寺門は西面して
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
岡山県総社市にある臨済宗の寺。井山(いやま)と号する。鎌倉前期に創建,はじめ天台宗,まもなく慧聡禅師により臨済宗に転じた。近郷の生れだった雪舟は,少年時代当寺で修行し,あまり絵ばかりをかいているので,和尚がこらしめようと本堂の柱にくくりつけたところ,足もとに涙でネズミの絵をえがき,和尚があやうく本物のネズミと見誤るところだったという有名な話は,当寺で生まれたものである。近世の寺領100石。現在,仏殿,方丈,禅堂,庫裏,書院,経蔵,鐘楼などが閑寂な境内に建ちならんでいる。そのうち,三重塔(重要文化財)は1262年(弘長2)北条時頼の建立と伝えられるが,近年,永和2年(1376)の墨書が発見されて南北朝期の建立と考えられている。
執筆者:藤井 学
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
岡山県総社(そうじゃ)市井尻野(いじりの)にある臨済(りんざい)宗東福寺派の寺。井山(いやま)と号し、俗称は雪舟(せっしゅう)寺。貞永(じょうえい)年間(1232~33)に鈍庵(どんあん)禅師を開山として創建された天台宗の寺であったが、四条(しじょう)天皇(在位1232~42)のころ禅寺となったと伝えられる。永享(えいきょう)年間(1429~41)雪舟が12歳で得度し、やがて京都相国(しょうこく)寺に上るまで修行をした寺で、本堂正面仏壇にある柱は、少年僧雪舟がくくり付けられて涙で足元に鼠(ねずみ)を描いたときのものと伝えられる。室町時代に兵火にかかり三重塔(国重文)のみを残して焼失。江戸時代に復興された。寺宝に明(みん)の周東村(しゅうとうそん)作と伝える絹本着色地蔵菩薩(ぼさつ)像、同十王像(いずれも国重文)がある。
[菅沼 晃]
出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
…水産業は沿岸・沖合漁業でサバなどの水揚げが多く,農業はミカン,花卉などが中心である。《延喜式》の名神大社伊古奈比咩命(いこなひめのみこと)(白浜)神社,下田条約締結の舞台となった了仙寺(史),長楽寺,アメリカ総領事館が置かれた玉泉寺(史),唐人お吉の墓がある宝福寺など史跡が多い。【塩川 亮】
[歴史]
江戸~大坂間の海上交通の要地として発展した。…
…そのために江戸時代には,故郷で罪を犯して滅罪のために六十六部となって回国に出て,一生を旅の空に送る者があった。その終焉の場を提供したのが京都東山鳥辺野の宝福寺(時宗)であり,六部墓というものがあった。しかし信仰のために六十六部回国に出る者もあって,回国の途中で信者ができれば,その村の堂や庵に定着して一生を送った。…
…臨済宗を日本に伝えた栄西は,吉備津宮の神主賀陽(かや)氏の出身である。画僧雪舟は大井荘赤浜(現,総社市)の出身で,年少のころ近くの井山(いやま)宝福寺で小僧生活を送ったという。宝福寺は臨済宗東福寺派の名刹として知られる。…
※「宝福寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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