浄福寺(読み)じょうふくじ

精選版 日本国語大辞典 「浄福寺」の意味・読み・例文・類語

じょうふく‐じ ジャウフク‥【浄福寺】

[一] 京都市上京区笹屋町にある浄土宗の寺。山号は恵照山。延暦年間(七八二‐八〇六)奈良興福寺賢憬の創建。大永五年(一五二五)超誉の入山後、浄土宗を兼ねた。鎌倉時代美術品を多数所蔵する。村雲寺。赤門寺
[二] 山形県酒田市中央西町にある真宗大谷派の寺。山号は亀崎(きき)山。文明七年(一四七五)明順を開山に創建。

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日本歴史地名大系 「浄福寺」の解説

浄福寺
じようふくじ

[現在地名]上京区笹屋町二丁目

山門が浄福寺通に東面する。山号は恵照山、浄土宗。本尊阿弥陀如来。寺伝は、延暦年中(七八二―八〇六)桓武天皇の勅を受けた奈良興福寺の学僧賢憬が葛野かどの村雲むらくも(現上京区)に堂宇を建立、唐から将来した釈迦如来像を本尊とし、興福寺の僧一誓を請じて開山としたのに始まるという。だが「類聚三代格」には寛平八年(八九六)三月二日、中宮班子(宇多天皇母)が当寺を建立して年分度者二人(一人天台宗・一人法相宗)を置き、定額寺に列せられて浄福寺の額を賜ったとあり、これを当寺の草創とするのが妥当であろう。延喜元年(九〇一)一〇月二二日には宇多法皇が班子のために当寺で一切経を供養した(「日本紀略」など)。延喜一二年と天徳四年(九六〇)に焼失、元三大師(良源)が再建したが、これも火災に遭ったと伝える。

建治二年(一二七六)後宇多天皇の勅により村雲に移転、「拾芥抄」には二五大寺の一としてあげられる。

浄福寺
じようふくじ

[現在地名]酒田市中央西町

真宗大谷派の寺院で、亀崎山と号し、本尊は阿弥陀如来。文明年間(一四六九―八七)明順が創始。明順は俗姓菊池武邦、肥後国深川ふかがわ(現熊本県菊池市)の城主で、本願寺八世蓮如に帰依して北陸の教化に従い、文明五年奥羽・松前教化のため向酒田むこうさかたに一宇を建立、清浄福徳寺と名付け、略して浄福寺と称した(浄福寺由緒記)。文亀元年(一五〇一)上洛し、九世実如から東奥伝道の偉績により寺名に夷の字を冠され夷浄福いじようふく寺と号した。寺宝の親鸞絵像の文禄五年(一五九六)四月二三日付本願寺教如裏書に「夷浄福寺」とみえる。明順の女明順尼が当寺をほん町三丁目浄福寺小路近くに移転した(「庄内昔聞書」飽海郡誌)

浄福寺
じようふくじ

[現在地名]八王子市下恩方町

千手山普門院と号する。本尊は大日如来であるが、往古は不動明王であった(武蔵名勝図会)。真言宗智山派。文永年間(一二六四―七五)広恵を開山として創建されたといわれ、はじめ城福寺と号した。のち大石道俊が当地を領して琴平ことひら山山上に浄福寺城を築城、大永四年(一五二四)上杉憲政と兵火を交え、灰燼に帰した。

浄福寺
じようふくじ

[現在地名]甲南町深川

深川ふかわ集落東側の山腹にあり、みねの堂・たか観音ともよばれる。天台宗。寺伝によれば、延暦年間(七八二―八〇六)最澄が当地で金光赫々と輝く光をみて、自ら仏像を刻んで、金光山と号し、寺を開いたという。本尊の木造十一面千手観音坐像(国指定重要文化財)は像高一〇二センチ、寄木造、全身に漆箔が施され、鎌倉時代初期の作とされる。八月一〇日の千日詣は賑い、昔はそののちに盆踊があったという。境内には天保一三年一揆に加わった深川村庄屋田中安右衛門の記念碑もある。当寺の西峰に浄土寺があったが、いつの頃か当寺に併合された。両寺による正月のオコナイに関する古文書が深川共有文書に多数残る。

浄福寺
じようふくじ

[現在地名]三島町脇野町

市街地の西方の山手にある。真宗大谷派、光燿山と号し、本尊阿弥陀如来。寺伝によれば、天暦九年(九五五)桃井親王の供として京から一人の僧が入越、後に信濃国へ移住したが、後年中興の祖と称される順西が再度越後に移り、享禄二年(一五二九)現在地に寺基を定めたと伝える。もとの宗派は不明だが、この頃改宗したと思われる。順世の代に大坂石山合戦に参加、教如から拝領したと伝える阿弥陀如来絵像をはじめ、実如上人御文・顕如上人裏書の阿弥陀如来絵像などを所蔵する(三島町史)

浄福寺
じようふくじ

[現在地名]小坂町小坂町

北方の字そらにある。大永山と号し、真宗大谷派。本尊は阿弥陀如来。絵像本尊裏書には大永四年(一五二四)六月二五日、本願寺実如から白川照蓮しらかわしようれん寺門徒の「益田郡上櫓郷小坂」の西善に与えられたとある。寺伝ではこの西善を三木直頼の次男左馬介直忠とする。元禄八年(一六九五)の小坂町村検地帳(小坂町教育委員会蔵)には当寺の除地の記載はないが、奥書によれば同一〇年道場浄福寺境内の屋敷四畝余が寺の除地として許され、同一二年代官伊奈半左衛門が奥書押印している。

浄福寺
じようふくじ

[現在地名]柿崎町柿崎

柿崎の東部にあり、浄土真宗本願寺派。扇谷山と号する。開基は井上忠良で、その子善教が永仁元年(一二九三)覚如より寺号を受けたと伝える。慶長七年(一六〇二)本尊の阿弥陀如来像が本願寺准如より許可される。報恩講は六月二一日より二三日まで。

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事典・日本の観光資源 「浄福寺」の解説

浄福寺

(大阪府大阪市東淀川区)
私が選んだ東淀川100選指定の観光名所。

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