新宮神社(読み)しんぐうじんじや

日本歴史地名大系 「新宮神社」の解説

新宮神社
しんぐうじんじや

[現在地名]周東町大字祖生 中村

祖生そおの中心、中村なかむらにあり、祭神は市杵島姫命・田心姫命・湍津姫命の三女神と国常立尊・天照大神・素盞嗚尊。相殿に五男神と造化三神ほか。旧村社。

「神社明細書」によれば嘉禄元年(一二二五)周防権介大内弘成が安芸国厳島いつくしま神社を勧請したとある。「山口県風土誌」は、岩隈八幡宮所蔵文書として長享二年(一四八八)六月二日付の難波彦次郎通次の次の文書を載せる。


新宮神社
しんぐうじんじや

[現在地名]甲南町新治

旧村社。新宮(新宮郷)九ヵ村、すなわち新宮上野しんぐううえの龍法師りゆうぼし柑子こうじ磯尾いそお野田のだ野尻のじり倉治くらじ市原いちはら虫生野むしようの(現滋賀県水口町)の氏神(輿地志略)。明治以前は新宮大明神とよばれた。一宮は紀伊熊野大社、二宮は常陸鹿島大社、三宮は勝手かつて大明神を祀る。一宮は天平四年(七三二)倉治村熊尾くまおに勧請され、延暦年間(七八二―八〇六)神勅によって上野(新宮上野)村に移り、新宮大明神と号したという。社記には、天元年間(九七八―九八三)に当地を領した橘敏保が、当地の沼沢一帯に住む竜蛇を退治するため新宮大明神に参籠し祈願した。


新宮神社
しんぐうじんじや

[現在地名]左京区松ヶ崎林山

はやし山の山麓に南面して鎮座。白鬚しらひげ大神(猿田彦神)を祀る。旧村社。もと大比叡大明神と称する独立社であったが、徳治二年(一三〇七)鎮座地のまつさき村一村あげて日蓮宗改宗の後、法華経および日像直筆の曼荼羅を神体として合祀した(山城名跡巡行志)。以来、妙泉みようせん(現左京区)の鎮守社として妙泉寺僧の祭祀するところとなった(京都府愛宕郡村志)。天和二年(一六八二)の「雍州府志」にみえる「明神社 在洛北松崎何明神也」という記事は当社をさすものと考えられる。「山城名跡巡行志」には「新宮」とのみ記されるが、「日次紀事」には「三月初三日(中略)松崎稲荷社并新宮二所明神祭」とあり、江戸時代には三月三日が例祭日であった。


新宮神社
しんぐうじんじや

[現在地名]八幡町那比

那比なび神社の東方に位置する。スギ、ヒノキ、カシの巨木が多く、那比新宮神社社叢として県指定天然記念物。祭神不詳だが、神体は虚空蔵菩薩像。別名巌屋いわや新宮という。那比神社と同様、藤原高光の天暦元年(九四七)創建伝承をもち、ふくべヶ岳(福部ヶ岳)の麓六社の一つに数えられる。高賀こうか山岳信仰の一拠点として多くの文化財を有し、鎌倉期の経典をはじめ、同時期の懸仏・梵鐘や鰐口などを伝存する。それらの彫刻類は、一括して那比新宮信仰資料として国指定重要文化財とされ、工芸・仏像類一括六件は県指定重要文化財。


新宮神社
しんぐうじんじや

[現在地名]東村東大沼

東大沼ひがしおおぬまの台地の西部にあり、祭神は息長足媛命。古来から大沼村の鎮守で、もとは神宮じんぐう神社と称した。現存する三枚の棟札写によると、神護景雲元年(七六七)筑前国香椎宮の分霊を勧請してこの地に祀ったとされ、永禄二年(一五五九)に大沼弥太郎一族が、慶安三年(一六五〇)には徳川家光と小長谷伝十郎が再建したという。


新宮神社
しんぐうじんじや

[現在地名]廿日市町新宮一丁目

藤掛ふじかけ(藤掛尾)東麓に鎮座。祭神は伊邪那岐命伊邪那美命。旧村社。社伝は文安三年(一四四六)の創建という。永正年間(一五〇四―二一)には藤掛尾ふじかけお城主小方加賀守が城内の鎮守社としたが、永禄元年(一五五八)に紀州熊野新宮の祭神須佐之男命を勧請して下平良しもへらの氏神となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「新宮神社」の解説

新宮神社

岐阜県郡上市にある神社。「那比(なび)新宮神社」とも。高賀山(こうかさん)の山岳信仰の中心地として栄え、鎌倉時代の経典、懸仏など多くの文化財を有する。スギを中心とする社叢は県の天然記念物に指定されている。

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