日本歴史地名大系 「神田村」の解説
神田村
こうだむら
- 高知県:須崎市
- 神田村
須崎湾奥東部に位置し、
京都下鴨神社領
神田村
かみだむら
神田村
こうだむら
神田村
こうだむら
神田村
かんだむら
神田村
こうだむら
神田村
じんでんむら
- 滋賀県:八日市市
- 神田村
神田村
こうだむら
神田村
じんだむら
神田村
かんだむら
神田村
こうだむら
- 高知県:高知市
- 神田村
高知城下南西方にあり、
神田村
じんでんむら
神田村
こうだむら
神田村
こうだむら
東は
慶長一〇年(一六〇五)備前国高物成帳(備陽記)の
神田村
じんでんむら
神田村
こうだむら
- 大阪府:池田市
- 神田村
池田村の南にある大村。村の西側を
神田村
かんだむら
- 愛媛県:北条市
- 神田村
慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の
神田村
こうだむら
弘化三年(一八四六)の戸数二二、人口一一六、うち男五四・女六二(「菰野雑記」野呂家蔵)、また明治二年(一八六九)には二三戸、一一九人(男五八・女六一)、牛一四であった(菰野町史)。
神田村
かんたむら
神田村
じんでむら
神田村
こうだむら
神田村
かだむら
神田村
しんたむら
- 秋田県:鹿角市
- 神田村
北流する米代川が西に向きを変える所に位置し、近くで
近世初期の「鹿角郡由来記」に「神田村 神田十郎領知 本名成田 居館碁石館有」とあり、中世後期には開村していた。集落南西部の
神田村
かんだむら
- 和歌山県:海南市
- 神田村
日方浦の東側に位置する村で、近世初期までは日方村に含まれたが、その後分村、日方村の内陸部が神田村、海岸部の熊野街道沿いに発達した地域が日方浦となった。
なお「紀伊名所図会」は「潟村は今の神田村なるべし」と記しているが、この
神田村
かんだむら
神田村
かんだむら
神田村
かんだむら
神田村
かみたむら
神田村
こうだむら
神田村
こうだむら
神田村
こうだむら
神田村
こうだむら
神田村
こうだむら
- 大分県:竹田市
- 神田村
神田村
じんでむら
神田村
かんだむら
神田村
じんだむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報