さまざまな目的のために衣服,化粧,髪形等の〈装い〉を変えることをいう。
日本語の語彙には,〈変身〉〈変相〉という言葉は古くからあったが,この〈変装〉という言葉は,近代以降に作られた新しい言葉であり,近代西洋語(フランス語déguisement,travestissement,英語disguiseなど)の翻訳語として用いられ始めたものと考えられる。そして,その後に定着した典型的な用法としては,たとえば〈探偵の変装〉〈警官の変装〉といったように,正体を隠すための便宜的なそれを指すというニュアンスがかなり強い。しかし,元来,この〈変〉と〈装〉という二つの漢字によって表現しうる意味の射程はより広く多様なものであり,事実,いくつかの小説では,より一般的な意味でこの語が使われている(たとえば川端康成の《浅草紅団(くれないだん)》(1929-30)では〈……考えてみると,銀座は化粧で沢山だ。変装を必要とするほど,陰の多い街ではない。/変装はやはり浅草のものらしい。〉とある)。
また近年では文化人類学,民俗学,演劇学,国文学,歴史学等の分野で,人間文化のさまざまな局面にあらわれる,象徴的な衣装の変更という現象一般を指して,〈変装〉(あるいはほぼ同じ意味で〈仮装〉〈異装〉)と呼ぶことが普通に行われている。したがってここでは,〈変装〉という言葉自体がもつニュアンスと時代的な限定性から離れて,一般的かつ原理的に,しばしば歴史的にも重大な意味を担っている,一種の文化現象あるいは社会現象としての変装という行為について,以下考察を加えることとしたい。
なお,〈変装〉という言葉の周辺にある用語上の問題について少し補足すれば,英語のtransvestismという言葉も,オックスフォード英語辞典本巻(1928完結)には未登録の新しい言葉であり,今日文化人類学などでは,一般的に〈変装〉〈異性装〉を意味する言葉としてごくふつうに用いられるものの,多くの一般英語話者の間では,一種の異常性欲としての〈異性装症〉〈服装倒錯〉を指すニュアンスが強いという特殊性をもっている。また,日本語の〈仮装〉という言葉は,典型的な用法としては〈カーニバルの仮装〉〈仮装舞踏会〉といったように,〈変装〉のそれと文脈上の使い分けがなされ,また,〈変装〉がどちらかというと〈変わる〉という行為の局面に重点が置かれるのに対して,〈仮装〉の方は変わったその状態に着目して,それが〈本来の姿ではない〉という虚構性を示唆する,という両者の区別が指摘されたりもするが,ある国語辞典の〈仮装〉の項の説明に〈変装〉という言換えがなされていることにも明らかなように,両者の区別は分明ではない。
変装がもつ意味を考えるためには,まず,その変える対象である〈衣装〉そのものについての若干の省察から始めなければならない。よく知られるように,衣装は単にわれわれの身体を外的な自然の諸条件(暑さ寒さなど)から保護するだけではなく,その着用者の性別,年齢,婚姻の有無,身分,職業,宗教,民族等々を示す,社会的・文化的な記号としての役割をもっている。ロシア出身の民俗学者・記号論学者ボガトゥイリョフPyotr G.Bogatyryov(1893-1971)が著した《モラビア・スロバキアにおける民俗衣装の諸機能(邦訳題《衣裳のフォークロア》)》(1937)は,このような側面からの衣装の構造的機能研究の先駆的な業績であるが,その中の一章〈未婚の母のかぶりもの〉は,衣装というものがもつシンボリックな機能,ひいてはそれが社会の中で形づくる〈制度的強制力〉を知る上で,示唆に富む事例となっている。モラビア・スロバキアのいくつかの地域では,性道徳を犯し〈未婚の母〉となった娘は,編んで垂らした髪を切られ,既婚女性と同じかぶりものをすることになるのであるが,そのような変更は,妊娠が知れるやいなや有無をいわさずに行われ,その〈堕落した娘〉は,共同社会の中で他の独身の娘とまちがいなく区別されることになるのである。このように,衣装とは〈社会的秩序〉(またあるいは〈文化的秩序〉〈世界観的秩序〉)を象徴的に示す弁別的特徴の集合体であって,そのような弁別性はいわゆる〈伝統社会〉において顕著なかたちで現れるとはいえ,本質的には,今日の日本社会も含めたあらゆる時代のあらゆる社会に存在するはずのものである。
このように考える時,〈変装〉の意味は明瞭となる。変装という行為(あるいは衣装を変えるという行為)は,しばしばなんらかの意味で〈非秩序的〉性格を含む行為であって,個々の衣装が担う弁別的特徴の示差性・対立性の強度によって程度が異なりはするものの,最も強い場合にはそれは秩序の象徴的逆転・侵犯・攻撃にほかならないし,そうでない場合でもなんらかの〈非日常的〉性格あるいは〈移行〉の意識(たとえばいわゆる晴着や礼装,また新しい衣服による〈気分転換〉のように)を象徴的に示すものなのである。つまり変装とは,単に外見の問題なのではなくて,むしろ,ある精神的なあり方と強く結びついている。人間存在の根本にかかわるような非日常性への欲求,あるいは反秩序的な変革の意志が,象徴的に衣装にあらわれるのだ。冒頭にあげたような変装の便宜性を否定しようというのではない。しかし,そのような視点からは,この文化的・社会的現象のごく限られた部分しか,読み解くことができぬのである。たとえば,有名なジャンヌ・ダルクの男装にしても,単に実用的な軍装なのではなく,いわば〈神の少女〉としての形象なのであって,そのような理解によってこそ,われわれは〈異端女にしてかつ聖女〉であるこの〈オルレアンの乙女〉の全体像に近づくことができるのである。国文学者松田修の《日本近世文学の成立--異端の系譜》(1963)は,〈かぶき〉精神の体現者としての織田信長,豊臣秀吉らを論じて一つの時代をその生成の相においてとらえ,この変装というテーマを考える上できわめて示唆に富む一書であるが,その論述の初めに述べられる〈異装は,人間という“わく”からの逸脱の,パスポートではないか〉という言葉は,まさに正鵠(せいこく)を射たものとして記憶される。
→仮装 →道化[道化の外貌]
さて,前述のように種々の弁別的特徴の束(たば)としてのわれわれの衣装は,原理的には,そのあらゆる点においてのさまざまな程度の変異がおこりうるわけであるが,しかし,実際の現象としてのそれらをある程度抽象化してとらえるならば,かなり明確な傾向,すなわち,変異を被る弁別的特徴は〈聖/俗〉〈男/女〉〈貴/賤〉〈老/若〉等々のような二項対立を形成し,変装はそれらの象徴的逆転の形式としてあらわれるという傾向が見いだされる。そして中でも,男の女装,女の男装,すなわち〈異性装〉が,歴史的に見た場合にも,また地理的・文化的に見た場合にも,最も普遍的に見いだされる変装の例であるといえる。ここでは,以下この女装・男装の事例をいくつか紹介し,考察を加えていくこととする。
さて,女装・男装の例としてよく引かれ,また親しまれているもののひとつは,カーニバルにおけるそれであろう。たとえばゲーテも,その著《イタリア紀行》(正確には《第2次ローマ滞在》の巻)で,〈若い男は最下層の女が着るような晴着を身にまとい,胸もあらわな格好で,恥ずかし気もなく得意満面で,たいていまっさきにあらわれる。彼らは行き会う男たちに甘え,……〉と,1788年1月のローマのカーニバルのようすを生き生きと描写している。このような祭儀の時空における女装・男装の例は世界各地に見られ,人類学者・民俗学者らによる報告・研究も数多く行われているが,たとえばイギリス生れの人類学者・精神病理学者G.ベートソンによるニューギニア・イアトムル族の〈ナベンNaven〉と呼ばれる行動の研究(《ナベン--三つの観点からひきだされたニューギニアのある部族文化の合成図が示す諸問題》1936)は,興味深い事例であるといってよい。ナベンは,初めて一人前の仕事をなしとげた若者(男)に対する祝福の儀礼などとして行われるが,そこでは女装・男装が重要な地位を占める。若者の母方のおじ(ワウwauと呼ばれる。なおこれに対して若者はラウアlauaと呼ばれる)は,女の衣服を身につけ,また腹にひもを巻いて妊婦のふりをしたりする。また,ワウは場合によっては性的な擬態として,自分の尻の割れ目をラウアのすねにこすりつけたりもする。大規模なナベンでは,このワウとラウアのまわりに男装した女たち(あるいは男のふりをする女たち)がいて,儀礼の中のそれぞれの役割を担うのである。
女装・男装だけに限らず,このような祭儀における象徴的逆転の意味づけに関しての議論は盛んであり,象徴的逆転は,実際には転倒あるいは対立の解消という形を借りての,逆説的な既成秩序と世界観の確認・強調・強化であるとする説や,またあるいは,既成秩序の限定性の補完・解消によって実現した,人間が所有しうる限りの全体的な可能性のなかで,既成秩序の再生・改新,さらにはまったく自由な要素の再構成・再組織による〈新秩序〉の形成,また〈新秩序〉への移行の契機として,それをとらえる説などが提出されている(この点,〈儀礼〉の項目なども参照)。いずれにせよ,ここでの主題の女装・男装に限っていえば,それらはいわば〈両性具有〉という始原の神話の具象化であり,祭儀における女装・男装とは,そのような枢要な時空において,〈始原の力〉あるいは〈カオス(混沌)という膨大な可能性〉を利することによる,社会・文化の活性化であるといいうるだろう。先にあげたボガトゥイリョフはその著《チェコ人・スロバキア人の民衆演劇》(1940)のなかで,観客に最も強く訴える扮装手段の一つは女装・男装であるとし,12月6日の聖ニコラウス(サンタ・クロース)の祝日の前夜に行われるある村芝居では,ときに女装願望が行き過ぎて,演ずる若者たちが耳にイアリング用の孔をあけてしまうという〈熱中〉の例を紹介している。〈異性装〉はこのように,遊戯そのものとして追求される場合も多いが,それが圧倒的な力をもって人を魅するのも,いま述べたような始原の力と通じあうものであるからにほかならぬだろう。
また,近年の研究では,近世・近代の西欧諸国に起こった民衆反乱と暴動が,しばしば変装をともない,なかでも女装した男たちに率いられる例の多かったことが指摘されている。アメリカの歴史学者デービスNatalie Zemon Davis(1928- )は,フランス,イギリスなどでの具体的な事例によりつつ,そのような女装をした理由として,責任逃れのための実際的な便宜性(当時の社会では女は責任の当事者能力を認められず,それらの行動はたかが女のしたこととして見のがされることも多かったという)をまずあげた上で,同時にそれは,女というもう一つの性がもつ特有のエネルギーを利用しようとしていたのではないか,との説を述べている(《近代初期フランスの社会と文化》1975)。この点日本においても,(女装ではないが)蓑笠(みのかさ),柿帷(かきかたびら)などの一揆における特有の服装のあり方が,近年しばしば論議されており,いずれにせよ興味深い問題であるということができる。
このように変装とは,種々の問題を含む重要な文化現象・社会現象であり,今後の活発な研究が期待されるところとなっている。
→女装 →両性具有
執筆者:川添 裕
変装によって性を変える行為は,古今東西の演劇に多く見られる。すなわち,中国の京劇,イギリスのシェークスピア劇,日本では能楽,歌舞伎(および日本舞踊),種々の民俗芸能などが代表的な例である。なかでも歌舞伎は,この変装のもつ官能の美と愉楽を最もよくその演劇世界に取り入れて体現した,比類なき芸能であるといってよい。そもそものお国歌舞伎が,当時流行の男伊達(だて)の風俗を〈男装〉によって模したものであったし,のちに政治と宗教の介入から女人禁制となると,いわばその代行として女方(おんながた)が生まれ,これは現代にまで至っている。
歌舞伎の女方の技術は京劇の女方よりも写実性にすぐれ,そのアンドロギュノス(両性具有)的な〈虚構の身体〉によった演戯的変奏の多様性は,おそらく世界に例を見ぬものであろう。能楽のように仮面によってではなく,生身の男性が女性に変装し,それを商業的,営利的に成立させてきた歴史は,歌舞伎という演劇の象徴ともなっている。はじめ,女方の領域は舞踊が中心であったが,しだいにドラマへも進出し,主演するようになった。たとえば,〈眼千両〉といわれた名女方5世岩井半四郎のために4世鶴屋南北(大南北)が書き下ろした《お染の七役》と通称される作品(《お染久松色読販(うきなのよみうり)》)は,半四郎が一人で性や身分や年齢を異にする七役を演ずるように書かれている。文化・文政期には,一人の俳優が男役と女役とをとりまぜた何役にも変わる例がさかんとなり,それら市井の風俗を取り入れた踊りは〈変化(へんげ)舞踊〉と呼ばれた。また河竹黙阿弥は,《三人吉三》(《三人吉三廓初買(さんにんきちさくるわのはつがい)》)や《弁天小僧》(《青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)》)などの,美女じつは女装した追いはぎ,武家娘じつは女装した刺青も鮮やかな白浪(しらなみ)といった,性の倒錯そのものの面白さを狙った官能美にあふれる名作を生み出し,そこでは両性具有の美貌のスターがおおいに活躍することとなった。このような作品に共感し,またおそらくそういった作品を無言のうちに要求してもいたであろう当時の江戸庶民の心情,あるいはその社会の〈集団意識〉は,まことに興味深いといってよい。
さらに,女方の中には〈悪婆(あくば)〉というキャラクターができ,妖婦・毒婦役の代名詞にもなった。これはいわば女性の中にある男性的要素を拡大した一面があり,歌舞伎のみならず近代の日本映画にも継承されている。うわばみお由,妲妃(だつき)のお百,土手のお六などが有名である。映画では第2次大戦前に,一連のバンプ(妖婦)女優たち--伏見直江,原駒子,鈴木澄子ら--があらわれ,鈴木澄子はやがて化猫(ばけねこ)女優(化猫映画)に転向した。
日本の映画には歌舞伎の影響が強く長く残り,多くの時代劇映画を生んだが,チャンバラのスターに伍して,長谷川一夫を典型とする女方芸の伝統が受け継がれ,《雪之丞変化》のような傑作が生まれた。また逆に〈男装の麗人〉という言葉も生まれ(作家の村松梢風が川島芳子を主人公とした小説中で使用したのが最初だといわれる),これは宝塚歌劇などのスターの呼称として定着した。
〈女のようないい男〉という表現は第2次大戦前までははっきりと生きていたし,江戸時代には〈ふたなりひら〉という表現が使われた。これは〈ふたなり〉と〈業平(なりひら)〉とをかけたしゃれであり,そこでは伝説的に美男の代表とされている在原業平と歌舞伎役者のイメージが合体されている。おそらく日本人の意識の底には,こうした両性具有の美的理想像があったのではないかと思われる。そしてそのような好みは,今でも大衆の中に深く浸透していると見てよいであろう。
なお,演劇に限らず,日本においてこの変装という文化現象・社会現象を考える場合に,一方で〈変化(へんげ)〉〈変身〉〈変相〉また〈異相〉〈異形(いぎよう)〉〈異類〉などの伝統的・歴史的な語彙が指し示す意味内容との異同を分明にしながらも,また一方ではそれらのしかるべき範囲を統合的にとらえるという視点が要求されることに,留意すべきであろう。
→女方 →変化(へんげ)物 →やつし
執筆者:落合 清彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
自己を隠蔽(いんぺい)するために、意図的に装い(姿や服装)を変えることであるが、その過程を緻密(ちみつ)に考察すると、変装は人間存在の本質に根ざす複雑な営為であることがわかる。
われわれはふだん、「他者」の織り成す関係の束のなかで規定される「人格(ペルソナ)」を自己のアイデンティティとして自明視しており、素顔さえも一つの「仮面(ペルソナ)」にほかならないことに注意を払わない。変装を遂げるためには、こうした無意識の前提を意識化する必要がある。すなわち、「自己」を成立させる無意識的な存在の基盤へと降り立ち、装いのもつ象徴性(社会的地位や役割などを表徴する機能)を操ることによって、「自己」から「他者」への変換がなされるのである。この特殊な営為を、ある特定な目的のために意図的に行う場合(探偵、忍者など)に変装とよび、儀礼化した場合(カーニバル、仮装舞踏会など)に仮装とよんでいるが、両者の区別は同一現象を異なった側面からとらえた場合に生まれるものと考えることもできる。変装に関して日本では、倭建命(やまとたけるのみこと)の女装の記述がすでに記紀にみられる。また、その独自な性格ゆえに、人間の深淵(しんえん)に光を当てる表現効果として、変装はたびたび芸術作品のなかに登場してきた。たとえば、歌舞伎(かぶき)にはしばしば変装を扱ったものがあり、同じ俳優が次々に別の役に早変わりして踊る変化物(へんげもの)などの名称が与えられている。
[土佐昌樹]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…また,漁師,猟師,鑪師(たたらし)などの職業に従事する者も,作業上の必要から覆面をした。しかし,こうした実用的な目的以外にも,覆面は変身や変装の呪具として信仰的な意味も有していた。変装手段として笠,頭巾,ふろしき,手ぬぐい,仮面などを用いての覆面は,おしろいや灰墨を塗る化粧も含めて,物忌(ものいみ)の状態にあることのしるしであり,また異界との交通や復活再生し新たな人格を獲得する際にも必要なものであった。…
※「変装」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
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