日本歴史地名大系 「山田城跡」の解説
山田城跡
やまだじようあと
山田城跡
やまだじようあと
山田城跡
やまだじようあと
現高山村西部中央字
建武三年(一三三六)一一月の高梨時綱軍忠状(高梨文書)に、「右、上杉兵庫助以下凶徒等、当国楯籠牧城之間、山田要害押寄」、文明一六年(一四八四)五月の諏訪御符礼之古書に「此年五月、山田城高梨日向守高朝、高野仏詣留守中於、高梨刑部大輔政盛、城被取候」、弘治三年(一五五七)四月の長尾景虎書状案(色部文書)に、「従敵方相拘候地利、山田之要害并福嶋之地打明候、除衆悉還住候」とある。
山田城跡
やまだじようあと
南北朝期からみえる城館の跡。応安五年(一三七二)八月に
山田城跡
やまだじようあと
山田城跡
やまだじようあと
山田城跡
やまだじようあと
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報