翻訳|insecticide
農業害虫や衛生害虫を殺滅する農薬。古くは17世紀後半にタバコ粉が害虫の防除に用いられ,その後ジョチュウギク,熱帯のマメ科植物デリスなどの天然殺虫剤が用いられ,やがて有機合成殺虫剤の時代へと移行していった。
現在までに用いられてきた殺虫剤を化学構造から分類すると表のとおりである。これら殺虫剤のうちDDT,γ-BHC,ドリン剤などの有機塩素系殺虫剤は,安価でしかもたいへん有効な殺虫剤として,第2次大戦後二十数年間にわたって多用されたが,その残留性による慢性毒性の危険から,現在では大部分が製造停止,あるいは登録からはずされている。一方,有機リン酸エステル系殺虫剤として最初に開発されたTEPP,パラチオンなどは,急性毒性が強く,その有効性にかかわらず危険な殺虫剤と考えられていたが,その後の開発研究によって,低毒性の同族体,例えばマラソン,MEP,ダイアジノンなど多数が見いだされ,現在ではカーバメート系殺虫剤とともに,主要な殺虫剤として広く使用されている。カーバメート剤は有機リン酸エステル系殺虫剤に比して,殺虫スペクトルが狭いことが特徴で,水田における害虫の天敵であるクモ類に対して毒性を示さないなど優れた性質を有しており,稲作害虫のウンカ,ヨコバイ類の防除に用いられる。天然物系殺虫剤は高価のためと有効な合成殺虫剤の開発の結果,その使用は著しく減少していた。しかし,最近天然ピレスロイドをモデルとした合成開発研究が進み,ペルメトリン,シペルメトリンなどのNRDC系,フェンバレラートやエトフェンプロックスなどのきわめて殺虫力の高い薬剤が開発され,従来衛生害虫の防除にのみ用いられていたピレスロイドの農業面への利用の可能性が開かれた。
ジフルベンズロンやブプロフェジンなどの昆虫成長制御剤と呼ばれる一連の殺虫剤は,昆虫におけるキチン合成を阻害したり,幼若ホルモン活性を示し,その作用により昆虫の脱皮・変態が攪乱されて殺虫作用が発現する。この系列の薬剤には尿素構造を含むものが多い。魚釣りの餌として用いられるイソメはネライストキシンと呼ばれる殺虫成分を含んでおり,この物質の活性発現に必要な構造を含む合成薬剤カルタップ,チオシラム,ベンスルタップが開発され,これらはネライストキシン系殺虫剤と呼ばれる。イネの大型害虫など幅広い殺虫作用を示す。また鱗翅目昆虫に対する病原細菌Bacillus thuringiensisの生菌,およびそれの生産する毒素を製剤としたBT剤,マツカレハ細胞質型多角体ウイルス(DCV)の結晶を有効成分としたDCV剤など,生物由来の殺虫剤も開発,登録されている。
現在使用されている殺虫剤の多くは,昆虫の生命維持に基本的な役割を果たしている神経系や,エネルギー代謝系,体成分生合成系などに作用し,その機能を阻害することによって致死効果をあらわす。
昆虫は外部からの刺激を皮膚などの感覚器官で受け,これを電気的刺激として感覚神経をへて,中枢神経に伝達する。中枢神経系は外部からの刺激の解析,それに対する対応を決定する重要な機能を営む。中枢神経系からの運動に対する指令は運動神経系を通じて随意筋に,また内分泌腺や平滑筋への指令は交感神経系を,また,その打消し指令は副交感神経系をへて伝達される。また各神経系は軸索,シナプスからなる神経細胞の集合体で,電気的刺激は軸索を通り,シナプスの前膜で刺激伝達物質であるアセチルコリン(ある場合はアドレナリンなどの生体アミン)を放出する。この刺激物質は,次のシナプス後膜に到達して再び電気的刺激を誘起する。役割を果たしたアセチルコリンは,アセチルコリンエステラーゼという酵素の作用で加水分解され,電気的刺激を誘起する能力を失い,連続的な電気的刺激の誘起が停止される。この過程の繰返しによって刺激伝達が行われる。
γ-BHCやドリン剤は主として中枢神経のシナプスの前膜に強く作用し,多量のアセチルコリンなどの刺激伝達物質を放出させ,刺激伝達をかく乱する。DDTやピレスロイドは昆虫に反復興奮を誘起する。これらは神経軸索における電気刺激の伝達のかく乱によるものと考えられている。有機リン酸エステル系およびカーバメート系殺虫剤は,シナプスにおいて刺激伝達を終了したアセチルコリンを加水分解する酵素アセチルコリンエステラーゼの活性を阻害する。そのために,シナプス後膜に連続的電気的刺激が誘発され,正常な刺激伝達がかく乱される。ニコチノイドやカルタップはシナプス後膜部分に作用する殺虫剤である。ニコチノイドは,シナプス後膜に結合し,連続的に電気的刺激を誘発し,またカルタップはアセチルコリンのシナプス後膜への結合を競争的に阻害することが殺虫活性発現の主要な機構と考えられている。このように殺虫剤には,神経における刺激伝達の攪乱を主要な殺虫機構としているものが多い。
一方,ロテノイドは,電子伝達系を阻害することによってATPの生成を阻害する,いわゆるエネルギー代謝阻害を主要な殺虫機構とする。昆虫成長制御剤の多くは,昆虫の表皮の主成分であるキチンの生合成を阻害する薬剤である。あるものはキチン合成阻害以外に,幼若ホルモン活性を示す。これらの作用によって,昆虫の正常な脱皮,変態が撹乱され,昆虫は死に至る。これらの薬剤は一般的に幼虫期の昆虫に有効で,キチンを含まない温血動物に対する毒性は低いのが特徴となっている。
執筆者:高橋 信孝
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
害虫を防除・駆除するための薬剤。ハエやカなど衛生害虫の防除・駆除に用いられるものも殺虫剤(家庭用殺虫剤)とよばれるが、ここでは農作物を保護するために用いる殺虫剤について解説する。
[田村廣人]
農作物(樹木および農林産物を含む)を害する昆虫を防除するために用いる薬剤を殺虫剤と称している。歴史的には、人類は農耕を開始して以降、絶えず病害虫の被害に悩まされてきたが、おもな防除法は、病害退散の神事に拠(よ)っていた。日本では、江戸時代中期以降に全盛を迎え、1945年(昭和20)ごろまで「虫送り(虫追い)」神事が全国各地の農村で執り行われ「虫除け札」を農地に立て無事を祈願していた。しかし、16世紀末に記されたとされる古文書(「家伝殺虫散」)には、アサガオの種やトリカブトの根など5種類を混ぜる農薬の生成法ならびに使用の記録が存在する。江戸時代には、鯨油(げいゆ)や菜種油を田面に注ぎ、水稲のウンカ類を駆除したという記録もある。フランスでは、1781年にピエール・ジョゼフ・ビュショPierre-Joseph Buc'hoz(1731―1807)が人間・家畜・農業に害をなす多くの昆虫、ダニおよびクモの防除法を『人間と家畜などの害虫の話』として執筆している。
殺虫剤は、昆虫に毒性発現するための曝露(ばくろ)(侵入)経路により、皮膚から昆虫体内に浸透して殺虫活性を発現する接触剤、昆虫の摂食行動により口から体内に入り殺虫活性を発現する食毒剤、および殺虫剤の蒸気(ガス)が呼吸器官から体内に入り殺虫活性を発現する燻蒸剤(くんじょうざい)等に区別される。また、殺虫剤がどのような作用で殺虫活性を発現するか、つまり、殺虫剤とその標的との相互作用(作用機構)により、昆虫の神経系を作用点とする神経系作用性薬剤、エネルギー代謝阻害剤、および昆虫の生育を阻害する生育制御剤にも区別される。
このように、殺虫剤はいろいろな方法で分類されるが、化学構造の共通構造に基づいて、おもに、有機リン殺虫剤、カーバメート殺虫剤、ピレスロイド殺虫剤、ネオニコチノイド殺虫剤、ジベンゾイルヒドラジン殺虫剤、およびベンゾイルフェニル尿素殺虫剤などに分けられる。
[田村廣人]
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…また,筋肉の弛緩に用いられるクラーレ(d‐ツボクラリン)は,もともとは熱帯アメリカで矢毒として用いられていたものであり,トリカブトやアフリカのストリキノスのようなアルカロイド系の多くの矢毒が狩猟に用いられていた。 魚を捕らえるのに魚毒を流すことも世界各地で行われ,そのうちマレーシア地域で使用されるマメ科のデリス(ロテノン)は殺虫剤としても有名である。最近はDDTやBHCのような有機塩素系の合成殺虫剤の残留毒性が問題となり,ジョチュウギク(ピレトリン)など植物性の殺虫剤が再評価されつつある。…
※「殺虫剤」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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