五島(市)(読み)ごとう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「五島(市)」の意味・わかりやすい解説

五島(市)
ごとう

長崎県西端にある市。2004年(平成16)福江市(ふくえし)と、南松浦(みなみまつうら)郡の富江(とみえ)、玉之浦(たまのうら)、三井楽(みいらく)、岐宿(きしく)、奈留(なる)の5町が合併して成立。長崎港の西方約100キロメートルの五島列島のほぼ南半分を占め、五島最大の福江島をはじめ、久賀島(ひさかじま)、椛島(かばしま)、黄島(おうしま)、赤島、蕨小島(わらびこじま)、島山島(しまやまじま)、嵯峨ノ島(さがのしま)、奈留島前島(まえしま)の10の有人島、男女群島(だんじょぐんとう)を含む53の無人島からなる。

 福江島には国道384号が通じ、福江空港があり、長崎空港、福岡空港と空路で結ばれる。福江港からは博多港、長崎港や五島各地へジェットフォイルやフェリーの便がある。

 古来大陸との交流が盛んであった。日本の最西端地域の旧石器時代遺跡として茶園遺跡(ちゃえんいせき)があり、古墳時代から古代にかけての遺構・遺物が発見された大浜遺跡もある。白浜貝塚は縄文時代から弥生時代の遺跡で、片刃石斧(せきふ)類・磨製石鏃(せきぞく)が検出され、女亀遺跡(めがめいせき)でも扁平(へんぺい)片刃石斧などが出土しており、いずれも中国大陸とのかかわりがうかがえる。弥生時代に入っても寄神(よりがみ)貝塚や三井楽貝塚のように大規模な貝塚が形成されている。

 古代には遣唐使船が南路をとる際の日本最後の寄港地は美弥良久(みみらく)(現、三井楽)であった。804年(延暦23)久賀島の南西にある田ノ浦から最澄・空海を乗せた第16次遣唐使船が出帆した。平安末期から鎌倉期にかけては宇野御厨(うののみくりや)のうちと考えられ、松浦(まつら)氏一族の勢力が及んだとみられる。戦国期には宇久(うく)氏の支配下に入った。宇久氏一族の奈留氏が支配した奈留島は海上交通の要衝で、朝鮮や明(みん)の史料にもしばしば地名が見える。宇久氏は近世初頭まで深江(のちの福江)の江川城を拠点とし、1540年(天文9)には通商を求めて来航した明の王直(おうちょく)に居住地を与え(のちの唐人町)、王直と提携して対外貿易を行った。1566年(永禄9)イエズス会の修道士が来着、奥浦や六方(むかた)には教会堂が建立された。江戸時代は大部分が福江藩五島氏(宇久氏が改称)領。福江は福江藩約1万5000石の城下町としてにぎわった。明治初年の久賀島に始まるキリシタン弾圧は五島各所に広がり悲惨な歴史を残した(五島崩れ)。

 漁業は古くからの歴史をもち、各地に漁業基地がある。ブリやサバの定置網漁、アジの巻網漁、キビナゴの刺網(さしあみ)漁、イカの一本釣り、マグロ・ハマチ・タイの養殖や蓄養などが行われている。農業は鰐川(わんごう)中流の山内(やまのうち)盆地での米作のほか、溶岩台地での葉タバコ、牧草、ムギ、サツマイモなどの畑作がある。水に乏しいため、繁敷(しげじき)ダム、内闇(うちやみ)ダムなどが築造された。

 地形は複雑で海岸線は屈曲に富み、風光明媚(めいび)な自然に恵まれ西海国立公園(さいかいこくりつこうえん)に含まれる。東シナ海を望む大瀬崎(おおせざき)は高さ100メートル前後の海食崖(がい)が約20キロメートルも続き、断崖上には1879年(明治12)に建てられた灯台がある。福江島の南東部には鬼岳(おんだけ)を中心とする臼状(きゅうじょう)火山群があり、南麓(なんろく)の鐙瀬(あぶんぜ)の海岸は溶岩流の景勝地。ほかに京ノ岳(きょうのたけ)・男岳(おだけ)・女岳(めだけ)のアスピーテ火山、嵯峨ノ島(さがのしま)の火山海食崖、白良(しらら)ヶ浜の漣痕(れんこん)(さざなみの化石。県指定天然記念物)などがある。

 荒川湾奥の矢ノ口と増田町にあるヘゴ自生北限地帯、奈留島権現山樹叢(ごんげんやまじゅそう)は国指定天然記念物。男女群島は全体が国の天然記念物(天然保護区域)に指定される。玉之浦湾岸の荒川温泉は西海国立公園屈指の温泉地。

 石田城五島氏庭園は国の名勝に指定されている。明星院(みょうじょういん)の銅造如来(にょらい)立像は国の重要文化財。白浜神社の祭事「ヘトマト」は国の重要無形民俗文化財、大津町の念仏踊「チャンココ」は県の無形民俗文化財。西の高野(こうや)大宝寺で見物人に砂を打ちつけて疫病退散を願う「大宝郷の砂打ち」、嵯峨ノ島に伝わる念仏踊「オーモンデー」は国の選択無形民俗文化財。福江島の東南海岸には倭寇(わこう)の拠点と伝える勘次ヶ城(かんじがしろ)(県指定史跡)がある。

 五島列島は歴史的にキリシタンの信仰厚い地域で、各地に教会や古い天主堂がある。奥浦湾内にある赤レンガ造の堂崎教会(どうざききょうかい)は、五島で最古の歴史をもつ教会建築で県の有形文化財。久賀島の旧五輪(ごりん)教会堂は国の重要文化財。同島にはキリシタン迫害による殉教地「牢屋の窄(さく)」もある。奈留島には1918年(大正7)に建てられた木造建築の江上天主堂(えがみてんしゅどう)(国指定重要文化財)が残る。井持浦(いもちうら)教会敷地内の洞窟(どうくつ)には井持浦ルルド(フランスの聖地ルルドを模した霊泉)がある。ほかに白石湾を望む高台にたつ白亜の水ノ浦教会、赤レンガ造の楠原(くすはら)教会などもある。

 面積420.12平方キロメートル(男女群島の面積を含む)、人口3万4391(2020)。

[編集部]

〔世界遺産の登録〕久賀島の集落、奈留島の江上集落(江上天主堂とその周辺)は、2018年(平成30)、ユネスコ(国連教育科学文化機関)により「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産として、世界遺産(文化遺産)に登録された。

[編集部 2018年9月19日]


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