本願寺の東西分立に際し、慶長八年(一六〇三)浄秀が当寺(一〇代)、弟浄了が松尾本誓寺を新立住持したといい(寛文一〇年「本誓寺記」日野町志)、当寺を東本誓寺、松尾本誓寺を西本誓寺ともよぶ。寺伝によれば信田小太郎貞信(開基浄恵)は弘安一〇年(一二八七)本願寺覚如に帰依、建武三年(一三三六)覚如が
新町山と号し、真宗大谷派。本尊阿弥陀如来。
寺基はもと
平林山本誓寺と号し、真宗大谷派。本尊阿弥陀如来。
寺伝では、嘉禎元年(一二三五)親鸞の門弟是信が
浄土宗。当知山重願院と号し、本尊は阿弥陀如来。文亀元年(一五〇一)
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石川県白山市の旧松任市にある真宗大谷派の寺。山号は坂本山。松任本誓寺と通称する。寺伝によれば,養老年中(717-724)泰澄が開創,当初は天台宗に属し白山末社の神宮寺であったといわれる。開基を円政といい,越後へ赴く途中の親鸞に帰依して改宗したと伝える。一向一揆の初期には江沼郡山田の光教寺と関係があったようで,蓮如が光教寺に下した七高祖像を伝える。1531年(享禄4)に起こった享禄錯乱(加賀一向一揆)では光教寺などとともに戦い追放処分を受けたが,その後,松任城主鏑木頼信を迎えて住職とし,越前和田本覚寺の下で行動している。712年(和銅5)長屋王発願の《大般若経(和銅経)》(重要文化財)や1473年(文明5)蓮如が吉崎で開版した《三帖和讃》など文化財が多い。
執筆者:大桑 斉
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