( 1 )「源氏‐末摘花」には、「御かゆ、こはいひめして、まらうどにもまゐり給ひて」とあり、「かゆ」と「こわいい」が対比して用いられている。上代・中古の「こわいい」は、現在の糯(もち)米によるものだけではなく、粳(うるち)米を蒸したものもあったらしい。また、米に限らず麦、雑穀によるものにもいったようである。
( 2 )近世には主に糯米を蒸したものを指すようになり、また「めし」が日常語として広く用いられるに従って、「こわめし」と呼ばれるようになった。
( 3 )女房詞では、「こわくご」「おこわ」と呼ばれ、とくに「おこわ」は小豆を混ぜた赤飯にいうようになった。
おこわ、強飯(こわいい)ともいう。江戸時代までは米を蒸して飯にしたものを強飯といい、水を加えて柔らかく煮たもの、すなわち炊(かし)ぎ飯を弱飯(ひめ)または姫飯(ひめいい)といっていた。炊飯が一般化するようになってからは、これをご飯(はん)または飯(めし)といい、反対に糯米(もちごめ)を蒸したものを強飯またはおこわというようになった。米を蒸すのが通常の加熱法であった時代には、糯米でも粳米(うるちまい)でも強飯といったが、炊く方法が一般的になってからは蒸したものだけを強飯というようになり、さらに糯米を蒸さずに炊いたものを炊きおこわといっている。江戸中期の『貞丈雑記(ていじょうざっき)』に、強飯というのは白強飯で、赤飯は赤小豆(あずき)を混ぜた強飯、とある。江戸後期の『萩原随筆(はぎわらずいひつ)』には、京都では吉事に白強飯、凶事に赤飯を用いるのが民間の習慣で、江戸は4月から8月まで白強飯、9月から3月は赤飯を用いる、とある。現在では反対になり、吉事に赤飯、凶事には黒大豆を混ぜたり白強飯を用いるようになった。米粽(ちまき)は、ササの葉に糯米を包んで蒸してつくる強飯の粽である。
[多田鉄之助]
甑(こしき)やせいろうで蒸した飯。《万葉集》巻五の山上憶良の〈貧窮問答歌〉に〈甑には蜘蛛の巣懸(か)きて飯(いい)炊(かし)く事も忘れて〉とあるように,もともと飯といえば蒸したものであった。今のように水を加えて煮た飯はやわらかいために姫飯(ひめいい),堅粥(かたがゆ)などと呼ばれた。姫飯が日常食として普及するにともなって〈こわいい〉,略して〈おこわ〉,さらに〈こわめし〉というようになり,多くもち米を用いて物日(ものび)に食するようになった。祝事にはアズキを加えて赤飯とし,不祝儀には白ダイズを加えるか,もち米だけの白蒸(しらむ)しを用いた。なお,栃木県日光の輪王寺で今でも毎年4月2日に行われる強飯式は高盛り飯を強制するもので〈ごうはんしき〉と呼ぶ。
執筆者:鈴木 晋一
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「おこわ・こわめし」とも。米を蒸したもの。水で煮る固粥・汁粥,すなわちのちのメシ・カユと対比されるが,むしろ古代では米を食するふつうの方法だった。現在では粳米(うるちまい)をメシとし,糯米(もちごめ)を蒸して強飯とする。赤飯は祝事の象徴だが,現在も宮座(みやざ)の神事などでは白い強飯が作られ,古代の食の伝統が神饌(しんせん)として残る。
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…平安時代末期以降,大外記中原師遠の子孫が頭を相伝し寮領を管領した。大炊寮は《和名抄》ではオホイノツカサ(於保為乃豆加佐)と訓じ,オホイはオホイヒ(大飯)で,飯は甑(こしき)で蒸した今日の強飯(こわめし)である。今日の米を煮た飯は饘(かたかゆ)で主水司がつかさどった。…
…〈たく〉は燃料をたいて加熱する意と思われる。飯の炊き方には煮る方法と蒸す方法とがあり,古く日本では甑(こしき)で蒸した強飯(こわめし)を飯(いい)と呼び,水を入れて煮たものを粥(かゆ)といった。粥はその固さによって固粥(かたがゆ)と汁粥(しるかゆ)に分けられた。…
※「強飯」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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