デジタル大辞泉
「坊」の意味・読み・例文・類語
ぼう〔バウ〕【坊】
[名]
1
㋐僧の住居。僧房。房。転じて、僧侶。「師の坊」
㋑寺社が信者のために設けた宿泊所。宿坊。
2 幼い男の子に対する愛称。また、その自称。「坊をつれて散歩に行く」
3 奈良・平安時代の都城の行政区画の一単位。平安京では、東西南北の大路に囲まれた区域。1坊は4保で4町四方。また、その大路をいう。
4 皇太子の居所。東宮坊。また、皇太子をいう。東宮。
[接尾]
1 人名に付いて、親しみや軽いあざけりの意を表す。「お花坊」「けん坊」
2 人の様態を表す語に付いて、そういう人である意を表す。「暴れん坊」「けちん坊」「朝寝坊」「風来坊」
3 僧侶の通称や坊号などの下に添えて用いる。「武蔵坊弁慶」「法界坊」
[類語](1㋐)僧坊・禅室
ぼん【▽坊】
《「ぼう」の音変化》
1 僧侶。「坊さん」
2 (主に西日本で)男の子を丁寧に、また親しみを込めて呼ぶ語。江戸中期までは男児・女児どちらにも用いた。ぼうや。ぼっちゃん。
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ぼうバウ【坊】
- [ 1 ] 〘 名詞 〙
- ① 唐の都城制にならってつくられた条坊の制で、平城京、長岡京、平安京を、朱雀大路を中心に左京、右京おのおの東西に四坊に区画したもの。また、その大路をいう。南北に分かつ条に対する。
- [初出の実例]「凡京中衛士仕丁等坊不レ得二商売一」(出典:延喜式(927)四二)
- ② 条里制で、坪(つぼ)の称。
- [初出の実例]「大倭国広湍郡庄家田〈略〉廿条五里六坊三段百歩」(出典:東寺文書‐礼・天平二〇年(748)二月一一日・弘福寺牒)
- ③ 「春宮坊(とうぐうぼう)」の意から転じて、東宮(皇太子)をいう。
- [初出の実例]「狸毛筆 坊献」(出典:性霊集‐四(835頃)進春宮筆啓)
- ④ 僧侶の居所。転じて、僧侶をいう。また、僧の名に添えて用いる。房。→御坊(ごぼう)。
- [初出の実例]「山にばうしてゐて、言の通ひもえせざりけり」(出典:大和物語(947‐957頃)一六八)
- ⑤ 男の子を親しみ呼ぶ称。頭髪をのばさず、その頭が僧に似ているためにいったもの。江戸では時に女の子をいうこともあった。
- [初出の実例]「坊(ボウ)はおとっさんにおんぶだから能の」(出典:滑稽本・浮世風呂(1809‐13)前)
- ⑥ 修験道の山の行人止宿の家。宿坊。
- [初出の実例]「きぬたうちて我にきかせよ坊がつま〈芭蕉〉」(出典:俳諧・曠野(1689)四)
- [ 2 ] 〘 接尾語 〙
- ① 人の名に付けて、人を親しんだり、軽くあざけったりする意を表わす。
- [初出の実例]「文町坊(ボウ)や、ぶんてうぼう、文町さんや、ぶんてうさん」(出典:咄本・譚嚢(1777)誹名)
- ② 人の様態を表わす語に付いて、そういう人の意を表わす。「赤ん坊」「暴れん坊」「朝寝坊」など。ぼ。
- [初出の実例]「眷属の医者坊(ホウ)誹諧坊(ホウ)をつかはして太鼓を以て四方より攻立させて」(出典:洒落本・風俗八色談(1756)一)
ぼん【坊】
- 〘 名詞 〙 ( 「ぼう(坊)」の変化した語 )
- ① 僧侶。坊さん。
- [初出の実例]「のふ、ぼん、してそなたは又」(出典:狂言記・宗論(1660))
- ② 男の子を丁寧に呼ぶ語。坊ちゃん。宝暦年間(一七五一‐六四)頃までは男児・女児どちらにもいった。
- [初出の実例]「坊(ボン)かよう来たなあと手を取りて」(出典:浄瑠璃・壇浦兜軍記(1732)四)
- ③ 住居。居所。
- [初出の実例]「『坊(ボン)は』『此松原の出ばなれ』」(出典:歌舞伎・桑名屋徳蔵入船物語(1770)三)
ぼ【坊】
- 〘 接尾語 〙
- ① 男の子や女の名の下に付け、親愛の気持を表わす。未婚・既婚を問わずに用いる。
- [初出の実例]「コレお八重ぼお八重ぼいのふ」(出典:浄瑠璃・比良嶽雪見陣立(1786)四)
- ② =ぼう(坊)[ 二 ]②「あわてんぼ」「きかんぼ」など。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
普及版 字通
「坊」の読み・字形・画数・意味
坊
常用漢字 7画
[字音] ボウ(バウ)
[字訓] まち・みせ・てら
[説文解字]
[その他]
[字形] 形声
声符は方(ほう)。方に方形・区画の意がある。〔説文新附〕十三下に「邑里の名なり」とあり、条里によって区画された一画を坊という。坊に坊門を設け、坊長をおいた。寺院の内部も坊に分かたれ、一坊の主を坊主といった。
[訓義]
1. まち、まちの区画。
2. いち、みせ、しごとば。
3. やしき、へや。
4. てら。
5. 防と通じ、ふせぐ、つつみ。
[古辞書の訓]
〔和名抄〕坊 末智(まち) 〔名義抄〕坊 マチ・サフ 〔字鏡集〕坊 サト・ツツミ・ツカ・サハル・サフ・マチ・チマタ
[語系]
坊・方・匚piuangは同声。匚(ほう)も区画の場所を示す字である。(房)・防biuangも同系の語とみてよい。
[熟語]
坊▶・坊郭▶・坊額▶・坊官▶・坊間▶・坊曲▶・坊▶・坊刻▶・坊市▶・坊肆▶・坊舎▶・坊廚▶・坊長▶・坊店▶・坊陌▶・坊本▶・坊民▶・坊門▶・坊閭▶
[下接語]
街坊・客坊・京坊・教坊・御坊・茶坊・酒坊・宿坊・春坊・織坊・職坊・僧坊・内坊・病坊・別坊・本坊・坊
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坊 (ぼう)
fāng
中国における都市域の区画の名称。土を高く盛った防壁の坊が原義である。後漢ごろから記録がふえ,高い土壁で囲まれた皇族や宮人たちの居住区を指した。4世紀初めの五胡の動乱以後,華北では多種多様の異民族が漢民族と雑居し,城郭内に土壁を作って住み分けることになる。これが坊制であり,旧来の里制に代わる都市区画として定着していく。6世紀の北魏の都洛陽には320の坊が数えられ,隋・唐の長安城は,これを直接継承し,4種類110の坊を整然たる形で城内に配置した。最大の坊は950m,800mの長方形,最小の坊は1辺500mの正方形で,大小に応じて2あるいは4の坊門をもつ。住民は原則としてそこからしか出入りできなかった。諸妓の聚居した唐代の平康坊は人口に膾炙する。なお坊内の道路を巷,曲と呼ぶ。坊制は一応全国城市にしかれたが,その内容は必ずしも同じではない。唐中期以後の社会変革の中で坊壁はしだいに姿を消し,宋代には坊は単なる町の名称,坊門もアーケードに変わる。ただ坊の名は現在まで使われている。なお,日本の古代都城でも坊の呼称が用いられた(条坊制)。
執筆者:梅原 郁
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
坊
ぼう
都城における街路に囲まれた土地・行政区画。ふつう東西に連なる4坊が1条を構成,ときには条を坊と称した。「延喜式」では坊は16の町にわかれ,全体で180丈四方。中国では漢代以降の都城にみえ,日本でも藤原京の「林坊」の名が知られるので,遅くとも7世紀には導入されていた。なお「和名抄」の訓はマチで土地の区画を意味し,そのため条里の「坪」や坊内部の「町」にも坊の字があてられることがあった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
坊
ぼう
唐にならってつくられた奈良,平安時代の都城制の一区画,4町四方の称。のちに大寺院に属する小院,僧侶の住居をさすようになり,さらに僧侶そのものの呼称となった。さらに男の子の呼称としてや接尾語として親しみなどをこめて用いられるようになった。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
坊
ぼう
都城制の一区画
城壁に囲まれた中国の都市の内部は,さらに街路で区画され,周囲を土壁で囲んだ。隋・唐代の長安で完備し,庶民は坊壁に門をつくれなかったが,宋以後この制限は崩れた。
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
世界大百科事典(旧版)内の坊の言及
【郷里制】より
…つまり,三国から六朝時代にかけては,城郭の内に住む者と村落に住む者との2形態に分かれてきたのである。 北朝にあっては,人為的な区分に関して,これまでの郷里制とは異なり,組織を3段にしてそれぞれに長をおく,いわゆる[三長制]が施行されたが,その間に,いつのほどにか城郭内の区画であった里を坊と呼ぶようになっていた。つまり里が公称であったのに対し,民間ではむしろ坊と呼ぶことが多かったらしく,隋をへて唐にいたり,ついに坊をもって正式の称呼と定めた。…
【条坊制】より
…日本の[都城]制において,京域内を縦横に通ずる大路によって碁盤の目のように方格に区分し,東西の列を〈○条〉,南北の列を〈○坊〉とよぶとともに,方格そのものをもまた〈坊〉と称する制度。律令制では,戸令の規定によって,京職の配下として,各坊に坊長1人,各条の4坊ごとに坊令1人が任ぜられ,戸口の検校,姧非の督察,賦徭の催駈に当たった。…
【村】より
…南北朝時代には村は普遍的な存在となり,地方行政組織の最末端に位置づけられ,唐代になるとさらに正式の制度となって,唐律令に規定されるようになる。その唐戸令によれば,100戸で形成される里のうち,都城内にあるものを坊というのに対し,田野にあるものが村とよばれたのであり,村正1人をおいて,行政を補佐するようになっていた。ただし,村は集落一般を意味することもあり,以後は集落の名称の一つとして一般に用いられている。…
【長安】より
…工事期間が短いが,隋から唐にかけていくたびか改修工事を行っている。大興城は東西18里115歩,南北15里175歩の大きさで,城牆の高さは1丈8尺,城内に110坊あったという。唐の長安城はこれをうけついだものである。…
【都市】より
…秦の咸陽(かんよう)に始まり,漢の長安と洛陽,北魏の洛陽,隋・唐の長安,そして元・明・清の北京は,いずれも中華的理念に基づく建設都市であり,1500を上下する郡県,州県の城郭都市とはやはり区別すべき存在である。例えば経書《周礼》に基づく都市計画も,現実には北朝系の異民族主体の王朝の国都に限定されるし,唐都長安に典型的にみられる坊制や市場制などの都市制度も,当時の全中国にそのままでは普遍化できにくい。4世紀初め,異民族五胡に追われ,漢民族支配者層が江南に逃れた後の中原は荒廃の極に達する。…
【面】より
…李朝初期に郡を東西南北4面に分けたことが〈面〉という名称の始めとみられるが,行政区画となったのは16世紀と推定される。平安道,黄海道では〈坊〉,咸鏡道では〈社〉と呼ばれた。李朝時代の面は政府の命令伝達,徴税事務などの単位で,行政村としての性格が強い。…
※「坊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」