翻訳|sewerage
人間の生活と生産活動に起因して生ずる汚水,すなわち家庭の台所や風呂場などからの雑排水,水洗便所排水,工場・事業場(学校,官庁,病院,駅,オフィス,公共施設など)からの排水および降雨,降雪によって流出する雨水,融雪水を総称して下水といい,下水を排除するための管路などの構造物,中継ポンプ場,処理施設などを総称して下水道と呼ぶ。下水道は,最終的には下水を安全な形で海や川などの公共水域に排出して水質環境の保全を図るものであり,したがって灌漑排水施設や屎尿(しによう)浄化槽は含まれない。
下水道は市街地内の雨水を排除する機能をもっており,とくに日本のように降雨量の多いところでは排水路とともに浸水防除に欠くことのできない位置を占めている。また家庭雑排水や工場・事業所などの排水の排除は,これらの排水の住宅地や都市内の停滞による病害虫や悪臭の発生を防いで良好な居住環境を保全する役割を果たしており,さらに便所の水洗化によってより快適な生活環境づくりを可能にする。下水道が都市内の汚水を集めて単に海や川に排除するだけのものであれば,都市への人口集中や工場の生産活動増大に伴う下水中の汚濁物量の増加により,公共水域の水質汚染が進行することになる。このために下水道では終末において,下水を安全な形にして公共水域に排除するための処理(下水処理という)を行うことが基本となる。この下水処理を行うことによって下水道は初めて公共水域の汚染防止の機能をもつのであり,下流の上水道源,農業用水,水産用水,工業用水を保全するばかりでなく,水泳,魚釣りなどのレクリエーションや自然環境保全も可能となる。また処理下水を工業用水,雑用水道,農業用水や河川水路の維持用水として積極的に再利用することで,新たな水資源を生み出すという側面ももっている。下水道の効果として見落とせないもう一つの重要な点は,市街地内における汚水の排除と終末の下水処理によって,コレラ,腸チフス,パラチフス,赤痢などの水系の消化器系伝染病が予防されることである。
日本の下水道は下水道法により公共下水道,流域下水道,都市下水路およびその他の公共下水道に分類されている。さらにこれらとは別に,団地や住宅開発地では家庭雑排水と水洗便所排水を併せて処理する(この方式を合併処理という)施設をもった私的下水道も存在し,この場合,処理水は最寄りの排水路か河川に放流される。
公共下水道は単独の地方公共団体が建設,管理する下水道で,主として市街地(都市計画区域)の下水を排除し終末処理場をもつ形態と,流域下水道の下水道幹線に接続する形態がある。前者の場合,処理水は排水路や河川に放流される。流域下水道は,二つ以上の市町村の区域にまたがる下水道で,それぞれの市町村の公共下水道が接続される下水道幹線,中継ポンプ場と終末処理場からなり,一般に下水排除区域が大きくなる。公共下水道と流域下水道は機能的には同じであるが,後者は下水道区域を市町村の行政区域内に限定せず,河川流域の形態に即して下水道区域を広く設定するところが特徴で,管理も市町村と都道府県が協力して新しい組合を結成して行う。都市下水路は,地方公共団体が管理し,主として市街地における下水を排除するための施設であるが,あくまで排水が目的であるため終末処理場はもたない。したがって下水道法では下水道の一種類として規定されているものの,機能的には不完全な下水道であり,終末処理場をもつ下水道が整備された後は主として雨水路として利用される。そのほかの公共下水道としては,主として工場・事業場の排水をまとめて処理する特定公共下水道がある。また,湖沼の環境保全や農山漁村における排水対策として,人口規模の小さい集落(1000人以上)に対しても特定環境保全公共下水道が実施されている。さらに集落の規模が1000人より小さい場合に建設省が中心になり小規模下水道の整備が進められており,一方,農林水産省も農村下水道の建設を農業基盤整備の一環として進めている。これらは都市型公共下水道で整備できない地域を対象とするものである。
前2900年から前2700年ころにメソポタミアにおいてシュメール人による世界最初の文明が発達した。下水道の歴史もこのころにまでさかのぼるといわれているが,遺跡発掘からは,前2200年ころのメソポタミアにおいてアッカド人が築造したテル・アスマル宮殿に水洗便所と浴室,下水管が完備していたことが明らかにされている。下水管は煉瓦造で接合部内側にアスファルトを使用して漏水を防ぎ,またマンホールの存在から点検清掃をしていたことも推測される。一方,前2400年ころにインダス川流域に栄えたモヘンジョ・ダロやハラッパーの遺跡には,井戸を用いた給水施設,煉瓦を組み合わせた水浴施設,各家庭から出る下水を流すための下水用土管,煉瓦で築造されマンホールを備えた道路横の下水本管が発見されており,優れた都市計画に基づく都市の発達と公共性に富んだ都市行政の整備がうかがい知れる。
一方,優れた都市文明が発達したにもかかわらず,ギリシア時代のアテナイなど諸都市に見るべき下水道が残されていない点は興味深い。古代ローマ時代になると系統的な都市づくりが行われたために,ローマ帝国領内の植民都市も含めて下水道が発達した。もっとも有名な下水道はローマに現存するクロアカ・マクシマCloaca Maximaと呼ばれるもので,前600年ころ都市建設に伴い大下水溝として築造され,前5世紀からアーチ状の有蓋式下水道となった。高さ約4.2m,幅3.3mもあり,その後いくども修築されて現在でもローマ市下水道の一部として利用されている。古代ローマの諸都市では,計画的な都市建設において上水道と下水道は基本的都市施設としての位置づけがなされていたが,ローマ帝国の滅亡とともに,諸都市の行政機能が停止していっさいの公共事業が衰微し,都市環境は悪化していった。そして疫病が流行する中世の暗黒時代に突入した。
近代的下水道の勃興を促したものに,産業革命とそれに伴う都市の膨張がある。イギリスは早くから工業化を進めたこともあり,近代下水道の出発は19世紀のイギリスに見られる。当時都市に集中した新しい階級の労働者は,きわめて劣悪な環境で生活していた。マンチェスターでは下水道がないため道路の水はけが悪く,さらに市の中心部では380人の住民に対し便所が一つしかないというありさまで,つねに汚水や汚濁物が道路にあふれていた。市内の河川には染色工場排水,ガス会社排水,皮革工場排水が直接流れ込み,真っ黒に汚染されていた。イギリスの他の工業諸都市もほとんどがこれと同様の状況にあった。ロンドンでは18世紀末に現在と同じ形態の水洗便所が発明され,汚水だめに直結してくみ取りを行ったが,量が多くくみ取りが困難となっていた。そこで1815年に汚水だめから排水溝への直接放流を許可したが,そのことで家庭内の汚物は排除できたものの,雑排水と屎尿がテムズ川に放流されたため水質汚染を悪化させ,またふたのない排水溝は不衛生な環境を改善するのには何ら役だたなかった。
1831年のコレラ大流行を契機として,医師E.チャドウィックの努力で48年公衆衛生法Public Health Actが制定され,ようやく下水道,上水道などの整備事業が開始された。そして60年から75年にかけて土木技師バザルジェットJoseph William Bazalgette(1819-91)の指導で,ロンドン市内の家庭雑排水,水洗便所排水と雨水をともに排除する合流式下水道が整備された。しかし,下水をテムズ川両岸に沿って,30kmの幹線きょで集め下流で集中放流する方式をとったことから,下水道の整備が市街地に広がるにつれて下流の水質汚染が進行し,農業にも深刻な影響を与えた。このため下水処理の必要性が認識され,沈殿処理が始まった。
一方,パリでも1808年ころには20km以上の下水きょが整備されていたが,これらはすべて開きょ式で河川に直接放流するものであった。ここでも31年のコレラ大流行が契機となり,G.E.オスマンによる50年代からの大規模なパリ市街地の都市改造の一環として,水道本管とともに延長400kmに及ぶ下水道が建設された。パリの下水道は,汚水と雨水,それに道路上のごみも洗浄により排除する方式で,これは今日でも特徴となっている。また下水排除のほかに,上水道管,ガス管などの共同地下埋設を兼ねており,幹線では幅6m,高さ5mの大断面をしている。
ドイツでは1842年にイギリス人のリンドレーWilliam Lindley(1808-1900)の指導の下でハンブルクで下水道建設が始まった。またミュンヘンではM.vonペッテンコーファーの主張で58年から下水道建設が始まり,ベルリンでも同じころ建設が始まった。アメリカでは1801年にフィラデルフィアで下水道が最初に設置され,57年にニューヨークのブルックリン地区に,1年遅れてシカゴ市に建設され,60年までにはアメリカの主要な12都市で公共下水道が整備された。
執筆者:松井 三郎
住居のまわりに溝を掘り,排水することはすでに縄文時代から行われていた。古代の宮都になるとそれがさらに計画的に整備され,小溝,大溝を組み合わせた排水路網がつくられた。近世になると城下町では水道施設が発達したこともあって,上水道と下水道を分離して設け,上水へ下水が混入しないようにするために下水の施設やその管理がいっそう進んだ。鳥取では1657年(明暦3),古川筋大溝水通を埋めることを禁じ,99年(元禄12)には〈城下の水抜悪しきため〉に水筋をさらうことを命じている。会津若松の天寧寺町では,1685年(貞享2)の〈天寧寺町風俗帳〉によると,家々の〈遣溝〉が西のほうにあるために,南側では東南に〈追垣〉して屋敷内に穴を掘り,これに下水をためているが,北側では東北に〈追垣〉して,〈遣い水〉は北西へ排水路をつけ,裏の小川へ流していた(《会津風土記・風俗帳》巻二)。農村でも武蔵国多摩郡小川村(現,小平市)では,飲料水として玉川上水の分水を屋敷の裏手に引き,下水路は,表通りの青梅街道の中央に1筋つくって,下水が用水路に流れ込まぬようにしていた。江戸では17世紀半ばの正保・慶安のころ,〈下水ならびに表の溝〉〈表裏の下水〉などの管理について,頻繁に町触が出されている。また表通りに面した家は3尺おいた前に〈雨落ちの下水〉を掘り,ふたをして,往来のものが落ちないようにと命じている。このような表の溝,表裏の下水,雨落ちの下水は,江戸の町々が建設されるときにその設置が考えられたのであった。こうして下水は,雨落ちの下水→小下水→大下水と集められて,堀や川へ排水された。下水の管理については町々へ,下水のふたをすることとともに,1町の角に杭を打ちごみためをつくり,たまったごみを定期的に除去すること,下水のさらえをすることなどを命じ,また,下水の上に家,蔵,小屋,雪隠(せつちん)などをつくることを禁じている。江戸幕府は,こうした下水支配のために初め下水奉行を設置したが,1666年(寛文6)に廃止し,以後は下水の埋まった場合など,そのたびごとに奉行を任命することにしている。さらに後になると道奉行がこれを担当した。下水の管理は町々の負担であったが,近世中期以降になると関連する町々が下水組合をつくり費用を負担した。
執筆者:伊藤 好一 明治に入って1872年(明治5)東京銀座の大火後,街路修築と同時に両側の下水溝を西洋風に改造することが行われたが,下水道の必要性が認識されるようになったのは,77年の東京におけるコレラの大流行以降のことである。オランダ人技師J.デ・レーケの意見によって,84-86年東京神田鍛冶町などに分流式下水道を建設したのが日本の近代下水道の最初であり,煉瓦,または陶管による延長約4000mが敷設された。また同じころに横浜外国人居留地にも煉瓦造の下水道が敷設された。日本の技術者による最初の近代的下水道は,中島鋭治(1858-1925)の計画で99年に着工し1913年に完成した仙台市の合流式下水道である。デ・レーケの後任技師イギリス人のバルトンWilliam K.Burton(1855-99)は分流式下水道の建設を指導したが,中島鋭治が合流式下水道を採用してからは,広島(1908着工),大阪,名古屋,東京(いずれも1911着工)の都市に続いて函館,岡山,明石,松山,会津若松,福島,大分の諸都市が合流式下水道を建設していった。以後,第2次世界大戦前の日本では合流式が主流となった。日本で最初に採用された下水処理は22年に東京三河島汚水処分場の散水ろ床法によるもので,31年には名古屋の熱田,堀留の両処理場で活性汚泥法(当時,促進汚泥法と呼ぶ)が適用された。
コレラその他の伝染病は明治時代を通じて全国で数十万人の死亡者を出したが,これに対して1890年にまず水道条例が制定されて上水道の普及が図られ,また伝染病に対する細菌医学の進歩もあって死亡率は激減した。しかしながら上水道と一体に整備されるべき下水道の普及は,長与専斎,後藤新平,バルトンらの努力にもかかわらず進まず,1900年にようやく下水道法が制定されたものの,明治,大正,昭和を通じての富国強兵政策により,第2次大戦前の日本では下水道建設への社会資本投資は不十分であり,40年までに40都市が建設着工,処理場を有したもの6市1町にすぎなかった。
第2次大戦が終わり,復興,高度経済成長期を経る中で全国の河川の汚染が急速に進行したことを契機に,下水道建設の必要性が強く認識されるようになり,その結果,58年下水道法改正を経て,63年の第1次下水道整備5ヵ年計画以降建設が推進され,下水道人口普及率は,93年現在50%まで上昇した。しかし人口普及率はイギリスではすでに1976年の時点で97%にまで達しており,その他の西欧諸国でも70%を超えている国が多く,日本の普及率の低さは際だっている。
汚水と雨水をまとめて排除し下水処理場まで運ぶ方式を合流式下水道と呼ぶ。この方式では家庭汚水と宅地内雨水を宅地内で,また事業場における排水と敷地内の雨水をその敷地内で,それぞれ1本の排水管にまとめて収集して汚水ますに排水し,道路や歩道からの雨水は側溝を通って雨水ますに流入する。公共下水道として建設される部分は汚水ますと雨水ますから下流の管路,中継ポンプ場,雨水吐き,下水処理場である。下水は自然流下で収集することが原則であるが,途中で自然流下が困難な場合に中継ポンプ場が必要となる。合流式では雨水量が晴天時汚水量の2~3倍を超えたときには,その超えた分の下水量を雨水吐きを通じて直接公共水域に放流し残りが処理場に導かれる。したがって,降雨量が多いときには下水が公共水域に直接流入することを避けられず,最近ではとくに都市域で雨天時の直接放流による水質汚濁負荷量が無視できなくなっており,このため雨天時には処理能力を超えた下水の一部分を貯留池に一時的に貯留して処理する方式の採用など,見直しが必要となっている。
家庭排水や事業場排水を収集して処理する一方,事業場敷地内・宅地内雨水と路面排水を別の系統で収集して公共水域に排水する方式を分流式下水道と呼ぶ。この方式では汚水は全量下水処理場に導き処理されるが,雨水はそのまま放流していることから,道路,側溝,屋根などからの汚濁物質の公共水域への流入が無視できず,雨水処理対策の問題が世界の諸都市で発生している。
合流式と分流式の長所,短所を比較すると,建設費の面からは合流式下水道のほうが有利であるが,下水の処理の面からは問題点が多い。日本では第2次大戦前に整備した都市は合流式が多く,戦後新しく下水道整備5ヵ年計画に基づく整備地域ではほとんどの都市で分流式下水道を採用している。世界の諸都市でも,気候,地域水環境,歴史的経緯などにより,分流式と合流式のいずれを選択するかはさまざまであり,また都市の一部が合流式で残りが分流式,あるいはその反対の例もある。合流式であれ分流式であれ,工場排水がそのまま下水道に流入すると,下水道管路や中継ポンプ場を損傷したり,終末処理場の処理機能を妨げたり,処理場からの処理水質を放流水基準に適合させることが困難になる場合が生ずる。このようなおそれのある排水は前処理を必要とし,水銀,カドミウム,ヒ素,鉛,シアンなどの有害物質やpH(酸,アルカリ),油分,水温,BOD5(生物化学的酸素要求量),COD(化学的酸素要求量)などの水質項目について下水道受入基準が下水道法により設定されている。
下水処理の基本は,水中にある汚濁物質を分離除去して水を清澄で安全なものにすることである。終末処理場に流入した下水は沈砂池,最初沈殿池で土砂類および細かい粒子が沈殿除去され,また大きな浮遊物は沈砂池の前か後ろに設置したスクリーンで除去される。この段階までの処理を1次処理と呼び,1次処理を施したうえでさらに下水中の有機性汚濁物質を,微生物によって摂取分解して水と炭酸ガス,アンモニアなどの無機物に変換する(生物学的処理)。生物学的処理方法としては,活性汚泥法,散水ろ床法,回転円板法,浸積ろ床法などがあり,処理水を最終沈殿池に導き主として微生物で構成された汚泥と上澄水とに分離する。この段階までを2次処理と呼んでいる。日本では2次処理までを高級処理としているが,放流先の公共水域によってさらに進んだ処理が必要になってくる。例えば,瀬戸内海,東京湾,伊勢湾などの閉鎖性水域でCOD総量規制が実施されたために,個々の処理場によってはよりきびしいBOD5,COD基準が適用される。また湖沼の富栄養化対策として,下水中の窒素やリンの除去が必要となっている。このような場合,2次処理の段階でBOD,CODを低減させるのと併せて,窒素,あるいはリン除去が行える生物学的処理法を採用するが,さらに3次処理,あるいは高度処理と呼ばれる高度の処理が必要となる場合も生じている。
最初沈殿池と最終沈殿池で発生した汚泥は,濃縮,嫌気性消化(嫌気性微生物による有機物分解とメタンガスなどの発生),脱水,焼却,埋立てという順序で処理処分される。下水道整備が進むとともに下水処理から発生する汚泥量が増加して汚泥の処理処分問題がますます重要になってきている。嫌気性消化の際に発生するメタンガスの回収による発電で下水処理場消費電力の1~2割程度まかなえ,欧米では古くからこの方式の実用化が進み,近年日本でも研究開発が進み実用化が試みられている。脱水汚泥を農業利用に還元する方法も焼却埋立てとともに重要となっており,一部実施されているものの,農業還元を長期間実施した場合,汚泥中の主として重金属が栽培植物に与える影響(とくに亜鉛,銅,ニッケルなど)や,食物として人体に与える影響(カドミウムなどの金属)についても注意していく必要がある。
→下水処理
下水道の計画を立案するにあたっては,まず下水道の整備地区を定める。一般に都市域を対象とする下水道計画では,20年くらいの将来人口増を予測し,次に下水道計画区域を分流式,合流式のいずれの方式で整備するか選定し,家庭汚水量,事業場排水量,雨水量を算定する。さらに終末下水処理場の位置の決定,中継ポンプ場,雨水吐き,排水ポンプ場の位置,施設の規模,下水処理方式などを定める必要がある。汚水量はおおむね上水給水量と一致させるのが基本であるが,これに工場・事業場排水量を加算し,そのほか地下水などの浸入水量も含めて算定する。ただし,都市域では昼間人口移動があり,観光地では季節人口変動も勘案する必要がある。工場排水量の将来予測はさまざまな要因が関与して困難であるが,産業分類に従い業種ごとの製品出荷額に対して使用する用水量と排水の水質を調査し,統計的に算出した数値を利用する。さらに県や市町村単位の工業出荷額の予測値に基づき,用水原単位(出荷額100万円当りの1日使用水量)を乗じて推定する方法が一般的に採用されている手法である。雨水量は,降雨量と雨水排除対象となる地域の排水面積に流出係数を乗じて求められる。想定する降雨量が実際より小さいと下水道の排除能力が不十分となってしまい,浸水を生ずる。過去には3~5年の確率年数に相当する降雨を対象にしていたが,最近では10年確率年数に相当する降雨を対象にし,降雨量の計算基礎となる降雨継続時間を5~10分間,換算降雨強度100~150mm/h程度を使用する場合が多い。流出係数は土地利用の形態に対応して定められるが,密集した商業地域や住宅地域では0.80程度,庭園をもつ高級住宅地域や畑地のある郊外地域では0.35程度になる。
日本の下水道が抱えている問題は非常に多い。一つは人口普及率が低いため引き続き建設投資が必要なことであるが,1982年度時点で,普及率を1%増加させるのに約1兆円が必要とされており,国および地方公共団体の財政負担はますます大きくなっていく。また人口密度の高い市街地を対象とする都市型下水道を完成しても,2000年で人口普及率70%程度の予測にとどまり,欧米諸国と比較しても,また都市計画中央審議会の1979年答申で示している普及率90%を実現するには,農山村,漁村などの小集落を対象とした小規模下水道の普及が必要となっている。さらに下水処理開始とともに維持管理コストが増大し,これらの節約低減のために省エネルギー,創エネルギーを基本とする新技術開発が要求されている。また閉鎖性水域の富栄養化対策として,窒素・リン除去,COD低減の高度処理導入が必要となっており,あわせて雨水排除による非特定汚染源の対策も重要となっている。
流域下水道においても,下水排除区域が大規模になることから,管理運営(複数の自治体間の協力体制,費用負担の公平化など)の問題が生じてきており,さらに流域内の水を上流で上水道として取水,利用し,その排水を下水道として人工排水系統を通して流域下流部で河川に戻すことから,河川本流の低水維持水量が減少する場合も生じている。この場合,流域の総合的水資源管理と流域下水道計画の調整が重要となり,必要ならば貴重な水資源の有効利用という観点からも下水処理水の再利用を積極的に進めねばならない。
下水処理水の再利用としては,工業用水としての利用(東京三河島処理場,名古屋千年処理場)や,ビル内における雑用水道としての利用,あるいは処理水のパイプ輸送による環境保全(多摩川上流処理場による玉川上水復元)などの例もあるが,全体から見ればその量はわずかなものにとどまっている。また下水処理量の増加とともに発生汚泥の処理処分もますます深刻な問題となっており,農業還元利用を推進する一方,焼却処理におけるエネルギーの効率化(金沢市などにおける都市廃棄物との混焼の例)や,焼却灰とさらに高温燃焼した焼却溶融物を建設材料などに有効利用することが,今後の技術課題として残されている。
執筆者:松井 三郎
下水道の整備を図ることにより,都市の健全な発達と公衆衛生の向上,公共用水域の水質の保全に寄与することを目的とする法律。流域別下水道整備総合計画の策定について定めるほか,公共下水道,流域下水道,都市下水路の設置管理の基準などを定めている。旧下水道法(1900公布)に代えて,1958年公布,70年に下記の大幅改正がなされた。
公共下水道とはおもに市街地における下水を排除,処理するために原則として市町村が設置管理する下水道で,終末処理場を有するもの,または流域下水道に接続するものであり,かつ汚水を排除すべき排水施設の相当部分が暗きょである構造のものをいう。公共下水道の供用が開始された場合,住民は使用料を払って(20条)下水道を利用しなければならず(10条),くみ取り便所を水洗便所に改善しなければならない(11条の3)。しかし,実際には下水道に接続しない者も少なくない。水質汚濁防止法で推定する特定施設は有害物質を処理したうえで下水道に排水することになっている(12条の2)。しかし,下水処理場は工場が暗やみにまぎれて流す重金属を処理できず,そのまま河川,海に放流してしまうので,かえって汚染源になっているとの批判が出ている。住民は公共下水道設置により利便を受けるとの理由で受益者負担金を徴収される(都市計画法75条)。これに対する反対運動も活発になっているが,判例上は適法とされている。都市下水路は市街地における下水排除のために原則として市町村が管理している下水道(公共下水道,流域下水道を除く)のうち特定のものをいう。流域下水道とは2以上の市町村の区域における都市下水路,公共下水道を受けて下水を排除処理するもので,原則として都道府県が管理する。大規模であるため完成までに時間と費用がかかると批判されている。
執筆者:阿部 泰隆
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
下水を排除する構造物、中継ポンプ場、処理施設などの総称であり、最終的には公共水域に排出して水質環境の保全を図るもの。灌漑(かんがい)・排水施設や屎尿(しにょう)浄化槽は含まない。人間の生活と生産活動とに起因する汚水および雨水や融雪水の総称が下水であり、汚水は家庭雑排水、水洗便所排水と工場、事業場(学校、官庁、病院、駅、事務所、公共施設など)の排水を含む。
[松井三郎]
下水道は都市域内の雨水を排除する機能をもち、降雨量の多い日本では排水路とともに浸水防除に欠かせない位置を占める。また、家庭雑排水や工場、事業所などの排水が住宅地や都市内に停滞するとカやハエなどの発生源となり、悪臭を発し居住環境を悪化させる。さらに快適な生活環境づくりには屎尿の水洗化が必要とされ、下水道はこれらの汚水をまとめて排除する機能をもつ。
都市への人口集中と工場の生産活動の増大に伴い公共水域に排出される汚濁物質量が増加し、水質汚染が進行したために下水道の終末において下水処理が行われている。下水道が公共水域の汚濁を防止することにより、上水道源、農業・水産・工業用水を保全するのみならず、水泳、魚釣り、ボート遊びなどのレクリエーションや自然環境保全も可能となる。また、処理下水は、工業用水、中水道、農業用水や河川水路の維持用水に再利用される。下水道の見落とせないもう一つの効果は、都市内における汚水の排除と終末処理とが、コレラ、腸チフス、パラチフス、赤痢などの消化器系伝染病を予防していることである。
[松井三郎]
最古の下水道は紀元前3000年ごろにまでさかのぼるといわれる。南メソポタミアのアカディアン宮殿の遺跡で発見された下水道は開渠(かいきょ)で、石とれんが造である。同時代のインダス川流域のモヘンジョ・ダーロ都市遺跡では整然とした都市計画が行われ、道路両側にれんが造の下水道が残されている。下水溝の一定間隔にマンホールを設置した跡がみられ、水洗便所排水と家庭雑排水を集める汚水管と雨水を集める雨水管とを別にした分流方式をすでに実現していた。
ローマ時代には系統的な都市づくりが行われ、ローマ帝国領内の植民都市をも含めて下水道建設が発達した。もっとも有名な下水道は前616~前578年にフォーラム谷に建設されたクロアカ・マキシマCloaca Maximaで、これは半円形アーチの巨大な石造管渠であり、現在でも雨水排除下水管として利用されている。古代諸都市の建設において下水道は最初から重要視されていたが、ローマ帝国滅亡とともに諸都市の衛生環境はまったく顧みられなくなり、疫病が流行する中世の暗黒時代に入った。
[松井三郎]
近代的下水道の勃興(ぼっこう)を促したものに産業革命とそれに伴う都市の膨張がある。イギリスが早く工業化を進めたこともあり、近代下水道の出発はイギリスにみられる。都市に集中した新しい階級の労働者は、きわめて劣悪な環境で生活していた。マンチェスターでは下水道がないので道路の水はけが悪く、市の中心部で380人の住民に対し便所が一つしかなく、汚水や汚濁物が道路につねにあふれていた。市内河川は、染色工場、ガス会社、皮なめし工場などからの排水で真っ黒に汚染していた。イギリスの工業諸都市のほとんどがこれと同様の状況にあった。1831年のコレラ大流行を大きな契機に医師チャドウィックEdwin Chadwick(1800―90)の活躍により公衆衛生法Public Health Act(1848)が制定され、上下水道などの事業が開始された。ロンドンは水洗便所を普及させて、家庭汚水、工場排水、雨水をともに排除する合流式下水道を技師バザルジェットJoseph Bazalgette(1819―91)の指導で整備したが、下水をテムズ川に沿って遮集し下流で集中放流する方法であったために、整備が市街地で広がるにつれ、下流の水質汚染が進行し、そのため薬品沈殿の下水処理が必要となった。
パリの下水道もロンドンと同じくコレラ流行の結果、1833年に建設に着手した。ドイツではハンブルクの下水道建設が1842年の大火後に始まった。アメリカでは1801年のフィラデルフィア、57年ニューヨークのブルックリン地区の建設が最初である。
[松井三郎]
日本では古くから屎尿を農業肥料として活用する方法が発達しており、また江戸時代までの諸都市では用排水路が比較的整備され、河川の水質汚染も顕著ではなかったので下水道建設が遅れた。近代化とともに東京、大阪など諸都市の人口増加が急速に進み、1872年(明治5)東京・銀座の大火後、街路修築と同時に、街路両側の下水溝を西洋風に改造した。1877年に東京にコレラが大流行して下水道の必要性が認識され、1884~1886年にオランダ人技師デ・レーケJohannes De Rijke(1842―1913)の意見により東京・神田鍛冶(かじ)町などに分流式下水道を敷設したのが日本の近代下水道の最初である。同じころに横浜外国人居留地にもれんが造下水道が敷設された。コレラその他の伝染病は明治時代を通じて全国で数十万人の死亡者を出したが、これに対して1890年に水道法が制定され、上水道の普及が図られた。伝染病に対する細菌医学の進歩もあり、これらの結果、死亡率が激減したが、上水道と一体に整備されるべき下水道の普及は、長与専斎(ながよせんさい)、後藤新平、イギリス人技師バルトンWilliam K. Burton(1855―1899)らの努力にもかかわらず進まなかった。下水道法の制定は1900年(明治33)のことである。
日本の技術者による最初の近代的下水道は、仙台市において1899年に着工し1913年(大正2)に完成した。このころ広島(1908年着工)、大阪、名古屋、東京(いずれも1911年着工)の諸都市も建設を始めた。日本におけるもっとも古い下水処理は1922年の東京・三河島処理場の散水濾床(さんすいろしょう)法によるものである。1930年(昭和5)名古屋の堀留と熱田両処理場は活性汚泥法(促進汚泥法)を初めて日本で適用した。バルトンの当初の下水道計画は分流式下水道であったが、中島鋭治(1858―1925)が合流式に改めて以後、函館(はこだて)、岡山、明石(あかし)、松山、会津若松、福島、大分などの諸都市は合流式下水道を建設した。しかし、明治の富国強兵政策、大正・昭和の軍事優先の政策により、下水道建設への社会資本投下は不十分に終わった。1940年までに40都市が建設着工、処理場をもつのは6市1町であった。
第二次世界大戦後の復興と高度経済成長とは全国河川の水質汚濁を急速に進行させ、それを契機に下水道建設の必要性が認識されるようになった。下水道法改正(1958)、「第一次下水道整備五箇年計画」開始(1963)、公害対策基本法(1993年環境基本法制定に伴い廃止)をはじめ水質汚濁防止法の制定(1970)を経て、1994年(平成6)には下水道処理人口普及率は50%を突破、「下水道整備五箇年計画」は1996年度より「第八次下水道整備七箇年計画」に改定された。さらに2003年(平成15)からは社会資本整備重点計画のなかに下水道の敷設が組み込まれ、普及率は2016年度末には78.3%(約9982万人)にまで上昇した。しかし、大都市と中市町村とは格差があり、人口5万人未満の市町村の普及率は同年度末で50.2%にとどまっている。
[松井三郎]
汚水と雨水とをまとめて排除し下水処理場へ運ぶ方式を合流式下水道という。この方式では、雨水量が晴天時汚水量の2~3倍を超えたとき、超えた下水を雨水吐きを通じて直接公共水域に放流し、残りを処理場に導く。しかし都市域で雨天時の直接放流による水質汚濁負荷量が無視できなくなり、合流式下水道の見直しが必要となっている。たとえば大阪市では、初期雨水を雨水滞水池で沈殿処理している(平野、市岡処理場)。汚水と雨水とを別々に排除し、汚水を全量下水処理場に導く方式が分流式下水道であるが、雨水をそのまま放流すると道路、側溝、屋根など非特定汚染源による汚濁負荷量が増大し、雨水処理対策の問題が世界の諸都市で発生している。しかし、その対策は遅れているのが実情である。
工場や事業場から汚水を下水道に排出する場合、下水道施設を損傷したり、終末処理場の処理機能を妨げたり、処理場からの処理水質を放流水基準に適合させることが困難になるおそれのある汚水は、前処理(除害施設の導入)が必要である。たとえば水銀、カドミウム、ヒ素、鉛、シアンなどの有害物質やpH(酸、アルカリ)、油分、水温、高BOD(biochemical oxygen demandの略、生物化学的酸素要求量)、高COD(chemical oxygen demandの略、化学的酸素要求量)などの水質項目についての下水道受入れ基準が下水道法により設定されている。
[松井三郎]
終末処理場に流入した下水中の土砂類や細かい粒子は、沈砂池および最初沈殿池で沈殿除去される。ここまでを一次処理とよぶ。さらに下水中の有機性汚濁物質に微生物を利用した生物学的処理を施す。処理方法には活性汚泥法、散水濾床(ろしょう)法、回転円板法、浸積濾床法などがあり、処理水を最終沈殿池で微生物汚泥と分離する。ここまでを一般に二次処理とよぶ。日本では二次処理までを高級処理としているが、放流先の公共水域によってはさらに進んだ処理が必要になる。たとえば瀬戸内海、東京湾、伊勢(いせ)湾などの閉鎖水域でCOD総量規制が実施されたために、個々の処理場によってはより厳しいBOD、COD基準が適用され、富栄養化対策として窒素、リンの除去が必要となる。このような場合、三次処理(高度処理)とよばれ、琵琶(びわ)湖の流域下水道処理場などで行われている。
最初沈殿池と最終沈殿池とで発生した汚泥には、濃縮、嫌気性消化(嫌気性細菌による有機物分解とメタンガスなどの発生)、脱水、焼却、埋立ての処理処分がなされる。下水処理における汚泥の処理処分問題がますます重要になりつつある。メタンガス回収による発電で、下水処理場の消費電力の1~2割程度をまかなえる。欧米では古くからこの方式が実用化されており、日本でも研究開発が進み、一部の処理場で実用化されている。脱水汚泥を農業利用に還元する方法も一部実施されているが、汚泥中の主として重金属の栽培植物に与える影響や、食物を通じて直接間接に人体に及ぼす影響については、今後注意深く検討し、汚泥の農業利用を実施していく必要がある。汚泥処理の中心は焼却である。焼却灰を埋立てる場合と、埋立てが困難な場合、焼却灰を道路舗装コンクリートブロックの材料にしたり、高温で溶融し建設資材として再利用されている。汚泥の焼却、溶融処理は下水処理コストを引き上げるが、狭い日本の国土で廃棄物埋立て処分が困難な状況と、汚泥に濃縮している有害な有機物質(PCB、ダイオキシン、環境ホルモンなど)を破壊することから、今後ますます重要となる。
[松井三郎]
下水道の計画においては、下水排除区域における汚水量、雨水量、下水の排除方式(合流か分流か)、中継ポンプ場、雨水の吐き口などの位置、施設の規模、下水処理方法などを定める必要がある。汚水量はおおむね上水給水量と一致させるが、工場、事業場、昼間人口移動、観光地の季節人口変動などを勘案して算定する。雨水量は、降雨量と排水面積に流出係数を乗じて求められる。想定する降雨量が小さいと、下水道の排除能力が不十分で浸水を生じる。過去には3~5年の確率年数に相当する降雨を対象にしていたが、最近では5~10年の確率年数の降雨に耐えるよう設計を改善している。しかし、確率降雨強度(単位時間に降る雨の量の確率上の数値)の基になる降雨状況が、地球温暖化の影響で変化する危険性があり、過去の降雨状況を超える事態の発生が懸念されている。
[松井三郎]
日本の下水道は法制上、公共下水道、流域下水道、都市下水路およびその他の公共下水道に大別されるが、これらとは別に、団地や住宅開発地で合併処理とよばれる小規模な私的下水道も存在する。公共下水道は地方公共団体が管理する下水道で、主として市街地(都市計画区域)の下水を排除し単独に終末処理場をもつか、流域下水道に接続するものである。流域下水道は二つ以上の市町村の区域にまたがる下水道で、それぞれの市町村の公共下水道が接続される下水道幹線とポンプ場および終末処理場とからなり、一般に下水排除区域が大きくなる。都市下水路は主として市街地における下水を排除するための地方公共団体が管理する下水道で、排水を目的とし終末処理場をもたない過渡的な形態であり、終末処理場の整備後は雨水路として利用される。そのほか、主として工場、事業場の集団を対象とする特定公共下水道や、観光地などの集落の環境保全を目的とする特定環境下水道がある。集落の規模が小さい場合(1000人以下)、国土交通省が中心となり小規模下水道整備が進められている。一方、農林水産省も、農村地域振興の一環として農村集落排水処理施設(農村下水道)の建設を進めているが、これらは都市型公共下水道で整備できない地域を対象としている。
[松井三郎]
前述したように、日本の下水道人口普及率は2000年(平成12)3月現在60%に達したにすぎず、引き続き建設投資(1982年度時点で普及率1%増加につき約1兆円、2000年度時点でもほぼ同額)を必要とし、国および地方公共団体の財政負担は増大する。また下水処理開始とともに維持管理費がかかり、これらの節約低減のために省エネルギー、創エネルギーを基本とする新技術が要求されている。閉鎖性水域の富栄養化対策として窒素・リン除去、COD低減の三次処理導入が必要とされ、あわせて雨水排除による非特定汚染源の対策も重要となっている。流域下水道は下水排除区域が大規模になることから、管理運営(複数の自治体間の協力体制、費用負担の公平化など)の問題が一つの重要な側面となっている。さらに流域内の水を上水道、下水道の人工系統で排除することから、河川本流の低水維持水量が減少する場合が生じ、水利権問題とも抵触する例が出ている。この場合、下水処理水の再利用を積極的に進める必要がある。下水処理の再利用としては東京・三河島処理場、名古屋・千年処理場などで工業用水として使用されているが、その量は限られている。東京・池袋サンシャインビルなどでは完全なビル内中水道が実施されている。環境維持の目的で多摩川上流処理場の処理水が玉川上水にパイプ輸送され、江戸時代の玉川上水復活と文化財保全に役だっている。下水処理量の増加とともに発生汚泥の処理・処分はますます深刻な問題となっていく。農業還元利用を推進する一方、焼却処理におけるエネルギーの効率化(金沢市における都市廃棄物との混焼などの例)や焼却灰、溶融スラグ(鉱滓(こうさい))の有効利用(建設材料など)が今後の技術課題として残されている。
水質の環境基準達成率については、水質汚濁防止法で制定された1970年以来、河川環境の改善(BOD指標)はみられるものの、環境基準達成率は1999年(平成11)3月時点で81.5%程度である。海域の環境基準達成率(COD)は74.5%、湖沼の環境基準達成率は45.1%程度で、1970年代以降いっこうに改善がみられない。工場排水対策、農業排水対策、雨天時道路排水対策など引き続き改善が必要であるが、1963年からの第一次五か年計画以来、ほぼ50兆円におよぶ多額の下水道予算を使っても、公共水域の水質改善がみられないのは問題である。また、窒素、リン、カリウムなどの農業肥料の回収問題や、環境ホルモン物質、発癌(はつがん)性物質に代表される有害化学物質と下水道の関係は、これからの大きな課題となっている。21世紀下水道の課題は資源循環型社会の下水道を目ざすことといえる。
[松井三郎]
『合田健・津郷勇・山本剛夫著『わかり易い土木講座15 衛生工学』(1969・彰国社)』▽『和田英太郎、安成哲三編『岩波講座:地球環境学4――水・物質循環系の変化』(1999・岩波書店)』
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…そのことは,23の健康項目(カドミウム等の人の健康の保護に関する規制項目)については基準達成率が99%を超えているにもかかわらず,BODなど生活環境項目については70%程度で低迷していることに明確に反映されている。下水そのものは以前から河川に流されていたが,近年,下水が汚染の主役になってしまったのは,人口の都市への集中および生活の向上に伴う下水の量の拡大と質の変化,くみ取式から水洗式トイレへの転換と簡易浄化槽の普及などによって屎尿の下水への流入が増え,河川への汚濁物の流入が増していること,その変化に下水道建設が対応できないことによっている。さらに上流でのダム建設による河川水量の減少に伴う河川の自浄作用の減少もこれに大きな影響を与えている。…
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