大化前代の職業部のうち,その技術の軍事的重要性のゆえに解放されず,令制諸官司に強力に掌握された集団。大蔵省・内蔵寮百済手部(くだらてべ)・百済戸,造兵司雑工戸(鍛戸(かぬちべ)・甲作(よろいつくり)・靱作(ゆぎつくり)・弓削(ゆげ)・矢作(やはぎ)・鞆張(ともはり)・羽結(はゆい)・桙刋(削)(ほこけずり)),典鋳司雑工戸,鍛冶司鍛戸,筥陶司筥戸(はこべ),左右馬寮飼丁および所属不明の鞍作(くらつくり)等からなる。大宝官員令別記によると総数は1603戸を数え,おもに1戸より1丁が年に6ヵ月間または臨時に,所属官司に上番して作業に従事するが,筥戸のように一定額の製品を貢納するものもあった。この労働に対する代償として戸内の課役の全部または一部を免除され,兵士にも充てられなかった。雑戸の多くは朝鮮半島からの渡来人を組織した職業部民に起源をもち,京畿内および伊賀,伊勢,尾張,近江,美濃,丹波,播磨,紀伊等の近国に居住した。その名称は唐制の賤民雑戸に由来するが,日本では法的に賤民とはされていない。しかし公民や品部とは異なる特殊な雑戸籍によって把握され,官司に直属するという方式がとられたため,賤視の風潮が生じ,良賤の中間の準賤民的扱いをうけた。このためはやくより雑戸の公民化をもとめる動きが見られ,744年(天平16)全雑戸の解放が行われた。これは大仏造立にかかわるものと考えられる。この大工事には大量の雑戸労働力を必要としたが,聖武天皇は大仏造営に民衆の〈知識〉すなわち自発的参加を期待したので,公的労働力としての雑戸の投入ではなく,解放雑戸の自発的参加という形式を装わせたのであろう。しかしその労働力はその後も官司で必要とされたので,大仏完成とともに再び旧官司に勤務するようになる。ただし雑戸としてではなく,雑戸籍に付貫されない品部的扱いとなっている。その後,律令制解体の危機の中で品部の停廃がすすむが,旧雑戸の鍛冶戸,雑工戸等は軍事的重要性から廃されず延喜式制まで存続している。しかしそのころの実体はすでに官司の資養農民的存在に変質している。
→馬飼部 →鍛冶部 →鞍作部
執筆者:新井 喜久夫
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律令制下,特定官司に所属した軍事関係を主とする技術者集団。大化前代の職業部民のうち,その技術の重要性から解放されずに再編成されたもので,課役が減免された。百済手部(くだらのてひとべ)・百済戸・雑工戸(ざっこうこ)・鍛戸(かぬちこ)・筥戸(はここ)・飼戸・鞍作などがあり,大宝令の官員令別記によればその総数は1603戸。雑戸籍に登録され,特殊な姓を付されるなど一般公民と区別され,賤視されることもあった。8世紀初めからしだいに解放され,9世紀中にはほぼ実体を失ったと考えられる。
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…官戸,公奴婢,家人,私奴婢は,一般に手工業や農業に従事する労働奴隷ではなく,それらの補助的労働や雑役に従事する家内奴隷であった。手工業部民の一部は律令制では賤民に準ずる身分の雑戸(ざつこ)に編成されたが,8世紀半ば以降解放されていった。賤民は同身分間での婚姻しか認められず,良民との通婚も禁止された。…
※「雑戸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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