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ペルシア文学 ペルシアぶんがくPersian literature

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ペルシア文学
ペルシアぶんがく
Persian literature

近世ペルシア語で書かれた文学作品の総称。広義ではアケメネス朝時代の古代ペルシア語と,パルティア帝国,ササン朝時代の中世ペルシア語による文学をも意味するが,一般的にはアラビア文字で表記され,アラビア語からの借用語も多い9世紀以降のイスラム期近世ペルシア語による文学をさす。韻文文学 (詩) と散文文学に分れ,中世以来,詩が主流を占めている。7世紀にササン朝がイスラム・アラブに征服された結果,イスラム教が国教のゾロアスター教などの既存の宗教に代ってイランの支配的な宗教を占めるようになり,法律や文化の分野でもアラビア語が主体になった。しかし9世紀になって,イランの政治的復権とともに,ペルシア語による文学が登場した。特に近世ペルシア語として知られるイラン北東部の地方語が文学表現に使用されるようになり,やがてイラン全域と北インドでペルシア語の文語として確立した。
近世ペルシア文学の初期の作品は称賛や歓喜を韻文で表現したもので,そこにはアラブ的な要素はごく少い。しかしアラビア語の散文作品の翻訳が進むにつれ,次第にアラビア文学の影響を受けて修辞学的に洗練され,多くの語彙や文法的技法が導入されたのである。最初期のペルシア詩の主要な分野は賛辞と挽歌で,ともにカシーダ (定型の頌詩) で書かれた。サーマン朝のナスル2世 (在位 913~943) 時代に活躍したルーダキーは 10世紀を代表する大詩人である。続いてガザルと呼ばれる,カシーダより短い詩型の抒情詩が生れ,酒を賛美する詩や,のちには恋愛詩にも用いられた。カシーダとガザルはともに単韻詩であったが,やがて押韻対句,マスナビー詩型の導入により単韻詩の制約から解放され,叙事詩や長編教訓詩が作られるようになった。マスナビーはルバーイー (4行詩) と同じように純粋にペルシア的なものである。特にルバーイーはほかの詩型と異なり,アラビア語で書かれたものは知られていない。民族叙事詩ではフィルダウシーが偉大な作品を完成した。 11世紀トルコ系ガズニー朝時代にも多くの宮廷詩人が輩出し,ペルシア詩ホラーサーン・スタイルを確立した。 12世紀セルジューク朝時代にペルシア詩は興隆をきわめ,イランの東西にわたって一流詩人が活躍し,内容も拡大されて神秘主義詩,ロマンス詩などが多く書かれた。 13世紀なかば,モンゴルの来襲,支配でペルシア詩は全般的に停滞したが,ルーミーサーディーら偉大な詩人が現れ,抒情詩も盛んになり,14世紀にハーフィズによって完成された。ペルシア詩は 10~15世紀が古典黄金時代で,それ以降衰退を続け,19世紀以降次第に復活して今日にいたっている。
散文文学の基礎も,詩と同様にサーマン朝時代に築かれた。マンスール1世の宰相バルアミーは,963年にアッバース朝の歴史家タバリーの有名な年代記『預言者と諸王の歴史』をペルシア語に抄訳した。同じ頃,トランスオクシアナの神学者たちはタバリーのもう1冊の大著『コーラン解釈論集』をペルシア語に翻訳し,ペルシア語が宗教関係の著述にも適していることが立証された。マンスール1世はまた,ヘラート出身のアブー・マンスール・ムワッファクに命じて,ペルシア語による最初の薬物学書『治療の正しい基礎の書』を執筆させた。ペルシア語を哲学や科学の著述に用いるには,微妙な言い回しを含む幅広い専門用語の語彙を作る必要があったが,青年時代をサーマン朝の宮廷で過したイブン・シーナーがそれに関する顕著な業績をなしとげた。その後,歴史,伝記,物語,旅行記,神秘主義などを主題とした作品が多く作られ,19世紀末,立憲革命運動時代には注目すべき啓蒙文学が次第に現れた。 20世紀には民衆の生活に基づく短編,長編小説が盛んになった。

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世界大百科事典 第2版の解説

ペルシアぶんがく【ペルシア文学】

ペルシア語は,歴史的には古代・中世・近世ペルシア語から成るが,現在一般にペルシア語といえば,7世紀半ばにイラン(ペルシア)のササン朝がアラブ・イスラム軍に滅ぼされ,イラン全土が征服された結果,国教ゾロアスター教に代わってイスラムが台頭し,このイランのイスラム化に伴い成立した近世ペルシア語を指す。ここでは,ペルシア語の歴史に沿って,時代をイスラム以前と以後の二つに大きく分け,ペルシア文学の歴史とその特徴を概観する。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ペルシア文学
ぺるしあぶんがく

広義では古代ペルシア語、中世ペルシア語(パフラビー語)、近世ペルシア語による文学を意味するが、一般にはイスラム期におけるアラビア文字で表記される近世ペルシア語による文学をさす。古代の文献としてはササン朝時代に編纂(へんさん)されたアベスタ語によるゾロアスター教聖典『アベスタ』と古代ペルシア語の碑文などがある。
 パフラビー文学については当該項目(「パフラビー文学」)を参照されたい。次に述べるのは近世ペルシア文学の歴史的展開と特色である。[黒柳恒男]

沈黙の2世紀

7世紀のなかばにイスラム・アラブ軍に攻略されてササン朝が滅亡すると、イランはアラブの直接支配下に置かれ、9世紀なかばまで2世紀にわたりこの状態が続いた。この間アラビア語が行政語、学術語として用いられ、中世ペルシア語にとってかわって近世ペルシア語が生まれるが、これは実際には話しことばとして用いられたにすぎない。そこでイラン人学者たちもアラビア語で執筆し、イスラム文化形成に大きく貢献したが、ペルシア語による文献はいっさいない。政治的、言語的に独立性を失ったこの時代は「沈黙の2世紀」とよばれる。[黒柳恒男]

黎明期

アラブの支配力が弱まり、イランのイスラム化が強化された9世紀なかばごろから、イランに地方王朝ながら民族王朝が相次いで樹立された。それら宮廷にペルシア詩人が現れ始め、幾たりかの詩人が活躍したと伝えられるが、断片的な詩が現存するだけである。しかし9世紀がペルシア文学の黎明(れいめい)期であったことは事実である。[黒柳恒男]

ペルシア文芸復興

9世紀末から10世紀末までブハラに首都を置き、中央アジア、東部イランを支配した民族王朝サーマーン朝は民族文化振興政策をとった。そしてペルシア詩人の保護奨励に努めたためペルシア文学は非常に栄え文芸復興期を迎える。この時代の文学の特色は宮廷貴族文学としての頌詩(しょうし)と民族意識に基づく民族叙事詩で、それぞれの分野に大詩人が現れた。ペルシア詩人の父ルーダキーと大民族詩人フィルドウスィーがその代表的存在である。この時代、ペルシア古典詩の主流を形成するホラサーン・スタイルの基礎が築かれた。[黒柳恒男]

古典黄金時代 11~15世紀

11世紀以降15世紀末まで長年月にわたりイランはトルコ系、モンゴル系など異民族に支配されたが、これら支配層はイラン文化に同化され、ペルシア詩人を保護したので、ペルシア文学はますます隆盛した。11世紀前半ガズナ朝スルタン、マフムードの宮廷には400人もの宮廷詩人が仕えたと伝えられ、ウンスリーをはじめ三大詩人が頌詩の分野で活躍し、ホラサーン・スタイルを確立した。11世紀後半から13世紀前半におけるセルジューク朝、アターベク諸王朝の時代にペルシア文学、イラン文化は最盛期を迎え、ペルシア詩の領域は内容面で従来以上にはるかに豊かになった。この時代の特色として、アンワリー、ムイッズィーらセルジューク朝宮廷詩人のほか、地方王朝の宮廷詩人の活躍が顕著で、神秘主義が導入され、サナーイー、アッタールの二大神秘主義詩人がこの分野の基礎を築いた。サーマーン朝時代の素朴な表現に比べて、この時代には多くのアラビア語彙(ごい)が用いられ、文体が華麗になったのが大きな特色といえる。『ルバイヤート』の詩人ウマル・アル・ハイヤーミーが活躍したのもこの時代である。10世紀ごろ、ペルシア詩は中央アジアと東部イランに限られていたが、この時代にはイラン全域にわたってペルシア詩人が輩出。とくに西部のアゼルバイジャン地方ではハーカーニー、ニザーミーら優れた詩人により、ホラサーン・スタイルに対してイラク・スタイルによる詩作が行われた。
 10世紀に詩とともに基礎が築かれたペルシア散文学も、この時代に隆盛期を迎え、さまざまな分野にわたり注目すべき作品が生まれた。13世紀後半から14世紀前半にかけてモンゴル軍の侵入、支配により一時的にペルシア文学は停滞するが、その後復活し、13世紀には二大詩人ルーミー、サーディーが現れ、歴史の分野でいくつかの優れた作品が数えられる。14世紀後半から15世紀末にかけてティームール朝時代にペルシア文学はしだいに衰えをみせる。しかし14世紀には最高の叙情詩人とうたわれるハーフィズが現れ、15世紀にはヘラート宮廷を中心に文化が栄え、古典時代の最後を飾るにふさわしい大詩人ジャーミーが神秘主義の分野で活躍、散文においても歴史書、詩人伝などが執筆された。[黒柳恒男]

衰退時代

16世紀、国民王朝サファビー朝が創設されると、シーア派を国教に制定、政治面のみならず美術工芸の分野で栄えたが、ペルシア文学は王朝の政策とかみ合わず急速に衰退、この沈滞が18世紀末まで続いた。この間、インドのムガル朝宮廷がペルシア詩の中心となり、イランの詩人でインドに移住する者が続出、インド・スタイルという作風で作詩が行われるようになり、イランにも影響を及ぼした。[黒柳恒男]

近・現代文学

19世紀カージャール朝の時代にカーアーニーら宮廷詩人によるペルシア詩の伝統が復活し、古典スタイルによる作詩が行われた。19世紀なかばからしだいに西欧思想、文学が導入され、とくに19世紀末から20世紀初頭の立憲革命運動時代には新聞が多く刊行され、啓蒙(けいもう)文学が盛んになった。その後ジャマール・ザーデ、ヘダーヤトらによって小説の基礎が築かれ、俗語を駆使した文学大衆化が叫ばれ、社会の下層階級をテーマとした多くの作品が現れた。詩の分野では愛国詩人バハール、女流詩人パルビーンらによる伝統的な古典詩スタイルを経て、ユーシージによる自由詩が注目を浴びるようになった。古典文学研究も20世紀の大きな特色である。1979年のイラン・イスラム革命後は革命を謳歌(おうか)した詩、イスラムに関する宗教文献が多く現れたが、注目すべき文学作品はまだ現れていない。[黒柳恒男]
『黒柳恒男著『ペルシア文芸思潮』(1977・近藤出版社)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

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