画したことはよく知られている。反ユダヤ主義のためにアインシュタインが非難・追放されたときにはナチのやり方に遺憾を表明し(1933),またF.ハーバーを擁護するためにヒトラーと直接会見もしている。プランクは輝かしい伝統をもつドイツ科学の基本原則を守り,科学研究における自由と学識を尊重した。W.K.ハイゼンベルクがナチスへの抗議として大学を辞職しようとしたときには,ドイツ科学の将来を背負う若人のために大学にとどまるように説いたといわれる。なお総理府事務次官を務めていた息子エルビンは,ヒトラー暗殺未遂事件に関与したとの嫌疑で45年処刑された。
執筆者:兵藤 友博
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ドイツの理論物理学者.ミュンヘン大学,ベルリン大学では数学や物理学を学び,熱力学第二法則に関する論文によってミュンヘン大学から学位を取得.1880年同大学の講師になり,キール大学員外教授を経て,1889年ベルリン大学に着任,1892年に教授になり,1926年までその地位にあった.不均質系の平衡,浸透圧,電離などの熱力学的考察にはじまり,熱放射の熱力学的および電磁気学的な本性の研究に進み,古典物理学では熱放射の測定データの理解が困難であることから,エネルギーの離散性の仮説(量子仮説)をもとに正しい熱放射波長分布法則を導き(プランク定数の発見),量子論,量子力学への道をひらいた.かれはA. Einstein(アインシュタイン)の特殊相対論の意義をただちに認め,1913年Einsteinをベルリン大学の教授に招いた.1912年プロイセン科学アカデミー会長,1930年カイザー・ウィルヘルム科学協会会長などの要職を歴任し,ドイツの学界を指導した.エネルギー量子の発見により,1918年ノーベル物理学賞を受賞.カイザー・ウィルヘルム協会は,1948年にかれの功績を讃えてマックス・プランク協会として改称して再建された.
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(二間瀬敏史 東北大学大学院理学研究科教授 / 2007年)
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1858~1947
ドイツの理論物理学者。熱輻射(ふくしゃ)の研究によって「プランクの輻射公式」を立て,その理論的根拠として作用量子の仮説を導入し,初めて輻射エネルギーの不連続性を論じた(1900年)。
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…つまりエントロピーは微視的物理量ではなく,巨視的物理量だというのである。
[ボルツマン=プランクの方法]
1877年,ボルツマンは第2法則の確率論的基礎付けを追う途上で,以下に述べるような熱平衡状態のまったく独特な決定法を発見した。非常に多数の微視的状態は巨視的物理量で指定される同一の巨視的状態に見えるが,巨視的状態によって対応する微視的状態の個数が異なり,熱平衡状態に対応する個数は非平衡状態に対応するものに比べ圧倒的に大きい。…
…現在では光速度の値として, c0=2.99792458(1.2)×108m/sが得られているが((1.2)は下端の桁の誤差),これは一つのレーザーの発する光の波長λ0と振動数νとを測定し,c0=λ0νなる関係を使って求められたものである。 さて,光は波動であるが,その振動数をν,真空中の波長をλ0としたとき,物質との相互作用の際に,E=hνのエネルギーと,向きが光の進行方向で大きさがp=h/λ0の運動量をもつ粒子としてふるまい(hはプランク定数),この粒子をフォトン(光子)と呼ぶ。
【波動としての光】
光学の歴史は古く,古代ギリシアのユークリッド(エウクレイデス)は光が直進することや反射の法則について記述を残しているが,光学が近代的学問としての装いを整えるようになるのはさまざまな光学器械が登場する16世紀以降のことであり,また,これに伴って,光の本性をめぐっての論争も活発化する。…
… ブラウン運動の理論はさらに,確率過程の例題として,より美しい数学的形式にみがき上げられていく。ポーランドのM.vonスモルコフスキー,ドイツのフォッカーAdriaan Daniël FokkerおよびM.プランク,フランスのP.ランジュバンによって発展され,さらにのちにはN.ウィーナーにより確率過程の数学の一部門にもなっていく。フォッカー=プランクの方程式は微粒子の位置と速度の確率分布関数がみたすべき方程式であり,ランジュバン方程式は微粒子の運動方程式で,速度の減衰項や外力(重力)のほかに,ランダム・ノイズとしてのゆらぐ力を含んでいる。…
…協会は独自の基金を有し,特許収入のほか寄付金も寄せられるが,予算の大半は連邦政府および諸州政府によってまかなわれている。 マックス・プランク協会の前身は,ベルリン大学創立100年を記念して,1911年に設立されたカイザー・ウィルヘルム協会Kaiser Wilhelm‐Gesellschaft zur Förderung der Wissenschaften(以下KWGと略記)である。KWGの設立にあたっては,研究者を教育義務から解放し,学問研究に専念できるような施設をつくるべきだという神学者A.vonハルナックの提案があずかって力があった。…
…こうしたψの固有振動は,それぞれ量子力学的粒子のエネルギー確定の運動を表し,それをしている粒子は定常状態にあるといわれる。定常状態のエネルギーはそれぞれの振動数にプランク定数hをかけたhν0,hν1,……であたえられ,系のエネルギー準位とよばれる。たとえば水素原子の電子のエネルギー準位は-13.6eV/n2と書ける(n=1,2,……)。…
※「プランク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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