海南(省)(読み)かいなん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「海南(省)」の意味・わかりやすい解説

海南(省)
かいなん / ハイナン

中国南端の省で、中国で第31番目に設置された一級行政区。海南島と南シナ海に散在する南海諸島のうち西沙(せいさ)諸島、中沙(ちゅうさ)諸島、南沙(なんさ)諸島から構成される。北は瓊州(けいしゅう)海峡を隔てて広東(カントン)省の雷州(らいしゅう)半島を望み、西は北部湾(トンキン湾)に臨む。南端は中国の主張によれば赤道に近い曾母暗沙(そうぼあんさ)(北緯3度51分)で、マレーシア領カリマンタン(ボルネオ)島に隣接している。省都は瓊州海峡に面する海口(かいこう)市で、海口、三亜の二つの省直轄市と7県級市、4県、6自治県からなる。面積3万4000平方キロメートル、人口760万9388(2000)。

 漢代には珠崖(しゅがい)、儋耳(せんじ)の2郡が置かれたが、当時は父系制原始共同体の時代であった。後漢(ごかん)から南北朝にかけて広東、福建から漢民族が次々と移住してきて、海南島北東部を開拓し、西沙諸島にも到達。隋(ずい)、唐のころには海南島南部沿海地方にも漢族が定住するに至った。宋(そう)代、元(げん)代には中国北部の戦乱を避けて移住してくる漢族がさらに多く、元代には漢族の人口が17万を超えた。

 元代には福州、泉州、広州との間に航路が開かれ、屯田兵(とんでんへい)も置かれた。明(みん)代には広東省の管轄下に置かれ、水稲二期作、漁業、製塩鉱業手工業、商業が発展し、清(しん)代には製糖業や錫(すず)の採取が始まり、19世紀にイギリスによるシンガポールの植民地化の進展とともに、同地に移住する華僑(かきょう)も多くなり、20世紀になると海南島でゴムの栽培も開始された。

 海南島は本土よりやや遅れて1950年4月末に解放され、海南行政区公署が設けられた。広東省に属していたが、88年に海南省が成立した。海南島はもともと中国の南端の島で、かつては封建王朝の流刑地であった。また本島の原住者であったリー族(黎族)は焼畑農耕に従事し、全体としても経済的後進地域の一つであった。しかし1960年代から各種の熱帯作物の大規模栽培が始まり、とくに「文化大革命」による経済的後退ののち開放経済の時代に入って以後、88年には全省が5番目の経済特区に指定され、外国資本に対する開放政策が取られるようになった。こうして新たな経済発展の段階に入り、儋州市洋浦港には大型の近代的港湾の建設が始まっている。

 また海南島は中国最大の熱帯作物生産基地で、ゴム、ヤシ、マンゴー、胡椒(こしょう)、コーヒーなどが42万ヘクタールにわたって栽培され、16万トンのゴムを産している。食糧作物は水稲が主で、二期作、三期作も行われるが、全体としては水利施設が不備で、食糧は自給するに至らず、サツマイモを重要な補給食糧としている。熱帯果樹、サトウキビも広く栽培される。また全島の18%が天然林で、五指山周辺に分布する。海南島沿岸以外にも広大な南海諸島の海面を有するだけに、水産資源に富み、白馬井、清瀾(せいらん)、三亜、港北など多くの漁港がある。鉱工業では石碌(せきろく)に中国でもっとも高品位の鉄鉱石を産出する露天掘鉄山がある。また鶯歌海(おうかかい)に大規模な塩田が造成され、その沖合いとトンキン湾には多量の石油と天然ガスを埋蔵する海底油田が発見されているが、近代工業は外資導入を待って開発が現実化することになろう。むしろ現在は海食崖の連なる「天涯海角」などの観光資源を生かした観光開発に力を注いでいる。

 鉄道は島の南部の三亜―昌江(石碌)間が結ばれているだけで、全島としては東、西、中の3本の自動車道路に依存するのみである。海港は現有の海口、八所(鉄鉱石積出港)、三亜の3港のほか、建設中の洋浦港があり、海口、三亜に小型の空港がある。

[河野通博]

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