海に突出した陸地の先端部。成因としては,山稜が沈水した場合や,硬い岩石からなるため波の浸食に抗して形成される場合が多い。また砂の堆積で突出する砂嘴(さし)の岬もある。瀬戸内海の岬の多くは沈水山稜タイプであり,太平洋に突出する犬吠埼(いぬぼうさき),伊良湖岬(いらごみさき)などは硬岩タイプである。また北海道の野付崎(のつけざき),神戸の和田岬などは砂嘴タイプである。岬を示す用語としては,岬,崎,埼,碕のほかに角,鼻などがある。
執筆者:豊島 吉則
岬は,漁民や海上交通に従事する人々にとって,目印や山アテ(海上で船や漁場の位置を山々の重なりぐあいなどで判断すること)の対象として,きわめて重要な場所であった。それゆえ,岬には必ずといってよいほど,神がまつられ,ここを航行する船は,帆を下げて敬意を表し,この神に捕った魚のお初をあげる風習があった。海上交通と深い関係があるといわれる熊野信仰における神の使い(神使(しんし))のカラスをミサキと呼んでいるが,これなども岬の意味を知るうえで重要である。
執筆者:高桑 守史
大阪府南西端,泉南郡の町。1955年に深日(ふけ)・多奈川両町と淡輪(たんのわ)・孝子(きようし)両村が合体,改称。人口1万7504(2010)。大阪湾に面し,和泉山脈西部の北斜面を占める。中心の深日は《万葉集》に歌われた吹飯浜(ふけいのはま)とされる。近世は泉大津と和歌山を結ぶ孝子街道の要地として栄え,漁業や和泉瓦の生産が盛んであった。西部の谷川港は《土佐日記》にもみえる古い港で,近世は風待港として知られた。明治末期に南海本線が通じ,その後淡輪遊園地がつくられ,第2次大戦後にはみさき公園もできて観光地としても発展した。工業は1941年に川崎重工業艦船工場が設置されてから発展を始め,戦後,工場跡地に関西電力多奈川火力発電所が進出したほか鉄工業,紡織業が行われる。和歌山市との関係が密接で,同市の商圏に含まれる。かつての深日港は淡路島や四国へのフェリーの発着地となっていた。南海本線が通り,みさき公園駅で南海多奈川線を分岐する。
執筆者:松原 宏
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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