淡路(市)(読み)あわじ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「淡路(市)」の意味・わかりやすい解説

淡路(市)
あわじ

兵庫県南部にある市。瀬戸内海に浮かぶ淡路島の北部に位置する。2005年(平成17)、津名(つな)郡津名町、淡路町、北淡町(ほくだんちょう)、一宮町(いちのみやちょう)、東浦町(ひがしうらちょう)が合併して市制施行、淡路市となる。北は明石海峡、東は大阪湾、西は瀬戸内海播磨灘(はりまなだ)に面し、南は洲本(すもと)市に接する。島の北端から南西方向に津名丘陵が走り、志筑(しづき)、尾崎(おさき)間に断層崖(だんそうがい)があって丘陵を分断している。明石海峡に1998年(平成10)に明石海峡大橋が開通、神戸淡路鳴門自動車道の完成により、陸路で神戸とつながった。同自動車道が津名丘陵を貫通しながら縦断、淡路、東浦、北淡、津名一宮の各インターチェンジがある。丘陵東側を東浦、西側を西浦といい、東浦海岸部は国道28号、西浦海岸部は県道31号が走り、洲本市に通じる。東浦・西浦両海岸を結んで県道71号(北淡東浦線)、県道88号(一宮津名線)などが横断している。海上交通は、明石―岩屋間に高速艇が就航している。

 785年(延暦4)藤原種継(ふじわらのたねつぐ)暗殺に連座して皇太子を廃され、淡路への配流途中で憤死した早良(さわら)親王遺骸は淡路へ送られ埋葬された。墓所を下河合(しもがわい)や仁井(にい)の地に比定する説がある。のちに早良親王怨霊(おんりょう)を鎮めるために建立された霊安寺は久野々(くのの)の常隆(じょうりゅう)寺ともいわれる。845年(承和12)には播磨国明石浜との連絡用に、岩屋浜(いわやはま)に船と渡子が置かれている。近世には阿波徳島藩領で、江井(えい)浦の住田家が廻船問屋(かいせんどんや)として活躍。淡路瓦が地場産業となった。東浦は地理的条件を生かし、大阪湾岸の諸都市に漁獲物や竹、割木など原料・燃料を供給し、それら諸都市は出稼ぎ先ともなっていた。

 1995年(平成7)1月、当時の淡路町岩屋沖を震源として兵庫県南部地震が起き、北淡町を中心に死者53名、重軽傷者1126名、全壊家屋3072戸の大被害を受けた。震源となった野島断層(断層露出部分の一部)は国指定天然記念物。その後、明石海峡大橋架橋により淡路島リゾート計画構想や大規模開発事業などが進められている。温暖な気候を利用し、東向きの傾斜地には温室団地が広がり、カーネーションなどの花の栽培が盛ん。江戸時代末期から昭和にかけて志筑に本拠を置き、淡路人形を使って活躍した淡路源之丞座(げんのじょうざ)伝来の資料(人形かしら187点ほか)は、姫路市の兵庫県立歴史博物館に収蔵されている。面積184.32平方キロメートル、人口4万1967(2020)。

[編集部]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

潮力発電

潮の干満の差の大きい所で、満潮時に蓄えた海水を干潮時に放流し、水力発電と同じ原理でタービンを回す発電方式。潮汐ちょうせき発電。...

潮力発電の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android